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地中海へ 〜南仏アラカルト〜 モンペリエ

 モンペリエの中心、コメディ広場は、常に緩やかな時が流れている。劇場を前にして、様式の揃えられた建物が並び、真ん中のゆったりとした空間には陽が燦々と降り、青空が爽快に拡がる。賑う人の間をトラムが軽快に横切って行く。日本とは空の色も建物も違えば、人の動線もその様子も違う。皆が自在に、ゆったりと流れ、過ごしている。いい意味でのゆるい感じがちょうどよく、理想的な居心地のよさがある。
 この街に辿り着いた旅人は、誰もがまずここにやって来る。この街に暮らす人は、誰もがここで英気を養う。街は広場を軸に展開する。西側に旧市街があり、その先に凱旋門と水道橋。東側は計画的な新市街、アンティゴンである。
 985年に初めて歴史上に登場し、11世紀には大きな集落となったモンペリエは、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラへ向かう巡礼の道の宿場町として賑いをみせて行く。その後、地中海に面した地の利から、多くの商人が行き交う貿易都市として発展。
 13世紀には大学が創設され、学生の集う街となる。医学部以外では法学部も名門で、詩人のペトラルカやポール・ヴァレリーもここから巣立って行った。ヴァレリーは隣の港町セットで生まれ、この地域を愛した。現在はそんな彼に敬意を表し、法学部では「ポール・ヴァレリー大学」と呼ばれている。
 ユグノー戦争でプロテスタントの拠点となったために街の多くは破壊されるも、後にコメディ劇場に広場、凱旋門、水道橋と計画的に造られて行く。現在の明るいモンペリエの街の輪郭は、そんな17世紀から19世紀にかけての面影を遺している。
 コメディ広場から旧市街のなかへ少し入って行くと、裏路地を行く中世的な感じも出てくる。その辺りで印象に遺ったのは、サン・コム広場という小さな広場である。円屋根に八角形の建物は、かつての円形劇場らしいが、詳しいことはよく判らない。しかしこの建物が何ともいい味わいを出している。視界の利かない裏路地から広場に出る時、俄かに明るくなった先に出現するこの建物の光景と辺り一帯のコントラストは、今も脳裡に焼きついている。
 コメディ広場を劇場を背にしてプラタナスの並木道を進んで行くと、左手に現れる大きな洋館がファーブル美術館である。中はルネサンス以降の名画と呼べる作品が質量ともに充実している。
 天窓から光が差し込む大きな部屋には、歴史画の大作が並んでいる。進んで行くと、クールベの代表作「こんにちは、クールベさん」が現れる。顎髭が伸び、バックパッカーのような恰好をしたクールベが、モンペリエに辿り着いた時の一コマである。観たかった作品の出現に、私は思わず声を上げた。さらに進めば印象派のエリアがあるはずだったが、そこには行けなかった。
 当時ファーブル美術館では、6月25日よりフレデリック・バジール展を催すことになっていた。印象派が世に出る前に普仏戦争に散った悲運の画家バジールはモンペリエ出身で、絵がそこにあることも知っていたので私は楽しみにしていたのだが、私が訪れたのは6月15日。準備のためにバジールの絵はもちろん、関連する印象派エリアもすべてクローズ。海外の美術館では展覧会情報も把握しておかないと、往々にしてこういうことは起こる。
 
 
 モンペリエからは海は見えない。街から海は10kmくらい離れていて、いわゆる海辺の街ではない。それでもこの街にいると、何もかもが地中海を思わせる。光や空の色から、街路や広場、行き交う人の歩く様子まで、街を構成するすべてが、ここが地中海だと発している。
 プロヴァンスでもコートダジュールでもないモンペリエだが、プロヴァンスに近いオクシタニー地方にある。よって南仏特有のゆったりした感じがありながらも、観光客による喧噪はなく、街の人も裕福な外国人向けの顔はしていない。日本の観光ガイドでも、地球の歩き方で僅かに1ページ紹介されているだけである。街の人はもちろん、旅人にとっても過ごしやすい街と言えるだろう。
 これは南仏の街に共通したことではあるが、街を歩いていて、働いている人はどこにいるのだろうと感じることは多い。特にモンペリエはそれを感じさせる街で、カフェなどの従業員くらいしか見当たらない。彼らにしても、割と楽しそうに振る舞っている。要するに勤労者を感じさせる服装や雰囲気が、少なくとも街なかからは皆無なのである。
 気候や風土、街の人の気質もあるだろうが、街の構造にも理由はあるかも知れない。日本の場合は東京だと商業エリアもビジネスエリアも一緒くたで、地方の街では商業エリアが街なかから締め出され、空洞化しているところも多い。フランスを周ってみると、小さな町でも街なかは必ず、午後になると人で溢れている。
 ウォーカブルシティという言葉を最近目にするようになった。街なかから締め出されるのは車であり、そうなれば必然的にビジネスエリアは外に出ることになる。結果、街の通りや広場には人間的な活気と、ゆったりとした時間と空間が創出される。それがフランスの街であり、とりわけ南仏の街である。
 そんな、南仏のいいとこ取りとも言えるモンペリエに車や鉄道で向かう時、車窓には広大なぶどう畑が拡がる。燦々と降る陽光の下で育ったワインは、そんな土地に相応しく、混じり気のない明るさを感じさせる。この地で造られたワインはペイドックと呼ばれ、近年は注目度が上昇している。私の好きなワインの一つでもある。

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