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熱狂のユーロ2016プロローグ④

 トゥールーズ滞在の三日間、街はスペインサポーターに席巻されていた。通りや広場、橋など、どこを歩いても必ず彼らの姿があった。ユニフォームを身に纏うだけでない、奇抜な装いの集団が街を闊歩している。女装やスーパーマンなど何でもありで、宛らスペインのカーニバルと化していた。
 6月12日、午後三時。クロアチア対トルコの試合を、キャピトル広場から通りを少し入ったバーで観戦。明日スタジアムで観戦するスペイン、チェコとは同じグループである。クロアチアはモドリッチにラキティッチ、マンジュキッチといったタレントが機能した好チームで、開幕前から私も注目していた。
 試合はクロアチア優勢で進むも、なかなか決まらない。このまま後半に行くかと思われた41分、試合が動く。ラキティッチの折り返しに相手選手が反応。浮き球をエリア外にいたモドリッチがダイレクトでボレー。目の醒めるようなシュートで均衡を破る。試合はそのままクロアチアが勝利した。
 通りへ出ると、界隈のあらゆる店で観戦していたスペインサポーターで溢れ返っていた。彼らは歌うや踊るや、やりたい放題。完全にスペインのお祭り会場と化していた。
 たまに車が通ると、彼らは音頭を取りながら車に群がり、音頭を取りながら徐々に車を通す。別のところでは、大きなスペイン国旗をヒラヒラさせながら、道行く女子を歓待している一群もある。明日はそんな彼らとチェコの一戦。
 そういえばチェコのサポーターはどこにいるのだろうか。試合日当日までお目にかかることはできなかった。
 
 
 6月13日。スペイン対チェコ。遂にやってきたスタジアム観戦。
 街の中心部からガロンヌ河岸を歩いて行くと、会場に通じる小道があった。大会スタッフがミニトマトを配っている。私はそれを頬張りながらさらに進んで行くと、見えてきた。33000人収容の、ユーロの会場としては小さめのスタジアムである。
 席はスペイン側だったが、まだ時間があったので、チェコ側の応援スタンドへ。すると、背番号10が目に飛び込んできた。ロシツキーだ。選手でなくサポーターの背番号10を見ただけでも心躍る。最も観たかったスペインと、最も好きなチェコ。この試合だけは生で観たいと思っていた試合は、いま始まろうとしていた。
 午後三時のキックオフが近づいてくると、両国の選手がピッチに入る。この頃にはスタンドを大勢の人が埋めている。スタジアムの音響が大きくなる。
 こちら側では、イニエスタ、シルバ、セスク、ブスケッツなどがパス回しをしている。ボールタッチが柔らかい。皆、止める、蹴るが上手い。サッカーの基本である。覗いているカメラをズームする。そして激写。
 さらに、ピッチの向こう側へと視点を移す。練習する選手の中で、ロシツキーの姿を見つけると、こちらも激写。2000年のユーロに当時19歳で出場したロシツキーも、今や最年長で、チームの主将として初戦に臨む。おそらく今回が最後のユーロとなるだろう。しばらく私は、ロシツキーの姿を目で追っていた。
 練習が終わり選手がいったん退くと、デモンストレーションが始まる。頭上をTVカメラがロープウェイのように移動している。しばらくすると、選手入場。両国の国歌斉唱。チェコの国歌は厳かで美しく、スペイン国歌は軽快でノリがいい。対照的な両国の国歌がスタジアムに谺する。
 
 
 選手が散らばると、私はわずかの間、目を閉じてイメージした。誰もが出し手にも受け手にもフィニッシャーにもなれる自在なパスサッカーのスペイン。今や主将となったロシツキー擁する美しいチェコ。
 しかしそんな私のイメージとは裏腹に、試合は硬い入りとなる。
 スペインは得意のパス回しでボールを支配するも、中盤を厚くしたチェコの守備に手を焼く。守勢に回るチェコも、なかなか攻撃の機会を作れない。両者とも少ない決定機を活かせず、時間ばかりが過ぎて行く。
 試合が動いたのは終了間際の87分。スペインのショートコーナーをチェコがいったんクリアするも、ペドロが拾いイニエスタへ。イニエスタはこれを絶妙なクロス、最後はピケが頭で捩じ込みスペイン先制。ピケの値千金のゴールで辛くも勝利を拾ったスペインは、今後に不安が残る内容だった。
 試合前は曇っていた天気も、この頃には晴れ間が覗くようになっていた。スタンドを埋める赤と黄色の応援が一段と明るくなり、空の青と鮮やかな対比をなしていた。
 試合後、スタジアム脇には、選手の出待ちの人垣ができていた。といっても警戒のためにかなり遠いところからだったが、ゴールを決めたピケだけは電話をしながらすぐ近くまでやってきた。大きな声援を受けながら、ピケは足早に去って行った。
 夕方のきらきらした光が、スタジアム一帯を包んでいた。何とも贅沢な時間が終わったと思った。
 木洩れ日の美しいガロンヌ河岸を歩いて、街の中心まで戻ってきた。辺りのカフェやレストランは、スペイン、チェコ双方のサポーターで賑っていた。
 贅沢な時間は終わってしまったが、ユーロはまだ始まったばかりである。これから南仏やリヨンに滞在し、反時計回りにフランスを一周し、準決勝、決勝をパリで過ごすことになっている。さらなる熱狂の日々が私を待っていた。

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