橋の上で会いましょう 第4話

「サカサナマズ」

「「はいどうもー」」
「えー、サカサナマズの、小山田と」
「片岡です」
「「よろしくお願いしますー。・・・ねえ」」
「あのさあ、小山田くん。ぼくちょっとやりたいことがあるんだけど」
「やりたいことはやっといたほうがいいよ」
「小山田くんの記念日作ろうと思ってさあ」
「何でだよ、何の記念があるんだよ」
「いや、小山田くん百回目のすべり記念日とか?」
「何を記念してるんだよ、いらないよ。あともう百回どころじゃないから」
「そうなんだ。じゃあ百万回?」
「いや、百万回もすべってないでしょ。たぶん、わかんないけど。あと数えきれないから。記念するもんじゃないし、そもそも」
狭い会場に、少ないお客さん。それでもぼくたちのネタを見に来てくれる人がいる。ぼくたちの言葉に笑っている。なんて幸せなことだろう。

 昨日からなんだか具合が悪い。喫茶店で相方と顔を付き合わせたものの、小山田は黙り込んでいた。ライブ当日だっていうのに、打ち合わせもできないくらいしんどい。
「小山田くん、どうしたの? 顔色悪いよ」
相方の片岡が心配そうな声をかけた。
「うん、なんか、具合悪くて。ごめんね」
「いや、とりあえず病院行こうよ。ライブ夜だし、時間あるから」
片岡は休日診療の病院を調べ始めた。小山田は体を支えきれなくなって、ずるずると椅子から崩れおちていった。
「え、ちょっと、小山田くん?」
すみません、救急車お願いします。小山田くん、しっかりして。
 片岡の声がぼんやりと遠くに聞こえた。

 気がつくと、目の前に大きな橋があった。とても立派な橋で、両側には屋台などの店がひしめいている。ソースの匂いがただよってくる。
「小山田さんですね」
黒い法被の人が、声をかけてきた。
「え、あ、はいー」
どぎまぎして答えると、近くのテーブルに小山田を案内された。
「このたびは、お悔やみ申し上げます」
「え、どういうこと? ぼく死んだんですか?」
「はい、詳細はこちらに。お亡くなりになった方は四十九日まで、この橋で自由に過ごしていただけます。飲食も無料ですし、好きなもの、懐かしいものに出会えるかもしれません」
よくわからない説明とともに手渡された紙には、死因やそのときの様子が詳しく書かれていた。
「まあ、お酒は飲んでたよ、確かに。かなり」
でも、まさか死に直結するとは思っていなかった。来週になっても具合が悪かったら病院に行こうとは思っていたけれど。
「あれ、ということは片岡さん、大丈夫かな。ライブも出られなかったよね」
心配そうな片岡の顔が思い浮かんだ。
「もし、現世の様子が知りたければあちらにどうぞ」
橋を手で示している。その手がずいぶんと大きい。なにか妙だな、と思いながらふと頭に目をやってぎょっとする。額のうえには2本、ツノが生えている。
「橋の中ほどに「現世之鏡」という小さな建物があります。気にかかることがあるのなら、そこから覗くことができますよ。もっとも、観るだけでこちらからは何の働きかけもできませんけれど」
はあ、と曖昧にうなずいて、小山田はのっそりと立ちあがった。
「なにかお困りのことがありましたら、この法被を着た係鬼におたずねください」
最後にそう言って立ち去った。やっぱり鬼だったか、と小山田はてくてくと橋をめざす。もう死んでいるのだから、そりゃあ鬼くらいいるだろう。
 橋の上は混雑していた。たくさんの人が焼き鳥やらかき氷やらビールやらを手に通っていく。それでも窮屈な感じがしないのは、文字通り生気がないからか。小山田は近くの屋台でビールをもらった。店の奥は薄暗く、影のようなものしか見えない。やけに大きな手が、よく冷えたビールを渡してくれた。店の横にあるスペースでごくごくと流し込む。こんなときでもビールはおいしい。つまり、自分が死んでいて、相方が一人きりになったとわかったときでも。ビールサーバーのメンテナンスは誰がしているのだろうと、一瞬気になった。
「よし、行こうかな」
呟いて小山田は立ちあがった。
 その建物はすぐにわかった。小さくひっそりとしているのに、だからこそ目を引く。「現世之鏡」と墨で書かれた板が打ち付けてあって、どことなくお化け屋敷のようだった。
「あのー、すみませーん」
おそるおそる入ってみるとすぐに受付があり、やはり黒い法被の人が座っていた。
「こんにちは」
妙に明るくにこやかに挨拶され、小山田は少し緊張した。
「こ、こんにちは」
「こちらでは、気にかかる現世のことを覗くことができます。ご利用なさいますか?」
「お願いします」
では、どうぞこちらへ。案内された小部屋には小さな机と椅子がぽつんとあり、机の上には真っ黒な板が置いてあった。
「観たい場所、人などを思い浮かべて、その鏡をご覧ください。ご利用は一時間まで。時間になると自動で止まりますので、そのまま置いて出てください」
板だと思ったものは鏡だったようだ。真っ黒で、縁もなにもないただのつるりとした楕円形の板に見える。小山田は鏡を覗き込んだ。自分の姿も映らない。
(いや、自分じゃない、片岡さん、片岡さん)
どうしても思い浮かぶのは、最後に見た心配そうな顔ばかり。ぽたり。水滴が落ちたように鏡の中心が透明になった。真ん中から波紋が広がり、真っ黒な鏡がだんだん透き通っていく。
 くっきりと映し出されのは、覗き込んでいる小山田の顔ではなく、どこかのホールのようだ。前方にスクリーンが下がっていて「サカサナマズ 小山田くんのお別れ会」という文字が映し出されている。両脇にはネタで使っていた小道具や衣装、グラビア風に撮ったDVD、そしてたくさんの花が並んでいた。
(あ、あの人からも、あの人からも)
 スクリーンには昔のライブ映像が流れている。
(うわ、恥ずかし。いきってるなあ)
片岡はと探すと、芸人仲間と一緒に映像を見て笑っている。
(よかった。片岡さん、笑ってるよ)
ふとその横を見ると、見慣れた姿があった。
(え、お母さん来てるの。まじかよ)
ライブ映像の合間に流れるグラビア風の映像を、どんな気持ちで眺めているのか。小山田はたまらなく恥ずかしくなった。が、母親は片岡たちと楽しそうに話している。ときどき目をぬぐっているが、笑いすぎて涙が出ているようにも見えた。
 50分ほどで映像が終わり、片岡が前に進み出た。
「皆さん、今日はぼくの相方、小山田くんのために集まっていただいて、どうもありがとうございます。小山田くんと知り合って15年、まだまだライブなどもやっていくつもりだったし、新しいネタも作っていました。ぼくは未だに信じ切れていません。」
 言葉につまり、片岡は口をつぐんだ。集まった仲間は静かに見守っている。
「正直、ぼく一人で芸人を続けていけるか自信がありませんでした。小山田くんのツッコミあってのぼくだし、一人でライブに出たこともありません。もう辞めてしまおうかとも考えました。でも」
片岡は大きく息を吸い、ふうーと吐き出した。
「でも、ぼく一人でも続けて行くことに決めました。誰よりもお笑いが好きだった小山田くんもきっとそれを望んでいると思います。明日からサカサナマズ片岡という芸名でがんばります。よろしくお願いします。それから小山田くん、本当に今までありがとう」
深く頭を下げた片岡はぼろぼろと涙をこぼしていた。会場のあちこちからぐずぐずと鼻をすする音が聞こえる。小山田の目からも涙があふれていた。
「うん。片岡さん、がんばって」
ごしごしと目をこすって鏡を見ると、もう鏡は真っ黒になっていた。一時間が過ぎたのだ。

 悲しい気持ちになって建物を出た小山田は、ぼんやりと歩きだした。橋の屋台を見ても、もうおまつり気分になんてなれない。
(片岡さん、ピンで出たことなんてないのに)
目に入ったベンチに座ると、片岡さんとの思い出があふれてきた。上京したばかりのころは、せまい部屋に同居していたこと。初めての単独ライブのチケットがぜんぜん売れなかったこと。仕事がなくてお互いバイトばかりしていたこと。深夜のファミレスで斬新なネタを思いついたような気がしたこと。先輩芸人の番組に呼んでもらえたものの、爪痕を残せなかったこと。小さな賞レースで優勝したけど、売れなかったこと。
 頭の中を流れる思い出が涙となって、目からあふれでた。
「おい、そこのおまえ。おまえだよ」
男の声がして、小山田は慌てて涙をぬぐい、顔をあげ驚いた。小太りのその男のことは知っている。数ヶ月前に亡くなった大御所の芸人、松下だ。小山田が小さなころにはもうテレビに出ていて、誰もが彼らのネタを知っている。トリオだった彼らは松下亡き後もコンビで活動している。三人もいるといいな、とふと思った。
「おまえ、芸人だろ。見たことあんだよ。なんだ、死んじまったのかよ」
突然のことに反応できないでいる小山田にかまわず、男は話を続ける。
「ちょうど良かった。新しいネタがあんだけどよ、おまえ、相方やれよ。ツッコミだったか?ボケか?」
「ツッコミです」
「よしよし、ならこっち来いよ」
引っ張られるようにして、小山田は松下についていく。歩きながら頭に浮かんだことをそのまま口にしてしまった。
「師匠、なんで亡くなったんですか」
「それだよ」
松下は顔をしかめた。
「斬新なネタって言ったろ。ちょっと体張るからよ、家で練習してたんだよ。そんで失敗して、気づいたらこっちに来ちまった。あとで覗いたらよ、自殺ってことになってるじゃねえか。とんでもねえよ。おれがそんなことするかよ。お笑い芸人が笑えないことやったらおしまいだよ」
「そうですよね」
よかった、思っていたとおりだ、と小山田は安心した。松下自殺の報道がどうしても納得できなかった。死ぬときだって笑いを追求する人だから。そして死後もなお追求しているようだ。
「おまえはなんで死んだんだよ」
「いや、なんか具合悪くて、気づいたらこっちに。さっき聞いたんですけど、酒の飲み過ぎとか」
「まだ若いのになあ」
松下は痛ましそうな顔で小山田を見やった。
「でも、来ちまったもんはしょうがねえからよ。こっちでおれとコンビ組めよ。なんかちょっと似てんだろ」
たしかに、太めの体型や薄めの頭髪が似ているとは前々から思っていた。
「でも、ネタやる場所とかあるんですか」
死んでからもお笑いを追求する姿勢は素晴らしいけれど、どこにも出せないのならもったない。それにこの橋には四十九日までしかいられなかったはずだ。
「それがよ、あるんだよ。小さい劇場に見えるけど、たいしたもんだぜ。落語家とか音楽家とかも演ってるしな。四十九日が過ぎても仕事として続けられるんだとよ」
そうか。小山田は思った。ここで芸人を続けて、いつか来る片岡を待つのもいいかもしれない。
「よし、いいか。ネタ合わせするぞ。しっかり覚えろよ」
松下はどこからか取り出したノートを広げ、熱心に話している。テレビで見ていたスターのような芸人と組めるなんて、信じられない幸運だ。小山田もノートの上にかがみ、松下の言う斬新なネタを読みはじめた。

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