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自己紹介〜大学時代〜

前回、高校時代の振り返りを書いた。

ざっくり言うと、トップの学力を誇り順当に大学へ進学した優等生のような高校時代だった。

さて、今回は大学時代を振り返ってみようかと思う。

情報工学科に入学!プログラム言語に苦戦

大学受験で僕が合格したのは、工学部情報工学科。
つまり、パソコンを使った情報処理、プログラミングを勉強するところと説明するとわかりやすいだろう。

何故ここに入ったか?

推薦入試で僕の得意な科目の学科がここだったから、という理由のみで、プログラミングを勉強したかった訳ではない。
とは言え、プログラミングみたいな手に職的な技術を身につけておくと困らないかな、くらいの感覚。


しかし、いざ学校が始まってみるとどうだろうか?
全く勉強についていけない。
大学教授が言っている内容が理解できない。日本語を喋っていると思えないくらいにわからず。

結果的に、僕は64人いた学年で、下から数えた方が早いくらいの成績となった。

小学校時代〜高校時代の自己紹介記事を読んでもらうとわかるが、今まで優等生並の学力できた自分にとってはとても屈辱的な出来事だった。


勉強で言うと、大学時代はほんとぎりぎり『可』の成績で、単位を取得していくほどの悪戦苦闘な日々だった記憶しかない。

サッカーサークルで大学生活を満喫

大学にはたくさんの部活やサークルがある。

その中から僕が選んだのは、サッカーサークルだ。(←もちろん、モテそうだからだw)

高校時代でサッカーを練習した甲斐あって、さすがに大学のサッカーサークルは問題なくついていけた。


サッカー自体も楽しかったけど、何より楽しかったのはサークル仲間と過ごす日々やイベント事だ。


自分の家が大体溜まり場で、ひたすらウイニングイレブンをしていた。
このときはウイニングイレブン3とか4辺りで、めちゃくちゃ極めていた。ウイニングイレブン勝負ノートみたいなんを仲間内でつけていて、勝率は94%と誇っていた記憶がある。

サークルでの新人歓迎会や学祭、リーグ戦、旅行、そして恋愛など、さまざまな思い出を作った時期だなと思う。


ほんと何気ない日々だったのだが、とても色濃い大学時代だなと思う。

当時『オレンジデイズ』という妻夫木聡と柴咲コウが主演の大学生活の舞台としたドラマが流行っていて、なんかそれも相まって(真似てw)素敵な大学生活を送ったなぁと思う。これね↓

鎌倉パスタ始めバイト生活で得た社会経験

大学生になって初めてバイトをした。

初めてやったバイトはホームセンター。陳列や在庫整理などをしていたので、地味なバイトだったけど初めてやれる社会経験に楽しさを覚えた。

もっと華やかで出会いがあるバイトしたいなぁ〜と思って、次に選んだのは『鎌倉パスタ』のバイト。

今となっては割と知っている人も多いかもしれないけど、実は僕バイトに入った『鎌倉パスタ』が日本第一号店なのだ。しかも、オープニングスタッフ。

『鎌倉パスタ』って、鎌倉じゃないの?と思う人が多いけど、実は岡山本社なのだ。そして、親元の会社はサンマルクなのだ。これ意外と皆知らない。
サンマルクって、店名に地名をつけるのが好きな印象。他にも地名がついたお店あるので探してみて!


『鎌倉パスタ』のオープニングスタッフに入った理由は、女子が多そう、出会いがありそう、モテそうだから。(←ここでもまだこんなことを言っている)

ただ、案の定と言ってはなんだけど、オープニングスタッフ約40人中、男子は僕ともう一人だけだった。パラダイスw


鎌倉パスタでは全てのポジション(キッチン、ホール、パントリー、ベーカリー)をマスターして、バイトマネージャーを任された。
また、実店舗研修のお店でもあったので、社員に向けた研修なども自分が行っていた。研修を経た社員が、今日本全国の色んな店舗にいるだろう。

接客を通じてお客さんとのコミュニケーションや、バイトマネージャーとして組織マネジメントや人の活かし方、店舗としてのサービスレベルの向上など色々学んだ2年間(大学3〜4年生の間)だった。


ちなみに、大学4年生になってから掛け持ちする形で韓国料理屋さんでもバイトをした。
理由は、新しいことを学びたかったからと、その韓国料理屋さんのホスピタリティがすごかったから単純にそのお店で学びたいという向上心から。

働いていた韓国料理屋さんはここ。大人なお店なのでオススメです。

社会人に向けての面接祭り

理系だったので会社に入社するためにも推薦枠があったのだけど、僕は会社の面接ってこの時期くらいしか出来ないだろうなと思って、あえて推薦枠を手放して自分で会社を探すことにした。変わってるなぁと思う。

ひたすら会社説明会に行ったり、合同説明会に行ったりして会社担当者とコンタクトをとって、たくさん面接に臨んだ。

岡山の会社を中心に面接を受けつつ、地元の関西の会社も受けた。
たぶん20社ほど面接を受けたと思うけど、結果的に全て内定をもらっていた。これも今考えるとすごいなと思うけど、面接対策もたくさんしたし、途中から面接慣れしてきたことも強かった。

自分の足で色んなところへいって、自分の目で見て確認して、自分の肌で色々感じた。
結果的に、バイト先の方の友人が勤めているシステム会社に決めた。

当時、小泉内閣でIT革命を推していたこともあって、大学で学んだことが活きると思ってシステムエンジニアとなった。これで食いっぱぐれることはないと思った。

決め手は、関西本社でありながら、大企業であり、色んな事業体に関われそうだと感じたからだ。
(ここではモテそうはでてこないw)

そして、社会人生活が始まる。この先のざっくりはこちらの記事に書いた。社会人生活の詳細もまた色々書いてみたいと思う。


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