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「袖振り合うも多生の縁」で、あるならば。

小学生のころ「ことわざ辞典」のような本で「袖振り合うも多生の縁」という、ことわざを知った。当時の僕には、このことわざの深い意味は汲み取れなかったのだけど、心のどこかに響いてくるような印象があった。「道を歩いてすれ違うだけでも、こんなに深い縁があるんだ!」と子供なりに感動したのだった。

道で人と袖を触れあうようなちょっとしたことでも、前世からの因縁によるものだ。袖すり合うも多生の縁。(デジタル大辞典 小学館)

あの人とは、どれほど深い縁が、あったのだろう。

先日、半年ほど続いていた仕事が終了した。当初の目標以上の成果を確認し、最後の挨拶をして「よし、これで仕事終了!」と外に出た時、ふとこの言葉が頭に浮かんだ。達成感ではなく、どこか喪失感に近いような、せつなさを感じたのだった。

道を歩いていて「袖が触れあう」程度の出会いでも深い縁があるならば、半年ほど時間をかけて仕事をさせていただいた相手とは、どれだけの縁があるのだろう? あんなにも長い時間をかけて話をして、中身の濃い時間を過ごしてきた皆さんとも、仕事が終われば再会する機会はほとんどない。「またいつか!」と、挨拶をしたまま、それが最後になった相手は、どれだけの人数になるのだろう。

時間の経過とともに、鮮烈な記憶もやがて薄れていく。あたらしい縁を結ぶことに夢中になり、つないだ縁をそのまま手放してしまうことも多い。

それでも僕は、こうやって生きていくわけだし、これからもつないでは離していくのだろう。それを繰り返していくのだろう。

また、いつか「縁」を結んでもらえるように。

僕には「来世」というものが存在するかどうかは、わからない。それでももし「それ」があるのならば、また「縁」を結んでもらえるように。いつかどこかでまた出会えるように、自分も相手も楽しみながら仕事をしていきたい。そうだ、そうしていこう。帰宅途中の車の中で、そんなことを考えました。

追伸:
今、この記事を読んでいる「あなた」とも、多生の縁があるのかもしれません。ぜひつながって下さい。そして、お目にかかる時があれば「あのnoteの記事を見ました!」と声をかけてください。その時を、楽しみにしています。


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