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パリ逍遥②

 ルーブルを起点にセーヌ河岸を歩いて行くと、色々なモニュメントや街並みに出合える。
 まず、ポン・ヌフを左岸に渡ろうとすると中州がある。この中州こそがシテ島で、パリ発祥の地とされている。紀元前一世紀、蛮族に追われたパリシー人が、中州を要塞にして根城とした。辺りは平原で、天然の要塞になるのはセーヌ河しかなかった。ちょうど中州になっていたシテ島から、パリの街は発展したのである。
 中世になると、狭く入り組んだ路地が展開され、19世紀前半にはパリで最も人口密度の高い貧民街となっていた。シテ島にはノートルダム大聖堂、サント・シャペル、コンシェルジュリーと、三つの歴史的建造物が今も遺るが、当時はそれらの間を埋めるように貧民街が形成されていたのである。
 しかしオスマンのパリ大改造によって、彼らは追い出される。警視庁や病院、裁判所といった大きな公共建築物の建ち並ぶ味気ない街となった現在の姿からは、当時を偲ぶことは難しい。
 ポン・ヌフからシテ島に入ると、ドフィーヌ広場という三角形の広場を囲むように形成される街区がある。歩いて行くと何となく引き込まれる感じだが、決して活気がある訳ではなく、妙に印象的な静けさがある。箱物健築ばかりのパリの中心にあって、そこだけが浮いた感じの、不思議な感覚を通る人に与える。西端にあるこのドフィーヌ広場界隈と、東端のノートルダム大聖堂の北側の界隈だけは例外的にオスマンのツルハシを免れたのである。大聖堂北側の界隈には、昔日のパリを彷彿とさせる路地が一部に遺る。
 シテ島のモニュメントで中に入ったのはサント・シャペルだけである。ここのステンドグラスは一見の価値がある。三方からそれを通した光が降り注ぐ空間は圧巻である。時にはここでコンサートが行われることもあり、そんなところはいかにもフランスらしい。
 ノートルダム大聖堂は16年は長蛇の列ができていたので中に入ることは諦め、19年再訪時は火事の後だったため、柵が張り巡らされ広場にも入れなかった。この大聖堂の鐘楼からの眺めはいいらしい。パリの街はここから拡がって行ったので、その中心から見ればパリが判るという訳である。
 パリの眺望ということなら、私は凱旋門の上からの光景が思い浮かぶ。同じパリの中心でもそちらは、大改造以降の新しいパリの中心である。ちなみにエッフェル塔は、高過ぎてパリの街の実感が湧かないように思う。エッフェル塔はやはり、外から眺めるものである。
 シテ島から左岸に渡らずに、さらに先にあるもう一つの中州、サン・ルイ島に渡る。住民が島の外を大陸と呼ぶその島は、一見何の特徴もないようで、独立した世界が拡がっている。
 シテ島とは打って変わって、中央部は商店が軒を連ねる。しかし下町とも違うし、パリの他の街区とも違う。まずこの島には、名所も史跡もない。どこか地方の街がそのままパリの真ん中に置かれているような印象がある。通りは振っていて、なぜかアイスクリームが名物らしい。河岸の側の通りは静かで、散歩している人を多数見かける。
 左岸へ渡るとすぐ見えてくるのが、アラブ世界研究所である。一見して全面ガラス張りのような近代建築で、ジャン・ヌーベルの出世作と言われる。よく見ると外壁はアルミで、アラベスク模様の装飾が施されている。無数の円や菱形などのそれら小窓は、季節や天候などで拡げたり狭めたりして、採光を調節している。中にいると、光の戯れが何とも心地いい。
 上階には博物館があり、アラベスク模様の器や壁などが並ぶ。幾何学的に切り取られた無数の光を浴びながら、それらを巡って行く。アラブへ行かずして、至上のアラベスク体験ができる。しかし観光客はあまり見受けられない。フランスとアラブ諸国の結節点のような施設と言える。
 西へ歩いてメトロのモベール・ミュテュアリテ駅に来ると、そこはもうカルチェラタンである。すると不意に、左手に伸びる裏通りの果てに、どこかで見たような古代建築風のドームが現れた。パンテオンである。
 私は一直線に伸びる緩やかな坂道を、先にあるドームを目指して上っていた。パンテオンは左岸で最も標高の高い丘の上にあるので、どこから向かっても素晴らしいアプローチになる。
 中に入ると、天井ドームからの光が緩やかに届いている。荘厳な雰囲気だが、ローマの本場のパンテオンとは違って、18世紀末に出来た新古典様式である。
 ここはフランスの偉人廟となっていて、地下の納骨堂にはルソーやヴォルテール、ヴィクトル・ユゴーやエミール・ゾラなどが眠っている。最も新しいところではアレクサンドル・デュマもあった。あのキュリー夫人もここで眠る。
 パンテオンを出ると裏手にあるのがサンテティエンヌ・デュ・モン教会で、パスカルやデカルトが眠っている。そう考えると凄いことで、この界隈にソルボンヌ大学はじめエリート学生が集っているのも十分に頷ける。
 パンテオンからリュクサンブール公園に向かって下って行くと、ソルボンヌ大学の学生が大量に雪崩れ込んできた。身につけている雰囲気もどこか上品で、静かに議論しながら歩く彼らの中で、私はやや場違いな気がしないでもなかった。
 リュクサンブールを抜けてサン・シュルピス教会に。二つの不揃いな塔が並ぶ。さらに北に進むと、この界隈の中心、サンジェルマン・デ・プレ教会に着く。中には神話を元にしたドラクロワの壮大な壁画が、大きな窓のある明るい空間で向かい合っていた。
 外に出ると、近くにはカフェ・ド・フロールもある。サルトルやヴォーヴォワールらも通ったこのカフェには、日本人のギャルソンも活躍している。辺りは何かとイベントにも事欠かない。私は19年の夏至の音楽の日は、この街で過ごした。
 マネの生家のある通りを抜けると、再びセーヌ河岸へ出る。空が広くなる。スタート地点のルーブルは、そこにもう見えていた。

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