彩友志美貴

詩や小説、随想、時に写真など、心に映るいろいろを、言の葉にのせていきたいと思っています。

彩友志美貴

詩や小説、随想、時に写真など、心に映るいろいろを、言の葉にのせていきたいと思っています。

最近の記事

日々の追想 

「できることがまだ少しある」  離れて一人暮らしをしている長女が、体調を崩したので少し助けに来てほしいという。それまでのラインのやりとりで、心配に思うところもあったので、四月の半ば過ぎに万障繰り合わせて東京へ行った。  前回東京に行ったのは、やはり長女のところへ行った一年前のことで、その時二女にすすめられてスマートEXに登録したのだが、会員IDもパスワードもすっかり忘れていて、新幹線の切符を買うところからつまずいてしまった。駅に着いてからあたふたとスマートフォンの操作をし、

    • 終業式

       一学期の終業式のその日、子どもたちは昼まえに帰宅してきた。中学一年生の長女は十一時頃、小学五年生の長男と小学二年生の二女は、それぞれの分団で十一時三十分頃には帰ってきた。  映子は三人から通知表を受け取り、一通り目を通し、それぞれにまず、 頑張ったわね、と声をかけてから、大急ぎで昼食を作った。  午後は、中学校で吹奏楽部に所属している長女と、小学校でサッカー部に所属している長男は、練習のために再度登校するという。二人が家を出るときには家にいたかったので、自分は後から食べるこ

      • 踏み切り

         この踏切は、遮断機が下りるといつも長いのだ。たぶん、私が待っているときは、いつも。  今日も、買い物帰りに渡ろうとしたときに警報機が鳴り出した。  警報機が鳴り出してから遮断機が下りきるまでには少し猶予がある。だから、若い時には全速力で走って渡ったこともあった。しかし、この年になって、両手に荷物を持っている状況では、それはもう無理というものだ。  もう、時間に追われているわけでもないので、大人しく遮断機が上がるのを待つことにする。  警報機には、やがて上りの電車が通過するこ

        • つつじ

           義父は転勤族だったそうで、多香恵の夫の洋一は、小学校に通っているあいだだけでも、二度転校したのだと言っていた。  「だから、俺、おさななじみとか、地元の友達とかいないんだよな。」  それが洋一にはさびしいらしかった。  それで、転勤のない会社に就職し、第一子が幼稚園に入るまでには持ち家を持ちたいのだと、洋一は結婚前から多香恵に話していた。  多香恵にしても、引っ越しを何度もするのは大変だし、子どもが小さいうちにずっと住み続けられる家を持てることは望ましいと思っていたから、洋

          冷蔵庫

           十八年間使った冷蔵庫が壊れてしまった。  一年ほど前から調子が悪く、そろそろ買い替えなくてはと思ってはいたのだが、何となくその気になれなくて、先延ばしにしていた。  でも昨日の夕方、クリームシチューに入れようと牛乳を取り出したらそのパックが常温と変わらず、中身をコップに注いで飲んでみてもぬるいことを確認して、もう限界だと思った。  こういうことには腰が重い夫も、風呂上がりに食べようとしたアイスキャンディーが溶けているのを見て、 「こりゃあもうだめだな。」 と、納得した。

          ひとかたまりの雲

          ひとかたまりの雲は 風に流されてどこに行くのだろう 冬の冷たい大気の中で ぎゅっとかたまって しっかりとよりそって ひとつの方向へ流れて行くのだけれど やがて寒さがゆるみ 春が近くなって ゆっくりとあたたかさにつつまれれば かたく結び合っていた雲は そろそろとほどけてゆき ふわりと広がってゆき やがて 大気の中に その色さえ溶け込んでしまう 過酷な冷たさが 雲をひとかたまりにしていたのに やさしいあたたかさが 団結をほどいてしまうのだ 細

          ひとかたまりの雲

          生きていける

          心の奥底に秘めたことどもは 決しておもてには出さないように 心の奥底は大切な場所 誰にも知られてはならない秘密の場所 そこにそっとしまっておくのは さびしさやかなしさ せつなさややるせなさ 揺れ動く感情と 遠い日の思い出 ひとりきりのときに 部屋の片隅で 壁に向かってうつむいて そっと取り出しては反芻し またしまい込む 年を重ねていくにつれて しまっておきたいことどもは増えるから 心もまた広く大きく保てるように おもてに向ける笑顔は常に満面で

          生きていける

          いつの頃からか 軒先に時折り鳩が羽を休めていて 小さく鳴いたりして 想うだれかを呼んでいるのか その軒先は見晴らしがいいから さわやかな風が心地いいから さぞかし ひとやすみするには快適だろう 想うだれかと寄り添うには心おだやかだろう でも 空を飛ぶ烏からはよく見えるだろう 大風が吹くときにはあやういだろう 棲みかとするにはふさわしくないだろう そっと見上げれば目が合って 会話などしたくなるのだが いやいや ただの行きずりとして 知らないふり

          冬の想い

          湖を渡る風は強く冷たく 空を行く雲をさえせきたてるように 意志を持つかのごとく吹いている 湖面に波は立ち 水鳥はその間に漂いながら ひたすらじっとその身をまかせている そして時折り水にもぐり 得るものはあったのだろうか 再び水に浮き 波の間に間にその姿は見え隠れしている たたずめば 時の流れが風の流れに重なって 私の魂をどこかへ連れ去って行くような あるいは 自然の力になすがままにされている あの水鳥の背に私の魂を乗せてしまうような そして水鳥

          もしもあの時死んでいたなら

          もしもあの時死んでいたなら 高い塔の上で夕陽に照らされていたあの時 もしもあの時死んでいたなら とうとうと流れてゆく大河の流れを見つめていたあの時 もしもあの時死んでいたなら 赤い電車がけたたましく警笛を鳴らしながら近づいてきたあの時 ふと向こう側に引き込まれそうになる 引き込まれてしまったなら それはそれでいいと思ってしまえた あの時 一歩を踏み出すか踏みとどまるか ほんの一瞬の 紙一重の 心のゆらぎがふと傾いて 今はここにいる 今はここにいる

          もしもあの時死んでいたなら

          鏡台の椅子

           ある朝突然、鏡台の椅子が壊れた。                  いや、突然ではない。どれくらい前からか、座るとぐらぐらと揺れたり、ぎしぎしと音をたてたりしていた。でも毎朝、最低限の身づくろいをするだけでも気が気でないくらい忙しく、これくらい大したことはないだろうと思い込もうとしたり、そのうち時間ができたら、椅子をひっくり返して見てみようと考えたり、気がかりの解消を先延ばしにしてきたのだった。   その朝、座った途端にがたんと椅子は大きな音とともに崩れるように壊れた。

          鏡台の椅子

          雪の町

          昔暮らした雪の町を ふと思い出すことがある 幼いわたしと 家族 なぜだか家族の面影はおぼろげで 雪の光景だけが 強く印象に残っている しんしんと降る雪 降り続く雪 あるいは 激しい雪嵐 または 降り積もった雪の すべてを埋め尽くした すべてを隠した すべてを封印した 光景 あれは 幼いわたしがはじめて感じた 無だったのだろうか 永遠だったのだろうか 今では 雪とは縁遠い町に暮らし 大人になってしまったわたしは 時おり あの雪の

          墓地

          小高い丘にある墓地からは 町並みと木々の緑と ひとびとの今日の暮らしが見える 先に死んでいったものたちが そのつながりにつづくこどもたちを いつも見守っていられるように 風が吹き季節がゆき ひとりひとりが紡ぐ物語を 時間は彩ってゆく どれほど小さな存在であろうと みないのちをつくし 花と咲き鳥と謳い星をめざし 自らの永遠性を感じとってゆくのだ 丘の上の墓地にそよぐ風は 世界をめぐる風 ひとびとひとりひとりをつつむ風 この世界のつづくかぎり

          無題

          いつか いつの日か めぐりあうものを めぐりあうことを いつの日か いつの日にか たどりつく場所を たどりつく人を 無限の彼方 夢幻のなか 探している 求めている 傷ついても 苦しくても悲しくても辛くても さびしくても 時に迷うかもしれない 惑わされることもあるかもしれない でも 終焉のときにはきっと 自らの軌跡を心からおだやかに肯んじることができるように 不断の人生を渡っていきたい