橋の上で会いましょう 第2話
「おまつり」
ふと、懐かしい音がきこえた。なんだろう、あれは。
ふらふらと歩いていくと、音は大きく、はっきりとしてきた。そうだ、祭り囃だ。そう気がついたと同時に、自分が下駄をはいていることにも気がついた。思わず立ち止まると、紺色の浴衣を着ている。白い花が大きく咲いて、ところどころに赤が散っている。帯は無地のからし色の半幅帯。
今日はお祭りなんだった。そう、だからそこに行こうとしていたんだ。
気を取り直して歩いていくと、広い橋にでた。木でできた古そうな橋は、朱色の欄干でどっしりとしていた。どこまでも長く続いているように見える。向こう岸はかすんでいて見えない。橋の両側にはずらりとお店が並んでいる。わたあめ、かき氷、やきそば、たこ焼き。射的に型抜き。金魚すくいもヨーヨーつりもくじもある。テーブルといすもいたるところにあって、人々が楽しそうに飲み食いしていた。
その中を一人でゆっくりと歩く。何かを探しているような、誰かと待ち合わせているようなそれがわからないような心許ない気持ち。
橋の中程、ちょうどアーチのてっぺんあたりに少女がいた。欄干にもたれて人の流れを見ている。射るようなきつい眼差し。その姿に見覚えがあるような気がした。足をとめると、少女もはっとこちらを見つめる。ああ、同じクラスの山内さんだ。
でも、何かおかしい。何かひっかかる。
「なんであんたがいるのよ」
山内さんはちょっと顔をしかめて近づいてきた。
「え、ごめん」
思わず謝ると、彼女ははあーっと深いため息をついた。
「いや、いいや。いこう」
なんとなく並んで歩きはじめる。
「いいの?誰か待ってたんじゃないの?」
「待ってたら、あんたが来たんじゃない」
山内さんは足をとめてりんご飴を買った。つられて私は横のチョコバナナを買ってしまう。トッピングがたっぷりついたやつ。
「りんご飴って食べにくいから、いつも避けてたんだ」
バリバリかじりながら山内さんがいう。
「わかる。絶対落とすし。歯も欠けそう」
その点、チョコバナナはやわらかいからいい。のうてんきな甘さ。ちょっとのどにつまるけど。
ざっと強い風が吹いた。私はふと大事なことを思い出す。
「ねえ」
彼女が振り向く。ちょうど向こうの屋台のあかりがまぶしくて表情が見えない。
「山内さんってさ、死んだんじゃなかった?」
あーあ。また大きなため息をついている。
「そうだよ。それで、今日は初めてのお盆で、おまつりでしょ」
そして、私の目をのぞきこむ。
「あんたは、誰に会いにきたの?」
そうだ、私が会いたかったのは。会いたかったのは・・・。
黙りこんだ私をみて山内さんはふっと笑った。
「仕方ないよ。なぜかあたしと会っちゃったんだし。そんなに仲良くもなかったのにね」
ヨーヨーつり、しようよ。しゃがみこんだ山内さんのとなりに私も並ぶ。顔のよく見えない影のような姿がつり針をくれる。二人して手をのばして狙いをさだめる。そうっとつりあげたとき、ばしゃん。私はつり針ごと落としてしまった。つづいて、ばしゃん。山内さんのヨーヨーも落ちる。
「あー、もう。おしかったのに」
この子、影がない。水面にも地面にもなにもうつらない。今更のように気がついた。よほど青ざめていたのか、山内さんが心配そうな顔になる。
「どうしたの?どっか座る?」
うなずくのが精一杯だった。空いていたべんちに腰掛ける。山内さんは、ちょっと待っててと駆けていった。やっぱり影のない後ろ姿を見送る。
ぼんやりと座っていると、いろいろな人が通り過ぎた。焼き鳥とビールを手にした女の人。ヨーヨーやスーパーボールで遊びながら歩く子ども。わたあめを食べている人。たいてい二人づれだと気がついた。そしてその片方の人は影がない。私は目をこらした。あの人たちも、あの人たちも。この人たちもそうだ。
「だから、死んだ人と遊べるおまつりだよ。知らなかったの?」
いつのまにか戻っていた山内さんがアイスクリームを渡してくれる。
「知ってた、かも」
甘くて冷たくておいしい。頭が少しはっきりしてきた。
「そうだ、この浴衣を着ておまつりに行けば、会えなくなった友だちに会えるって、おばあちゃんが。でもそんなの迷信だと思ってた」
どうせ気休めだと思っていたけど、あの子に会えるかもしれないと思って、それで来たんだ。
「あたしも。でもおかあさんがお供えしてくれてたから」
白地に紺の花模様の浴衣。紫の半幅帯。私と色違いのような山内さんの姿。
「ほかのみんなは、どうしたのかな」
山内さんがぼんやりと言った。
「ねえ、あたしのお葬式って行った?どんなんだった?」
くるりとこちらを振り向いて聞く。
「ごめん、私行ってないんだ。クラスの代表とか仲良しの子だけにしろって、担任が」
ちょっと申し訳ない気持ちになる。でも、あの時は私は私でつらい思いをしていた。それほど親しくもないクラスメイトのお葬式のことなど、考える余裕すらなかった。
「そうか。だよね」
「本当は竹田くんが来たらいいって思ってたんでしょ」
何気なくそういうと、山内さんはみるみるうちに真っ赤になった。
「何言ってんの。別に、そんなんじゃないし」
慌てたようすに、思わず吹き出す。こんなに狼狽するような人だとは思わなかった。
「私がきて、ごめんね?」
「別にいいんだってば、そんなの」
山内さんはなにかごまかすように、むしゃむしゃとコーンをほおばる。
「ねえ」
ばり。私はコーンをかじる。
「本当は、どうして死んだの?」
こんなことを本人に聞くのもどうかと思うが、どうしても知りたかった。
山内さんは電車にはねられて死んだ、らしいということしか私は知らない。事故なのか、自らなのかもわからない。担任も詳しくは知らないようだった。
でも、だから、ずっと考えていたのだ。深刻にといいう訳でもないけど、頭のすみにずっとあった。もし、自分でとびこんだのなら、どうしてなんだろう。こんなにかわいくて、明るくて、いつもみんなの中心にいたのに。竹田くんのことを言われたくらいでうろたえて、赤くなってるのに。私とじゃなくて、竹田くんとおまつりに行けばよかったのに。このおまつりじゃなくて、ふつうのおまつりに。
「いや、事故っつうか、まあ、うっかりだよ」
山内さんはまじめな顔になった。
「死のうと思ってたんじゃないけど、死んでも別にいいや、くらいには思ってて。それで家に帰らないでふらふらしてたんだ。踏切待ってるつもりだったんだけど、なんかふらーって」
「もったいない」
思わず口から出たのは、変な言葉だった。でも本当にもったいないと思う。
「うん。自分でもそう思う。ってか、あんたとこんなに話したのが死んでからなんてうける」
にこりともせずに、山内さんは言う。
「こんなことなら、死ぬ前に話せばよかった、なんて言わないでよ」
私が言うときょとんとした。
「なんでわかったの?」
「いや、ベタすぎるでしょ」
二人で吹き出してしまう。
「死ぬ前には死ぬなんてわかんないし、生きてる時には話題もなかったでしょ。しかたないことだよ、もう」
あのときこうしていたら、なんて考えてはいけない。私はもう百回くらい考えた。
「でも時々、ってかマンゴー味のものみると思い出す」
私が言うと、山内さんは怪訝そうな顔をした。
「マンゴー味のプリンとかアイスとか好きだって言ってたでしょ。山内さんたち声でかいから聞こえてた。それがなんとなく頭に残っちゃって、そういうのみるといつも思い出しちゃうよ」
たぶん、これからも。
「ありがと」
山内さんはちょっと泣きそうな顔をして、それから笑った。
「みんなも、そうかな」
「みんなはもっと、いつも思い出すでしょ。私でさえけっこう思い出すんだから。いつも思ってるんじゃない?竹田くんだって」
「もういいよ、竹田のことは」
怒ってぶつふりをして、また笑った。もうクラスで山内さんの話題がでることはない。まるで最初からいなかったみたいに。でもたぶん、みんな頭のどこかで考えている。マンゴー味なんかをきっかけにして。話題にするにはまだ、傷が癒えていないだけ。
「会えてよかったよ」
私が言うと
「うん、話せてよかった」
山内さんも素直にうなずいた。
じゃあこれで、となんとなく自然にあちらとこちらに別れる。気がついたらみんなそうしていた。あちらへは影のない人。こちらへは影のある人が向かう。
また、ざっと風が吹いた。
足に柔らかいものがあたった。うつむくと、あの子がいた。いつものように首をかしげ、笑っている。茶色と白の模様の毛皮。ぶんぶんと振っているしっぽ。
「会えた」
しゃがみこみ、首もとを抱きしめ背中を撫でる。少しざらざらした手触り。獣くさいにおいがする。あの子はしばらくじっとしていたが、やがて鼻をならし、身をよじって離れた。
「もう行くの?」
私のほおをぺろりとなめ、さっと走っていく。行かないでほしいのに。
また来年、この橋にきたら会えるかな。
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