破壊ゲーム 2

 これは記録だ。ぼくが知ったすべてを残しておくための。信じられないかもしれないけど、本当の記録だ。
 もう今日で夏休みが終わってしまうという夜。ぼくは眠れなくて天井を見ていた。一日中だらだらしたつけがここにきている。エアコンの弱い風が心地よくてぼんやりしていると、すうっとなにか光るものが横切ったように思えた。
 立ち上がって窓を開けると、むわっとぬるい空気が入ってきた。空には丸っこい形のものがふわふわと飛んでいる。光っているから形はよくわからないけど、飛行機や人工衛星は絶対にしない動きだ。なによりもっと近い。薄紫色に発光したそれは、ぼくの視線の先で止まった。それから、しばらく何か考えているかのように左右にゆれていた。薄紫色の光がぼんやりしている。そして、急にぱっと明るく光ったかと思うとそのまま通りの向こうがわに消えて見えなくなった。
 ぼくはどきどきしてしばらく外を眺めていた。あれは絶対に未確認飛行物体だ。写真や動画を撮っておけばよかった。あんな色に光ってあんな動きをするものなんて、きっと世界初の発見だったのに、残念だ。
 しばらく様子をうかがったけど、あたりはしんと静かでどこからか虫の声がするだけだ。ぼくは窓をしめてベッドに戻る。あれはどんな形で、どんな生き物が乗っているんだろう。もっとしっかり観察しておくんだった。目がさえて今日は眠れそうにない、と思ったのに気がついたらもう朝になっていた。
 ああ、今日からまた学校が始まる。げんなりした気持ちで起きあがる。昨日カーテンを閉め忘れた窓からは、もうすでに強い日差しががんがん入ってきている。
 ぼくは昨夜のことを思い出して、いっぺんに目が覚めた。そうだ、あんなすごいものを見たんだ。しかも夏休み最後の夜に。きっと二学期はなにかおもしろいことがあるに決まっている。
 新学期の教室はいつもよりざわざわしている。みんな日焼けした肌を見せあったり、夏休みの出来事を話したりしている。テンションが高いのは休み明けによくあることだけど、それにしてもみんななんだか浮ついているようだ。ぼくは首をかしげながら席についた。
「おい、知ってるか」
前の席のタツオが振り向いて言う。ぼくの机に腕をのせ、半身をあずけるような格好になっている。
「なにを」
「転校生が来るんだぜ」
タツオは得意そうににやにやした。
「本当?」
「本当だよ。さっき職員室のぞいて来たけど、なんか先生と話してたし」
これでみんなが浮ついている理由がわかった。転校生が来るなんて、小学校生活三年目にして初めてのことだ。
「でも、うちのクラスに来るのかな?」
「来るだろ。ギリセンと話してたし」
ギリセンというのは担任の小田切先生のことだ。朝はいつも遅刻ぎりぎり、教室に来るのもぎりぎりだから、みんなこっそりそう呼んでいる。義理堅いから、という説もあるけれどそれはあまり支持されていない。
 ぼくもどきどきしてきた。どんな人が来るんだろう。仲良くなれるかな。仲良くなれたら昨夜みた未確認飛行物体のことを話してもいいかもしれない。なんとなくタツオたちには言いたくないような気がしていた。クラスでわいわい話題にされたくない。一時だけもてはやされて、すぐに飽きられるような話題にされるのは嫌だ。もっと冷静に理解してくれるような人と真剣に話したかった。
「ねえねえ、転校生めっちゃかっこいいってきいたよ」
「本当?楽しみ。男の子なんだ?」
「たぶん男の子だって。ちらっとしか見てないけど背も高かったし。てか、あの顔なら女の子でも関係ないよ」
「まじ?緊張してきた」
横の席で女子が話しているのが聞こえる。タツオの顔がくもった。話の中心にいるのは、タツオが密かに(と思っているのは本人だけでみんな知っている)想いを寄せているアリアだ。目がぱっちりと大きく、誰とでも気さくに話すのでファンは多い。ぼく?ぼくは正直にいうと苦手だ。声も動きも大きくて、ときどき少し怖い。タツオには呆れられるけど、女の子とか恋とかときめきとかには今のところ興味がない。
 タツオがぼくのほうを見て口を開きかけたとき、ギリセンが入ってきた。今日はぎりぎりじゃないな、と思ったとたんにチャイムがなった。でもギリセンのあとに続いて入ってきた人の顔を見たとたん、きゃーという歓声が響いてチャイムの音もかき消された。すらりと背が高く、小さな顔。きりっとひきしまったあごに大きくて力強い目。モデルか俳優のような、というか今人気の俳優にそっくりだった。ドラマや映画はもちろん、バラエティー番組にもCMにも雑誌にもひっぱりだこで、芸能人にうといぼくでも知っている。でもぼくが口をぽかんとあけたのは、そのせいではない。
「はいはい。わかったから、落ち着いて」
ギリセンは片耳を押さえて顔をしかめた。
「じゃあ先に紹介しよう。もう話題になっていたみたいだが、今日からこのクラスの新しい一員となる藤原くんだ。自己紹介をどうぞ」
ギリセンにうながされて、彼は口を開いた。
「藤原宏基です。父の仕事の関係であちこち転々としています。よろしくお願いします」
低いかっこいい声にあちこちからため息が聞こえた。ぼくはじっと目を見ていた。
 最初、フジワラが入ってきたとき、彼はちらりとクラス全体を見た。その瞬間、目が薄紫色に光ったように見えた。ちょうど昨日の未確認飛行物体と同じ色だ。だからぼくはぽかんと口をあけていたし、自己紹介の間じっと見つめていたんだ。別にほかの意図があったわけではない。
 自己紹介のとき、彼の目は黒っぽい茶色にしか見えなかった。よくいる目の色だ。そりゃあそうだろう。外国人だって青や緑はあるけど薄紫なんて聞いたことがない。だけど、ぼくが見たのはいったいなんだったんだろう。
 そんなことを考えていたから、いつのまにか出欠をとっていることに気がつかなかった。タツオが振り向いて机を叩いたからはっとして返事をすると、くすくす笑い声が広がった。
「大丈夫か?斉藤。休みぼけもたいがいにしろよー」
ギリセンがのんびりと言い、誰かの茶化す声がした。
「藤原くんに一目惚れしたんじゃない?」
どうやらぼくの様子が誤解をよんだようだった。力強く否定するのも変な気がして、いやいやと軽く手をふるときゃあっとまた笑い声が起きる。いいかげんにしてくれ。ぼくはため息をついた。
 始業式が終わるともう帰る時間だった。帰りの会が終わるやいなや、アリアを始めとする女子たちがフジワラの机を囲んだ。
「ヒロキくん、前はどこに住んでたの?」
アリアはためらいなく名前で呼んだ。タツオの舌打ちが聞こえる。
「俳優のあの人にそっくりだよね。もしかして兄弟?ってことはないにしても、親戚とか?」
フジワラはにこりとして答えた。完璧に整った美しい笑顔だ。
「それ、よく聞かれるんだ。でもぜんぜん関係ない他人だよ」
「他人のそら似かあ」
普段より大きくて高い、わざとらしい笑い声がひびく。教室にいる誰もがのろのろと帰り支度をして彼らの話に耳を傾けているし、アリアたちもそれを意識していた。
「おい、行こうぜ」
ことさら大きな声でタツオが声をかけてくる。誘いあって帰ることなど普段ないのに、フジワラたちを気にしていないことを必死で示そうとしているのだ。
「そうだね」
甲高い声が苦手なぼくは、すぐに立ち上がった。
「ったく。なんだよ。いい気になりやがって」
昇降口を出て歩きながらタツオがぶつくさ文句を言い、足下の石をけとばした。
「仕方ないよ。今日来たばっかりだし、みんな気になるんだよ。しばらくしたら落ち着くって」
そうかな、とタツオは小さな声でつぶやいた。夏休みが始まる前、タツオはなにかとアリアをからかい、よくつるんでいた。その関係が崩れてしまったことを気にしているんだ。
 ぼくにはその気持ちがよくわからなくて、なんと声をかけていいのかもわからなかった。どうでもいいじゃないか、と思うけどそれを言ってはいけないことくらいはわかっている。
 夜ごはんはコロッケだった。商店街のお総菜屋さんのコロッケ。ぼくはコロッケが好きだけど、この店のコロッケはことのほか好きだ。小さめの俵型を箸でさっくりと割る。ふわりと湯気が出てくる。熱々をほおばるとほくほくのじゃがいもとほろほろのひき肉が口の中でほどける。ぼくは幸せのコロッケと呼んでいる。
 今日も幸せをほおばっていると、母さんがそういえば、と口を開いた。
「そういえば通りの向こうの蕎麦屋さん。取り壊されてた」
「へえ、あの閉店したところ?」
通りのむこう、ちょうどきのうの未確認飛行物体が消えたあたりだ。偶然だろうけど、なにかつながりがあったらおもしろいな。地球外生命体の本拠地が作られて、そこから人類が洗脳されていくとか。でも、だとしたらこんな小さな町を選ばないか。
 そんなことを考えながらごはんを食べていたら口の中を思い切り噛んでしまった。幸せのコロッケが血まみれのコロッケになってしまう。
 数日後も、一週間後も、女子たちの転校生への熱はさめなかった。アリアは休み時間のたびに話しかけていて、もはやタツオとつるむことはない。タツオは意地になってアリアを無視していたけど、たぶんそれは気がつかれていないだろう。
 その日もぼくとタツオは早々に下校していた。放課後も女子に囲まれているフジワラを見たくなかったから。見たくない、というのは主にタツオでぼくはいつも下校時間になるとすぐに帰るのだけど。とくに今日は午前授業でおなかが減ったので早く帰って昼ごはんを食べたい。
「ちょっと待ってよ」
後ろから声がした。ふりむくとフジワラが追いついてきていた。
「僕もこっちなんだ。一緒に帰ろうよ」
タツオが口をあけて何か言おうとし、何もでてこなかったようでまた口を閉じた。だからぼくが答えた。
「いいよ」
フジワラはきらりと音がしそうなほほえみを返し、タツオはちょっと口をとがらせてぼくをにらんだ。それから気を取り直したようにフジワラの肩をたたく。
「しょうがねえなー。おれがいろいろ教えてやるよ」
精一杯かっこうをつけたつもりみたいだけど、背の高いフジワラと肩をくむのは無理があるみたいだ。
 タツオは調子よくしゃべり続けた。自分がいかにクラスで(とくに女子に、その中でもアリアに)人気があるのか、あることないこと得意げに話す。いいのかよ、とぼくは呆れたけど、フジワラはにこにこと聞いていた。ときどきタツオをほめたり、感心してみせたりする。その間もちらちらぼくのことを気にしているようすがひっかかった。タツオはすっかり心を許したようだった。
「じゃあ、おれんちあっちだから。また来週な」
大通りまで来ると、いつものように走って帰っていく。
「ぼくはこっちなんだ。君は?」
フジワラはぼくをみてほほえんだ。
「僕もこっちさ」
そのほほえみは今までの完璧なものとは違う、ぞっとするような冷たさを持っていた。
 しばらくの間、ぼくたちは無言で歩いた。やっぱりこういうときにタツオがいたら助かるんだよな。物怖じせずに誰とでもうちとけることができる。ぼくは引っ込み思案だし、なによりさっきの冷たいほほえみがひっかかっていた。
「サイトウリョウタくん、だったっけ」
口火を切ったのはフジワラのほうだった。
「うん。リョウタでいいよ」
「じゃあ僕もヒロキで」
名乗りあうのはなんとなく照れくさい。ヒロキは強い視線をこちらによこした。
「リョウタは最近変わったことがなかった?」
どきりとする。
「とても珍しいものを見たとか」
顔をあげるとヒロキの目が薄紫色にひかっていた。ぼくは観念してうなずく。
「この間の夜、未確認飛行物体をみたよ。ちょうどその目の色にひかっていた」
やっぱりな、ヒロキはつぶやいた。
「誰かにばっちり見られたと思ったんだよ。探すのは難しいだろうと思ったけど、同じクラスでよかった。動揺してたからすぐわかったよ」
教室にいたときのにこやかな顔ではない。無表情で何を考えているのかわからないヒロキの顔。整っている分だけよけいに恐ろしい。
「ぼくを殺すの?」
小さな声できいた。正体を知られた宇宙人はきっと地球人を始末するだろう。
「なんで?」
でもヒロキはまぬけな顔をした。血の通った人間に戻る。
「ただ話したいことがあっただけさ。殺すなんてとんでもない」
それからぐっと顔を寄せた。
「お昼を食べたらまた会おう。見せたいものがあるんだ」
薄紫色にひかる強い目で言われ、ぼくはうなずくことしかできなかった。
 別れ際にヒロキは一枚の紙を渡した。
「ここで待ってる」

 家に帰るとぼくは昼ごはんを用意した。もうおなかがぺこぺこだけど、買い置きのカップ麺のような便利なものはうちにはない。
 冷蔵庫をあけ、今朝の残りのごはんを出す。ベーコンを炒めながらごはんを軽くあたため、たまごを溶く。後はそれらを一緒に炒めて適当に醤油やこしょうをかけたら完成だ。自分の分だけ作ればいいから、こんなものでも十分だろう。
 ごはんを自分で用意するというと、驚かれる。単純に「すごいね」と言ってくれる人もいれば「かわいそうに」という目をする人もいる。いちばんよくわからないのが「男の子なのに」という感想だ。自分の食べるものを用意することに、男女差があるのだろうか。母さんはいつも
「家事をすることに男女の違いなんてないんだからね。生活のためには一通りできるようになりなさい。ただ、けがと火の元だけには十分気をつけて」
と言う。ぼくと分担することで自分の負担を減らそうとしているだけのような気もするけど。でも将来、一人暮らしをしたときになにもできなかったら困るだろう。ぼくはレシピ本を見たり、ネットで調べたりして簡単な料理を覚えた。
 超簡単なチャーハンを食べながらヒロキからもらった紙をにらむ。簡略化された町内の地図みたいだけど、なにかおかしい。よくよく見ると、存在しない建物があることに気がついた。プイスト公園なんて聞いたことがない。改めて見るとほかにもテアッテリ劇場とかサイラーラ病院なんてものがある。それらを線でつないでみる。いびつな六角形ができた。
「待てよ」
たった今引いた線を消して、向かいどうしの建物を線でつなぐ。アスタリスクのような形になり、ある場所が中心に浮かびあがってきた。
「ここか」
ぼくは食べ終わった食器を洗い、家を出た。
 地図が示していたのは一本向こうの通りにある空き地だ。この間まで閉店した蕎麦屋さんが残っていたんだけど、ついに取り壊された。思いのほかせまいスペース。
 ほんの数分でその空き地につく。なにも変わったようすはないし、誰もいない。ぼくはきょろきょろとあたりを見回して、そっと足を踏み入れた。
 そのとたん、ぐいんと体を引っ張られたような感覚がした。ものすごくせまいところを無理矢理通らされているように苦しいし気持ち悪い。景色がぐにゃりと回り、水の中にはいったようにぼやける。空気が重く、しめっている。やがて、すぽん、と音がしてどこかひろいところに放り出された。
「惜しかったね」
ヒロキの声がした。顔をあげ、ぼくは驚いて返事も忘れた。
 そこはアニメやマンガに出てくる研究室のように清潔で、無機質な場所だった。まんなかあたりにローテーブルとソファがひどくちぐはくに置かれている。ヒロキはそのソファに腰掛けていた。
「インテリアのおかしさは気にしないでくれ。一応君をもてなすために急遽用意したのだから」
「どういうこと?ここどこ?」
肩をすくめるヒロキに、ぼくはひどくこどもじみた質問をした。
「最初の質問に答えると、君を誘っておいて座るところもないのはあんまりだろうと思ってソファとテーブルを用意したんだ。おやつもある。ここへどうぞ」
うながされるままぼくはソファに座った。ほどよくふかふかで座りやすい。座面が深すぎず、背もたれまでの距離もちょうどいい。
「いいソファだなあ」
うちにも欲しいな。
「それはよかった。どこの家庭にも必ずあって、くつろぐために必要なものらしいから準備したんだ」
「うちにはないけどね」
そうか、必ずではないのか、とヒロキはうなずいた。
「それからあとの質問だけど、ちょっと答えにくい。なんと表現したらいいのかわからないんだ。とりあえず僕の家だと思っておいてくれ」
「家なの?蕎麦屋さんのあとの空き地だよね?」
しかも何もなかったのに。ヒロキはにやりとした。
「注意深く見ればすみにしるしがあったんだ。そこからはいればあんな苦しい思いはしなくてよかったのに」
「しるしって?」
「地図にもあるだろ」
ポケットにいれていた地図をひろげる。ヒロキも一緒にのぞきこんだ。
 ぼくは線を結んで、焦点がこの場所を示しているとわかった。それだけで家を飛び出してきたけど、紙の右下に扉のマークがついている。
「空き地の右側から入ればよかったのか」
そうそう、とヒロキはうなずいた。
「すごいな。こういうの作るの得意なの?」
ぼくはわくわくした。脱出ゲームとかなぞときゲームとかは好きだし、リアル型のゲームはまだやったことがないけど、いつかぜひやりたいものだ。
「いや、そこじゃなくてさ」
ヒロキは顔をしかめた。その目の色をみて思い出した。
「そうだ。宇宙人」
思わず大きな声を出すとヒロキはためいきをついた。
「宇宙人ね。まあ、いいけど」
でも、どうしてぼくを呼んだんだろう。やっぱりなにか実験されるんだろうか。
「まずはこれを見てくれ」
ヒロキはどこからかタブレットをだして操作した。ぼくの知っているものと少し違う。ずっと薄くてただのガラスの板のように見える。ぱりんと割れてしまいそうだ。ヒロキが画面をこちらにむけると、さまざまな映像が頭になだれこんできた。
 映像だけじゃない。感情や感覚までが流れ込んでくる。まるでぼく自身が、今この瞬間に体験していることのようだ。

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 これは我々と星々の、長い長いゲームだ。
 気が遠くなるほどの昔、我々は退屈しきっていた。ただここにいるというだけの存在。何をするわけでもなく、ただ宇宙にただよっていた。
 まっくら闇で、何もないかと思っていた宇宙にはいつしか星ができていた。ゆっくりと時間をかけて、それらは無数に増えていった。我々はただそれを見守った。
 ある時、ついに見守るだけではつまらなくなった。じゃまが入らなければ増えていって当然だ。我々は星々に提案した。
「どうだい。ひとつゲームをしないか」
我々が星を破壊し、星々はそれを阻止する。シューティングゲームのようなものだ。
「いいね」
星々はすぐにのった。彼らもまた、終わらない日常に飽き飽きしていたのだ。
 初めのうちは単純な攻撃で星を破壊しようとしたし、またそれでうまくいった。星々は大打撃をうけ、一時はずいぶん少なくなった。
 でも、そのうちに彼らは反撃方法を変えた。攻撃された星はあえて守らない。その代わりに、ちらばった星屑をあつめて、新たに小さな星をたくさん作る。我々が攻撃する度に星々はどんどん増えていった。
「そろそろルールを変えてみないか」
星々は我々に提案した。
「ここに新しい星を用意した。この星はちょうどよい場所にちょうどよいサイズで作ったから、生物を作ることができる。どうだろう。君たちがこの星に住んで、内部から破壊していくというのは。もちろん我々は破壊されないようにとても強い星を作ったし、再生していく手助けもする」
「おもしろいな」
新しい試みだった。我々は普段はとくに形がなくただ存在しているだけだが、なろうと思えばどんな形にでもなれる。
 こうして我々はその新しい星に、新しい生命として降り立った。
 できたばかりの星は高温高圧で、たいていの生き物は一瞬で消えてしまう。我々にとっても苦しい日々だった。できるだけ小さくなり、存在を消して耐える年月が長く続いた。やがて地表の温度が低下すると、今度は火山の噴火が相次いだ。あふれ出すマグマは危険だったけど、多くの火山が火を噴く様子はとても素晴らしかった。もくもくとわきあがる水蒸気の陰に隠れて、我々は生き延びた。
 それから、多くの隕石が落ちる時代が続いた。これは星々にとっても計算外のことだったらしい。慌てて軌道を修正したり、バランスを整えたりしていた。この衝撃で星が壊れるのならば、つまらないけれども勝ちは勝ちなので、我々はただ見守っていた。無数の星が降る光景は夢のように美しかった。
 やがてこの星も周りの星も調和がとれてきた。海ができ、雨が降り、我々も少しずつ活動できるようになった。
 初めは小さなものから、というわけで我々はバクテリアや藻の形をとった。もちろん、当時そういう名前をつけていたわけではない。これらはのちに人間が研究して名付けただけのものだが、わかりやすいようにその名称を使おう。
 あのころ、大気中にあったのは窒素や二酸化炭素だった。藻から始まった我々は二酸化炭素を取り入れて成長した。この星を破壊するビジョンがあったわけではない。まずは力を持った生物を作りだすまで生き延びねばならない。その一心で我々はさまざまな形をとって命をつなぎつづけた。
 今だって皆、生きようとしているだろう。傷や病はある程度のものなら自己回復力でなんとかできる。それは生命に「生き延びるべき」という意志が我々から引き継がれているからだ。
 話がそれてしまった。とにかく、我々は二酸化炭素の中で生きる生命となった。今とはまるで違う生命だと思ってもいい。そして、その生き物が力を持つまでつないでいこうと考えていた。
 ところが、この星の全土が凍ってしまう時代がやってきた。星々がこのことまで考えて配置していたのかはわからない。とにかくこの星がかちんこちんに凍ってしまって、多くの命が消えた。この期間に隕石が衝突でもしたら星も破壊されて、勝負は引き分けになっていただろう。
 氷の時代が終わると、突然大気のバランスが崩れた。今まで微量にしかなかった酸素が増加した。二酸化炭素に対応していた我々にとって、酸素は毒でしかなかった。残念なことに、このとき多くの仲間を失った。
 酸素をうまくとりいれられた仲間は生き残った。それが今日まで続く生命の元だと考えていい。
 問題は酸素に対応したときに、記憶が消えてしまったことだ。彼らはもう我々のことを覚えていない。星々とのゲームの記憶もない。ただ、生き延びる意志だけを引き継いだ違う生命だ。我々は困った。ゲームの駒がゲームのルールを知らずに勝手な行動をとったら、誰だって困るだろう。
 でもこの新しい生命の動きには興味をそそられた。星々とも話をつけて、しばらくはこの生命を観察することにした。新しい生命はゆっくりと着実に進化していった。真核生物から多細胞生物へ。彼らは驚くべき多様性をみせ、我々を楽しませた。それから脊椎生物が現れ、地上で生きる植物が生まれ、やがて動物も上陸した。
 多くの生命が現れ、また多くの生命が消えた。そのどれもが興味深く、美しかった。この新しい生命たちは我々の理解を越えた動きをする。もしかするとこの星と協力して生きていく生命なのかもしれない。それならそれで、この星を見守ろうと我々は決断した。この星で行うべきは破壊ではなく創造のゲームなのだとわかったからだ。
 星々も我々に賛成し、ゲームは一時中断となった。我々は新たな生命が現れるたびに観察し、記録をつけた。最初のひとつがどこで生まれたのか、最後のひとつがどこで消えたのか、すべてを記録している。
 おや、と思ったのはのちに人間と呼ばれることになる生き物ができてしばらくしてからだ。この生き物だけはほかと違う動きを見せた。我々は注意深く観察した。ほかの生き物より残忍で、衝動的で、破壊的で、思慮にかけている。個体にとっての欲を満たすことが第一で、そのためなら周りがどうなってもよい。そんな動きをみせる生き物は、ほかにいなかった。当然だ。周りが死に絶えた場所では自分だって生きられないのだから。
 人間は気に入らないものを排除し、どんどん進化していった。見た目こそそれほど変わらなかったが、身につけるものや住む場所や、道具にこだわった。肉体の限界を越えた速さで移動したがり、海にもぐりたがり、空を飛びたがった。我々はようやく、またあのゲームが始められることに気がついた。
 我々の仲間はこの星では死に絶えたが、破壊するという目的だけがどういうわけか残っていたようだ。それがこの星で最終的な進化をとげたこの生き物に現れたのだろう。
「ずいぶん時間がかかったが、どうやら準備が整ったようだ。またあのゲームを始めたいのだが、どうだろう」
我々は星々に提案した。
「もう君たちはすでに負けていると思うのだが、どうしてもというのならいいだろう。君たちの生命が引き継がれて、ここでようやく表に出たということだな」
「そうだ。では改めて、この星を舞台にゲームを始めよう」
我々はただ見守っているだけでよかった。人間はどんどん星を削り、地表をコンクリートで固め、川や海にさまざまな有害物質を流した。この星は多少のことなら耐えられるし、循環して再生する力もある。星々が手を貸しているから、ほかの星よりも強い。
 でもその再生能力よりも人間のほうが速かった。不要なものでいっぱいに埋め尽くし、もうすぐこの星をごみに変えてしまうだろう。そうなってもこの星がまだある限り、我々のゲームは続く。いつどうやって終わるか、我々はとても興味深く見守っている。

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 気がつくと、ぼくはソファにすわっていた。そうだ、ヒロキに誘われて家にきて、それからなにか映像を見せられたんだ。
「今のは、なに?」
ぼんやりした頭でつぶやく。我々と星々の戦いだって?映画かなにかだろうか。
「映画でもテレビでもないよ」
コーヒーが目の前に出された。
「コーラはないの?」
ぼくがきくとヒロキは顔をしかめた。
「あんな甘ったるい飲み物は好きじゃない」
でも砂糖とミルクを出してくれたので、ぼくはたっぷりと入れて甘いミルクコーヒーを飲んだ。ふう、これで少し頭がはっきりした。
「ヒロキが作った映像じゃないの?」
「違う。忘れてしまったのか?君だって我々の一部だったのに」
どういうことだろう。ぼくはしばらくだまってミルクコーヒーを飲みながら考えた。とうてい信じられないけど、論理的に考えるなら答えはひとつだ。
「あのさ、いくつか確認していい?」
ぼくはまとめた考えを話した。
・あの映像は誰かが作ったものではない。
・本当の出来事、というか記憶である。
・我々というのはいわゆる地球外生命体で、それが惑星を壊すゲームをしている。
・そして惑星も星というより地球外生命体のようなもので、壊されないようにしている。
・地球を舞台にしたゲームで、「我々」は地球の生物として誕生した。しかし酸素が急激に増えたことにより、多くの「我々」は死に絶えた。
・生き残った「我々」は進化を続け、現在の地球の生物となっている。これを「新我々」と呼ぶ。
・「新我々」に「我々」としての記憶はない。ただ生きるために生きている。
・人間にも「我々」としての記憶はないが、「我々」がやろうとしていたことと方向性が似てきている。
・「我々」は「新我々」と地球の勝負を見守っている。
「SFみたいな話だけど」
ヒロキはふっと笑った。
「まあ、おおむね合っているよ。僕たちは人間が「我々」のやるはずだったことをやっているのだと思っている。目的を忘れて、手段だけが残ってしまったんだろうね」
「それで、それをぼくに教えてどうしたいの?」
ぼくにはさっぱりわからなかった。これが本当だとしても、ぼくに教えたところでどうにもならない。
「着陸を見られたら、その相手によっては協力者になってもらおうと思っていた」
「協力者?」
「そうだ。君は以前、自由研究で海岸のごみについて調べたろ」
そう。去年の夏休みだ。海岸に落ちているごみの種類とか、海洋プラスチックごみについて調べてまとめた。
「その自由研究がどうしたの?」
「僕らに協力してほしいんだ」
ヒロキはまじめな顔でぼくに向き直った。
「さっき、我々はまたゲームを始めたと言っただろう。この星を内部から破壊するためのゲームだ。人間はその駒としてとてもよい働きをしている」
でも、とヒロキは少し声のトーンを落として続けた。
「でも、僕らはこの星に勝ってほしいんだ。せっかくこんなにたくさんの生き物ができたのに、壊してしまうなんて惜しいじゃないか。もういなくなってしまった美しい生き物もたくさんいる。せめて今いるものだけでも生き延びてほしいんだ」
 ヒロキの説明によると、「我々」と対立しこの星派になった「僕ら」がいるらしい。その「僕ら」は地球上で力になりそうな人間を探しだし、協力者になってもらっている。
「人間は確かに残酷で自分勝手な生き物だ。でもほかの生物を慈しみ大切にしようとする人間もいる。そんな人間を、僕らは応援しているんだ」
「でも、ぼくになにができるってんだよ」
思わず強い口調になってしまった。だって、自由研究をやりながらさんざん考えたことだから。
「ぼくにできることなんて、たかがしれてるよ。せいぜい使い捨てのプラスチックを使わないとか、落ちているゴミを拾うとか、レジ袋やペットボトルは買わないとか、そんなもんじゃないか。それでも地球上のごみは増え続けるし、平均気温は上がり続ける。二十一世紀になってもまだ戦争が起こるし、もうすぐ海の中は魚よりプラスチックごみのほうが多くなるんだ。そりゃあ、ぼくだって何とかできるならしたいけど、でもそんな力も頭脳もぼくにはないんだ」
 わかってる、ヒロキはぼくをなだめた。
「ひとりだけでは途方もないことだけど、地球上に何人も協力者がいる。なにもしないよりは絶対にましになるはずなんだ。さっきリョウタが言ったことをやるだけでも変わる。できることから、少しずつ変えていくために協力してほしいんだ」
 新しいコーヒーが出される。今度は砂糖もミルクもそえられている。ぼくはまたたっぷりといれて、甘いミルクコーヒーを一口飲んだ。それから
「そんなこと、言われなくてもやってるよ」
と言った。協力してくれなんて、言われなくてもできることはやっているんだ。
「そうだよな」
ヒロキはぱっと笑った。むかつくくらいに完璧な笑顔だった。
「疲れただろ。今日はもう帰ったらいい」
次の瞬間、ぼくは空き地の前にぼんやりと立っていた。西日が強く差している。じりじりと腕が痛い。
 それからときどきヒロキの家に行き、少しずつ詳しい話をきくようになった。ヒロキはいつも甘いミルクコーヒーを出してくれた。
「つまり、君は宇宙人ってことか?」
マグカップを置いてぼくはたずねた。宇宙人というべきか、地球外生命体というべきかは少し迷った。
「そう思ってくれてもかまわない」
少し考えて、ヒロキは答えた。
「厳密にいうと宇宙人というわけではないけれど、その呼び方のほうがわかりやすいだろうから」
ぼくはわくわくしてきた。
「じゃあ、今は人間に化けてるんだよね。本当はどんな姿なの?」
「化けている、というか。人間の形をとっている。このあたりでもっとも好感度の高い人間の姿を真似したんだ」
なるほど。ヒロキがあの俳優にそっくりな理由がわかった。
「おかげで町を歩くたびに目立って仕方がない」
ヒロキは肩をすくめた。外国人のようなその仕草がずいぶんと似合っている。やっぱり見た目のいいやつは得をしている。
「本当の姿、というものはとくにない。僕らは概念のようなものだから」
急に難しくなった。
「体がないの?」
「ないね。意識というか、命というか、一定の形をしているわけではないんだ。その時々によって便宜上の形に姿を変えることはできるけど」
「個々の差がないってこと?」
「そう。全体でひとつの生き物だと思ってもらえたらいい。ただ、僕らはそこから分裂しつつある存在なんだ」
アメーバ的なものだろうか。ぼくが考えていると、ヒロキはいいことを思いついたという顔をした。
「そうだ。僕らからどう見えているのかを見てみるといい」
そして、テーブルのうえに小さな箱を置いた。大きさは文庫本くらい。ふたは全体に細かい模様が彫られている。美しい工芸品のようだ。金属のようにも見えるし、石のようにも見える、不思議な素材でできている。
「開けてごらん」
うながされて、ぼくはふたに手をかけた。意外なことに箱はしっとりと暖かく、小さな生き物を抱えたようだった。
 ぱかり。
 そっと開けると、箱の中には宇宙が入っていた。比喩ではない。本当に無限の宇宙が広がっている。顔を寄せてじっくり見てると、どんどんひきこまれていく。
「この左のほう。これは過去の戦いだ。星がどんどん壊れ、どんどん生まれているだろう」
頭の中にヒロキの声が響く。ぼあんぼあんと反響している。
 左側に目をむけると、小さな固まりが砕けているのが見えた。じっと目をこらしていると固まりはだんだん大きくなった。りんごほどの大きさになると、表面のようすもよくわかる。全体的に灰色の石ころみたいだ。不意にかみなりのような閃光がはしり、星がくだけた。クッキーのくずのようなものがあたりに散らばる。散らばったくずはそれぞれゆっくりと回転し、くっつきあって大きくなった。見守るうちにまたりんごほどの大きさに戻っている。一つしかなかった石ころが無数に増えている。
「右下にあるのがこの星だよ」
声にしたがって、右下に目をむけようとする。でも上下左右の感覚がわからなくなっていて難しい。ぼくはいつのまにか宙に浮いているようだった。ぐるんぐるんとまわってしまって、体のバランスをとるのが難しい。広大な闇のなかに放り出されたようでぞっとするけど、心を落ち着かせるとただ箱をのぞいているだけだとわかる。視界のすみに、箱をかかえたぼくの手が見える。
 ゆったりと見渡すと、この星はすぐにわかった。ほかの石ころみたいな星たちとは違う。青いところや緑のところ。白いところも黒いところもある。ちょうど片手にのせるのにぴったりの大きさだ。ぼくは近づいてじっくりと眺めた(これはぼくもよくわからないのだけど、ぼくが近寄ったのか、星が近寄ったのか、あるいはサイズが大きくなったのか。だいたい文庫本ほどの箱にはいっているはずのない大きさなんだ。でも、とにかくぼくがよく見ようとするとどんどん拡大されていく)。
 遠目にはきれいに見えていたけれど、近づくにつれてそうでもないことがわかった。あちこちから煙が出ているし、黄色いもやがかかっているところもある。山は大きく削りとられ、燃やされ、海はごみで埋められていた。
「もっと、よく見てごらんよ」
ヒロキの声が響く。ヒロキはどこにいるんだろう。
 海岸でなにかひかっているので、そこに意識をむける。ぐんぐんと視界にせまってきたのは、打ち捨てられたたくさんのごみだった。光ったのは割れたビンだったらしい。
(これは・・・)
ぼくは自由研究を思い出した。実際に行けたのはすぐ近くの浜辺だけで、そこにもごみはあったけどここまでではなかった。ここは見渡すかぎり、汚れたプラスチックのかけらだらけだ。元がなんだったのかわかるものはほとんどない。ときどきペットボトルや洗剤のボトルらしきものがある。
 鳥の声にはっとする。近くに巣があるのだ。そちらに意識をむけただけで、鳥のヒナが口を開けているのがみえた。親鳥がやってきて、せっせと小さなものを与えている。
「それを食べさせてはだめだ」
ぼくは叫ぶけれど、声は届かない。ヒナはごくんと飲み込んでしまう。親鳥はまたせっせと青いキャップを与える。
 ぼくの脳裏におなかいっぱいにペットボトルのキャップをつめて死んでいる鳥の写真がよみがえる。海洋プラスチックごみの本に載っていたものだ。
 あたりにはちょうど鳥がえさにしそうなサイズのプラスチックが一面に散らばっている。親鳥たちはどんどんそれをくわえて運んでしまう。
「やめてくれ」
頭をかかえたいけれど、手が箱をつかんでいて離れない。目を閉じることもできない。
「今度はこっちだ」
またヒロキの声がする。声に導かれるようにぼくの視線は海のうえを漂う。
 波の上を漂う白い袋。日光と海水で色あせてぼろぼろだけど、これはスーパーやコンビニで使われているレジ袋だ。いやな予感がする。
 レジ袋はやがて下に引っ張られるように消えた。目をこらすとそこにはウミガメがいる。もぐもぐと口を動かしている。
「だから、食べちゃだめなんだよ」
ぼくは叫ぶけれど、ぼくにすらその声は聞こえない。
「見るだけ。声は届かないし、さわることもできないよ」
ヒロキがなだめるように言った。
 それからぼくの視線はさまざまなところをさまよった。ゴミの上で暮らすこどもたちの生活。行き場をなくして海にあふれるゴミ。ゴミを処理するという概念のないままに、プラスチック製品があふれる村。近隣の先進国から押しつけられたプラスチックごみに埋もれそうになりながら暮らす人々。海の底にも地中の奥にも、プラスチックのかけらがない場所など、もうどこにもなかった。
 ぼくの目からぼろぼろと涙がこぼれた。あとからあとから溢れて止まらない。プラスチックは自然に返らない。もう取り返しがつかないんだ。
「なんとかならないの?」
ぼくのつぶやきに、ヒロキの穏やかな声が答える。
「なんとかするのが、君たちの役目さ」
 それからぼくが見たのは、世界中のあちこちでプラスチックを使わないようにしている人たちの生活だ。使い捨てプラスチックを排除し、昔ながらの知恵と工夫でのりこえようとしている人たち。まだ少ないけれど、世界を変えようとしている人たちがいる。
 残った食べ物はラップをかけるのではなく、ふたつきの容器にいれる。生ゴミはコンポストに。さまざまな洗剤を一種類のせっけんに変える。はしやスプーンを持ち歩く。使い捨てのおしぼりは使わない。ペットボトルは買わずにステンレスボトルを使う。落ちているごみを拾う。
 あきらめかけていたぼくの心に、少しだけ気力が戻った。小さなことでもいいのなら、ぼくにだってなにかできるはずだ。
 はっと気がつくと、ぼくはソファに座り、小さな箱を抱えていた。いつのまにかふたがされている。ぐったりと疲れたぼくは大きなため息をついた。
「あれが僕たちの視点だ」
ヒロキがぼそりと言った。
「なにもかもよく見えるけれど、なにも干渉できない。僕らの技術ならプラスチックをなくすこともできるし、海に流れたマイクロプラスチックだってすべて回収できる。でも手は出せないようになってるんだ」
「じゃあ、どうするの?」
ぼくはほとんど絶望して聞いた。
「だから協力者が必要なんだ。少しずつでもことの深刻さを理解して、変えていける人間が増えたら、そうしたらこの星は生き続けられるかもしれない。今はそのぎりぎりの選択をせまられているときなんだ」
「だったらさ、みんなに言えばいいよ。みんなにもさっきみたいに見せてやってさ。政治家とかにも」
ヒロキは首をふった。
「そんなことしたら嘘だと思われる。だいたい宇宙人がどうとか言い出したら信じてもらえないだろ」
たしかにそうだな。ただのオカルト好きだと思われて終わりかもしれない。
「ぼくにできることなんて少ないけど、本当に変わるのかな」
「やらなければ、なにも変わらない。やればその分は確実に変わるよ」
ヒロキはまっすぐにぼくの目を見た。

 ぼくはずっと考えていた。ぼくにできることって、なんだろう。毎日ごみを拾うとか、使い捨てることをやめるとか、そういった個人的な取り組み以外になにかできること。
 ある日の学級会で、ひらめいたんだ。
「今日は文化祭でなにをやるか決めます。うちのクラスは教室での展示なので、なにか案があったら手をあげてください」
クラス委員の言葉にはっとした。もしかすると、これかもしれない。そっと教室をみわたすと、みんなひそひそ話したり、ぼくと同じように周りのようすを見たりしていた。
 そのとき、ヒロキと目があった。薄紫色の光がはしる。ぼくはうなずいた。心臓がどきどきして、いやな汗がにじむ。こんなふうに自分から発表したり意見を言ったりすることは苦手だ。でも、やらなくちゃいけないときは、やらなくちゃいけないんだ。
「はい」
ふるえそうになる手に力をいれて、おずおずと伸ばした。
「プラスチックごみの問題について調べて、展示したらいいと思います」
ごみ?何それ、地味じゃね?
ひそひそがざわざわに変わる。じっとりと汗ばむのを感じながら、ぼくは続けた。
「ぼくは去年の夏休み、海のプラスチックごみについて調べました。それでペットボトルのキャップやレジ袋を食べて死んでしまった生き物の写真を見て、とてもショックをうけました。それからはぼくはなるべくプラスチックを使わないようにしているけど、もっとみんなや、大人にもそういうことを知ってもらいたいと思います」
なにを言っていいのかわからなくなり、そこでぼくは言葉を切った。すっと、ヒロキの手があがる。
「賛成です。プラスチックごみの何が問題なのか提起し、さらに環境に与える問題や僕たちになにができるかを提案したいです」
おっ、とギリセンが声をあげた。学級会はみんなの自主性を重んじる、などと言っていつもは黙っているのにめずらしい。
「なにができるのか、というのはいいな。そういう前向きなの、いいと思う」
ずいぶん適当なコメントだ。
ざわざわはまた大きくなる。どうする?よくわかんない。難しそう。でもヒロキくんが言うなら。ねえ。うん。
 アリアがさっと手をのばした。
「いいと思います。私は環境問題とプラスチックの関係、そして未来のために何ができるのか考え、実行していきたいと思います」
はきはきと優等生的な発言をする。アリアのこういうところが苦手だ。でも、まとめてくれたことには感謝する。ぼくのしどろもどろの発言がずいぶん立派なものになった。
「すげえな、リョウタ」
タツオが振り返って言った。ぼくはひたいに浮かんだ汗をぬぐいながら、あいまいに笑った。 それからはアリアが中心になって進んでいった。驚いたことにアリアは、ぼくの自由研究を見たいと言ってきた。それに展示内容についてもぼくの意見を尊重してくれた。そうしてぼくたちは壁新聞を作ることになった。新聞だけではつまらないかもしれないので、教室のまんなかにマイクロプラスチックの展示などもする。クラスはちょうど五人ずつ五班にわかれているので、班ごとに制作する。などということがあっという間に決まり、次の週からはもう動きだしていた。ぼくはタツオによって「プラごみアドバイザー」という役を与えられ、詳しい内容や調べ方の相談にのった。
「そうだ。斉藤、ちょっと」
 ある日の放課後、ギリセンに呼ばれた。どきりとしたけど、雰囲気からして怒られることはなさそうだ。なにかプリントを手にしている。
「なんですか」
「うん。展示の進み具合はどうだ?」
「まあまあです。今は調べたことをまとめていて、来週から下書きできると思います」
昨日の様子を思い出しながら答えた。ギリセンはうんうん、とうなずいた。
「先生な、こんなのも展示したらいいんじゃないかと思うんだが、どうだろう」
そういって広げた紙はテグスを飲み込んだアホウドリやウミガメのおなかから出てきたプラスチックごみの写真がいくつも載っていた。
「こういう写真をパネルにして貸し出してくれるところがあるらしいんだ。解説もついていていいと思うんだけどね」
ぼくは黙って手に取って、しばらくアホウドリの顔を眺めていた。
「ちょっと、相談してもいいですか」
かすれた声でいって、そのプリントを借りた。
「あのさ、相談があるんだけど」
レイアウトについて熱心に話し合っているアリアに声をかける。派手でうるさい、というイメージだったアリアだけど、実際は真面目で、この展示にもとても真剣に取り組んでいた。だからこういう用があるときには声をかけやすい。そして今までぼくは表面的なものしか見ていなかったんだな、と気づかされる。
「なに?」
顔をあげたアリアの目は強くて、やっぱり怖じ気づきそうになるけど、悪意のないことはわかっている。
「ギリセンから言われたんだけど」
説明しながらプリントを見せると、アリアは真剣な顔でその写真に見入った。
「これ、いいと思う。こういうインパクト強いのって必要だよ。私たちの新聞じゃ伝わりにくいこともあるだろうし。サウトウくんはどう思う?」
「ぼくも。借りられるなら、展示したい」
その場にいたクラスメイトものぞきこみ、みんなこの写真が見たいと言った。
「やっぱりさ、ビジュアルは大事だよね」
「そうそう。文章だけじゃ伝わらない」
 貸出の申し込みはマイクロプラスチックを集める班がすることになった。ぼくとアリアは全体のレイアウトや展示方法を考える。
 次の週には、予想通り壁新聞の記事ができあがり、どんどんペン入れがされていった。
「おれさ、ペットボトルのジュースとか毎日飲んでたけどやめたんだ」
慎重に下書きをなぞりながら、フカミが言った。算数と体育が得意な活発なやつで、今まであまりつるんだことがなかった。
「家でもさ、使い捨てやめるべきって話をして。なかなか聞いてくれないけど、まじでやばいよな」
「私も」
横で下書きをしていたマスダが顔をあげた。清書に選ばれただけあって、字がとてもきれいだ。ということは、この作業が始まってから知ったのだけど。去年も同じクラスだったけど話したことはなかった。
「図書館から借りた本、家でも読んでるよ。今まで知らなかったけど、知れてよかったと思う。サイトウくん、すごいね」
びっくりしてすぐに返事ができなかった。ぼうっとしてる間に、ふたりとも作業に戻ってしまう。
「ありがとう」
お礼をいうのもどうかと思ったけど、口から出てきたのはその言葉だった。
 そういえばギリセンもコンビニ弁当をやめたと言っていた。テイクアウトにも容器を持参するようになったとか。最初は緊張したけど、ふつうに入れてくれたよーなんてホームルームのときに嬉しそうに話していた。学校で作っている畑にも、みんな興味を持ち始めて、うちのクラスだけ熱心に世話をしている。これで給食作れたらいいよね、などと言いながら。みんながこんなふうに興味を持って、真剣に考えてくれるなんて思ってもみなかった。ぼくは無意識のうちにみんなを見下していたのだろう。でも、知るきっかけさえあれば考え方や行動は変わるのだ。大人たちにも変わってもらわなくちゃ。ぼくたちが本気で、真剣に未来のことを考えているとわかってもらいたい。
 そうして文化祭の前日四つの素晴らしい新聞が教室をかざった。少し内容を見てみよう。
「海のプラスチックごみ」
 一九五〇年から二〇一五年の間に世界で作られたプラスチックは八十三億トンにおよびます。また、年間八百万トンの容器包装プラスチックごみが海に流れこんでいます。これらのごみは海流にのり、世界中に広がります。とくにたまりやすいところがあり、それは「太平洋ごみベルト」と呼ばれています。海の中で流されながらプラスチックは小さくくだけ、マイクロプラスチックとなり魚に食べられます。その魚を私たちが食べ、マイクロプラスチックも取り込んでしまっています。世界では使い捨てのプラスチックを規制する動きが出ています。日本でもレジ袋の有料化などが採用されましたが、まだまだ遅れている状態です。政策などに頼らず、私たち個人で減らしていくことが必要となっています。
「すぐできるプラスチックフリー」
 プラスチックごみを減らすためには、まず使うプラスチックを減らすことが重要です。すぐにできる簡単なものを紹介します。
・ペットボトルをやめてステンレスボトルを持ち歩く。
・使い捨てのスプーンや箸はもらわず、マイスプーンなどを持ち歩く。
・レジ袋は絶対に使わない。コットン製のバッグを持ち歩く。
・肉や魚のトレイをいれるビニール袋は必要ない。どうしても使いたい場合は別に布の袋を用意して、洗って使う。
・パッケージフリーの買い物をする。個別包装されているものは買わない、紙や瓶の容器を選ぶ。
・テイクアウトのときは容器を持参する。
 私たちが何を選ぶのかが、これからの社会を変えます。買い物は何を選ぶのか、どんな企業を応援するのかを示す重要なものです。できるだけプラスチックフリーのものを選びましょう。
「環境問題とプラスチック」
 温暖化により、気候が極端になっています。それは北極や南極が暖められ、ほかの地域との気温差が小さくなっているためです。気温差が小さくなると、熱波や豪雨の移動が遅くなるため極端な気候となるのです。また温暖化によって雪や氷河が溶け、地盤沈下がおこり、さらに気候変動が加速していきます。このスピードをゆるめるためには温室効果ガスを減らさなくてはなりません。
 環境問題もプラスチックごみ問題も、世界共通のものです。どこかの国だけががんばってもだめだし、どこかの国が怠けてもだめです。どこか遠いところの誰かががんばるのではなく、私たちひとりひとりができることをしなくては、この目標を達成できません。
「未来に向けてできること」
 まずは使い捨てをやめ、これ以上多くのごみを出さないこと。発展途上国ではプラスチックごみの処理が追いつかず、ごみに埋もれて生活をしている人々もいます。私たちの出したごみがその人たちの生活に影響を与えているのかもしれません。まずは分別をしっかりして、ごみを減らしましょう。プラスチックごみの問題について考えることは、地球の未来について考えること。温暖化も児童労働もすべてがつながっていて、切り離して考えることのできない問題です。「持続可能」「誰も取り残さない」という言葉はきれいごとではなくて、本当に必要なことです。私たちが自分のこととしてとらえ、行動することでそんな未来に近づいていきます。
 借りてきた写真パネルは迫力があり、とても目をひく。長机には瓶につめられた、海から採取してきたマイクロプラスチックがどんと置かれた。それから庭でぼろぼろになりつつあった洗濯ばさみや劣化したビニールなども見本として並んでいる。きちんとキャプションがつけられて、とても立派な展示になった。
 ぼくはそれらを眺めてぼんやりしていた。黒板には大きく「環境問題とプラスチック~未来のためにできること~」と書かれている。その下に少し小さく「大人を教育しよう!」とポップな感じで書いたのはアリアだ。調べ物はだいぶ難しかったし、わからないこともたくさんあって骨が折れた。でも、大人にきちんとわかってもらいたくてぼくたちはがんばった。だって気候変動やごみ問題についての子ども向けの本はたくさんあるのに、大人はなにも知らずにいるんだから。ぼくたちもこれから勉強するけど、まずは大人が今できることをやってほしい。精一杯、それを伝えたつもりだ。
「できたな」
いつのまにかヒロキが横にいた。
「うん。明日が楽しみだね」
ああ、と言ったヒロキの目はやっぱり薄紫色で、ぼくは思わずみとれた。
 でも次の日、ヒロキは来なかった。ぼくたちのクラスは評判がよくて、ほかの学年の保護者たちも大勢きた。みんな感心してあれこれ質問したり、真剣に考えたりしてくれた。金賞は逃したけれど、特別に教育賞という賞をもらった。それなのに、片付けの日も、その次の日もヒロキはこなかった。
「ヒロキくん、風邪かなあ。今日も休みならお見舞いに行こうかなあ」
アリアの声が聞こえて、タツオが肩を落とす。チャイムと同時にギリセンが駆け込んでくる、いつもの朝。起立、礼。
「今日は残念な知らせがある」
ギリセンの言葉に、教室はしんとなった。何のことか、みんなうっすらわかっている。
「藤原宏基くんだが、親御さんの仕事の都合で急に外国に行くことになったそうだ。みんなにお別れを言うひまもなくて残念がっていたよ」
そんな、と悲鳴が聞こえ、アリアが泣き出した。ギリセンは話を続けたけど、ぼくの耳には入らなかった。
 一日中うわのそらで過ごした。タツオが心配そうにしていたけれど、うまく返事もできない。授業が終わるとすぐにランドセルを肩にひっかけて教室を飛び出した。靴をはきかえるのももどかしい。つんのめるようにして昇降口を飛び出す。
 ばたんばたん、ばくばく、ばたんばたん、ばくばく。背中ではランドセルが、胸では心臓がうるさい。あの、もとは蕎麦屋さんだった空き地まで、ぼくは走った。空き地には工事の車が入り、掘り返したり土を盛ったりしている。あの右下の入り口はもう作業車やなんかにふさがれていた。
「危ないから、さがって」
車を誘導している人に言われ、ぼくはとぼとぼと引き返した。がっくりしたまま家に入り、ランドセルを放り、どさりとベッドに倒れる。ぼくにくらいなにか言ってくれてもよかったのに。でも、きっとまたどこかに協力者を探しにいったのだろう。ぼくはここで、ぼくにできることをやり続けるしかない。
 ぼくはのろのろと机に向かい、ノートを取り出した。あの日の日記を開く。こんなんじゃ足りない。もっときちんと記録しなくては。


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