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巻き寿司の思い出

先日は節分だった。節分に恵方巻を食べるという習慣がいつから一般化したのかは覚えていないけれど、いまやクリスマスやハロウィンのような国民的行事になっているようだ。永田町のえらい先生方も、恵方巻を食べて国の安泰を願ってくれているのだろうか? それはさておき…

何かの拍子に子どものころの記憶がふとよみがえることがある。先日もxを見ていて、恵方巻ではなく太巻きであるというような話題になった時、あるお話を思い出した。それは「おとうと」というタイトルだった。

登場人物は姉と弟。運動会の時に母親がお弁当を持たせてくれたのだが、それが巻き寿司だった。ところがそれを食べようと思ったら、切ってなくて太いままだった。二人はたいそう困ったが、どうすることもできず、太いまま頬張ったというような話だったと思う。

この話の中に出てくる棒のままのお寿司が美味しそうで、私はどうにも食べたくてたまらなくなった。その後、母に無理をいって太いままのお寿司を作ってもらい、それを半分ぐらいに切ってそのまま頬張って食べた。美味しかった。

その後、このお話の記憶も薄らいで、そういう経験をしたことも長い間、忘れていたのだが、恵方巻の話題がきっかけで思い出した。

もう太巻きのお寿司が食べたいとは思わなかったが、このお話が気になった。そこで、弟・お寿司・童話というキーワードで検索をかけたところ、
「発言小町」でヒットした。

それによると「おとうと」ではなく、タイトルは「弟」だった。作者は宮口しづえさん。調べたら長野県出身の児童文学者で、「信州児童文学会」の会長を務められた方だった(ウィキペディアより)。

しかもこのお話は、大人になり死の床にある弟を姉が見舞って、子どものころを回想している悲しいお話なのだった。それなのに肝心なところは頭からスコーンと抜け落ちて、棒のままのお寿司の場面だけが鮮やかに残っていたのだった。

忙しい母親が切るのを忘れて子どもたちに持たせた棒のままの巻き寿司。昨今の恵方巻のようにゴージャスな食べ物にはほど遠かっただろうと思うけれど、姉弟にとっては母の愛情がこもった何よりのご馳走だった。

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