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熱狂のユーロ2016中編

 マルセイユは明るい町である。しかしどこか愁いを帯びている。朝に夕に、この街を歩くのは楽しい。南仏の海辺の明るさと、街の生活の匂いが渾然一体となっている。
 港から、無数の小型船やヨットが、沖合に出て行く。きらきらと眩い海へと繰り出す群れは後を絶たない。路地裏では洗濯物が空に身を翻し、路地の縦列駐車はありえない配列をなしている。気づけばいかがわしい人たちがそこかしこに跳梁し、子どもを使って「シルブプレ」とせがんでくる者もいる。
 そんな明るくもカオスな街マルセイユも、2016年6月は、ユーロに彩られていた。旧港沿いの市役所にも、ユーロのロゴが配われた大きな横断幕が掲げられていた。
 6月25日。グループリーグから中二日で、ベスト16の戦いの火蓋が切って落とされた。この日マルセイユにいた私は、試合が始まる午後三時に合わせて、市街地からは少し離れたファンゾーンに向かった。試合会場のスタッド・ヴェロドロームから海に向かって進んだ先に、それはあった。
 何と、そこはビーチである。一応、鉄柵に囲まれてはいるが、目の前は海水浴場になっていた。海で泳いでサッカー観戦、そして試合の合間にまた海へ。しかもその海は、地中海である。こんな理想的な視聴環境をもつマルセイユっ子たちは幸せだなと思った。
 午後三時。ファンゾーンの大型ビジョンは、スイスーポーランド戦を映していた。柵の向こうのビーチは賑いをみせているが、柵のこちらはそうでもなかった。辺りは開散としている。時折、海からの風が、弾けた声を運んでいた。
 試合はともにグループリーグで見せた通りの、守備のしっかりした内容となった。お互いの強固な守備ブロックは、相手のボールを弾き続けていた。結局90分終えて、1対1。延長戦に。
 辺りを見回すと、ギャラリーは増えていた。ほとんどの人が街の装いではなかった。ノースリーブにホットパンツは当たり前で、水着姿も多数見られた。こんなに開放的なファンゾーンはこれまでに見たことはなかった。ファンゾーンの賑いに伴って、海から届く風は、ビーチの喧噪が幾分和いでいることを伝えた。
 延長戦は、グループリーグからの試合間隔の短いポーランドの運動量が目に見えて低下する。それに乗じるスイスだが、決定機は作るも、決勝点は奪えない。結局PK戦となり、5対4でポーランドが準々決勝進出を決めた。ボール支配でもシュート数でも上回ったスイスだったが、敢えなくここで敗退となった。
 
 
 この頃になると、辺りは華やいでいた。勇壮なサポーターはほとんど見られず、柵の向こうの景色と大差なかった。目の前をホットパンツの若い女性が飛び眺ねている。辺りは全体的に弛緩していた。
 マルセイユのファンゾーンは、そんなムードのまま、次の試合を迎えていた。時刻は6時10分前。ビジョンは延長PKとなったサンテティエンヌの会場から、パリのパルク・デ・プランスへと切り替わっていた。
 六時からの試合は、ウェールズー北アイルランドの英国対決である。この英国内の伏兵は、ともにユーロ初出場で決勝トーナメント進出を果たしての巡り合わせとなった。
 タレントに勝るウェールズ優勢かと思いきや、試合は北アイルランドのペースで進む。ラムジーやベイルが低い位置に降りてボール運びに加わることで状況の打開を狙うも、ゴールが遠いウェールズ。前半彼らは、枠内シュート0に終わっている。
 後半に入っても北アイルランドペースは変わらず。それでも13分にウェールズはFKのチャンスを得る。蹴るのはもちろん、これまでの三試合でPKから2ゴールを挙げているベイル。しかしこれはGKがセーブ。
 状況を打開したいウェールズは、選手交代でラムジーを低い位置に動かす。これが功を奏し、徐々に相手ゴール近くでのプレーが増えて行く。
 迎えた後半30分。ベイルのクロスをブロックしようとした相手選手の足に当たってオウンゴール。その後は互いに激しい攻防を見せるも、ゴールを割ることはなく、1対0でウェールズが準々決勝に駒を進めた。
 ハーフタイムの時にはまだ聞こえていたビーチの喧噪は、この頃にはほとんど聞こえなくなっていた。海鳴りの音が静かに響いていた。

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