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新卒1年で転職したりYouTuberしたりしているベンチャー勤務27歳マーケターのキャリアアップ論

この文章を書く目的

年度が切り替わり、私も社会人3年目を終え、4年目になったので、これまでのキャリアを振り返ってみたいと思います。働き方や生き方について考えてみたい方・悩んでいる方、転職活動中の方にとって、有益な情報になれば幸いです。


悩みまくりの就職活動

学生時代の私は、4年間まるまる体育会の野球部での活動に費やしました。法学部での勉強もあまり精力的に取り組んだわけではなく、単位を取れれば良いという意識で試験前のみ必死に勉強していました。

就職活動が始まると、それまでキャリアについてあまり考えてこなかったため、自分がやりたいことや、将来のビジョンといったものがわからず苦戦しました。
周囲の部活の友達がそうするように商社・テレビ・広告などのキラキラ日系大手の企業を受けまくった結果、第n志望の日本生命に内定し入社しました。
自分の中では、保険といったものや日本生命という会社への思い入れはあまりなく、入社が近づくにつれて、ネガティブな気持ちが増していったのを覚えています。今振り返ると「就職活動を早く終えて、部活も就活もない自由な時間を楽しみたい」という気持ちで就職活動していた事はよくなかったと思います。


相変わらず悩んでいた日本生命での新卒1年目

日本生命に入社してからは、まず、支社と呼ばれるところに配属されて、主に個人保険営業をしたり、営業職員の方々の業績の管理や営業の同行をしていました。

当時、仕事に対して熱量を持てず、全力で取り組めていないことが非常に苦しかったのを覚えています。
これは営業という仕事であったり、保険という業界が合わなかったというよりは、自分が中途半端な意志で就職先を選んだことにありました。つまり、仕事で苦しむことは入社前から決まっていたことなのかなと。

一方で、同期や先輩には恵まれて、研修の時間だったり、業務の合間で同期と話せる時間や会社の人と飲みに行ったりするのは楽しかったです。

ある日、大学時代の友人に仕事についての不満を言ったところ、「それは悠介に問題があるのではないか?」と言われたのをきっかけに、日本生命での業務を何とか楽しいものにできないかと工夫を始めるようになりました。営業職員の方々のモチベーションがどうやったら上がるか、営業所の成績がどうやったら達成できるかを考えながら、必死に目標を持って取り組んでいましたが、心の底から楽しいとは思えない状態は続いていて、しんどかったです。


入社半年で転職活動

この時期に転職活動も始めましたが、平日の夜や休日を使っての転職活動は結構きつかったです。
外回りの間にファミレスでしれっと職務経歴書書いたりしてましたが。
でも、そういうのって罪悪感あって意外とストレスかかるんですよね。

それでも自分1人で考えすぎずに、いろいろな人に相談できたのは、最終的に転職がうまくいった要因だったと思います。それは、転職エージェントや転職サービス、OB訪問といったものだけではなく、自分をよく知ってくれている友人などに相談したことも大きかったです。

転職の軸は、「人々にとっての仕事の概念を変えられること」というものでやっていました。
1日8時間、年間200日行う仕事というものが「つまらない」とか「つらい」というのは、自分にとってはどうしても納得のいかないことだったので、そういった状況を変えられるような仕事を探していました。

業界としては、いわゆるHR(HumanResource)と呼ばれるところを中心に見ており、具体の企業名で行くとウォンテッドリー、ビズリーチ、パソナ、アトラエなどを見ていました。

京大の先輩が起業(ゲツラクという会社)していて、ちょうどHR業界だったので、選考を受けさせていただいたりもしました。(ゲツラク:月曜を楽しく、という由来で”まさにここだ!”と思いました)

ゲツラクの募集は、キャリアアドバイザーというポジションでの募集だったので、求職者との面談を想定したロープレがあったのですが、求職者役の人のニーズを把握できず、解決策も提示できず、ひどいロープレをかましてしまいました。

ただ、そういった立ち上げ期の企業についても知れたことで、アーリーフェーズの企業で働くことも楽しそうだなと思えた事は収穫でした。それと同時に日系大手で働く人よりも、ベンチャー企業で貴重な一戦力としてがむしゃらに働いている人の方がスキルが高いなと感じるようになりました。これはずっと野球をやってきた私にとっては大きな発見で、年収や肩書といったものよりも、1プレイヤーとしてビジネスが上手なのか下手なのか、という事はとても重要なんだと気づきました。


現職、ユースフルとの出会い

新卒1年目での転職活動は、やはり京大という学歴をもってしても(ウザい(笑)けど、良いか悪いかは別として業界によっては割とガチで考慮要素にはなってきます。)難しいもので、書類は通過しても面接で落ちてばかりでした(これは私が無能なだけ)。

スカウトサービスや大手のエージェント経由で受けた企業は落選しましたが、Greenというサービス経由で受けた設立10年くらい?のIT系コンサルティング会社からは内定をもらうことができました。その時同時に受けていたのが現職であるYouseful株式会社(ユースフル)でした。会社で運営している二つのYouTubeチャンネル(Excelと就活)が有名だったので、社長のおささん顔を見たときに、「あのYouTubeでExcelを教えている人か!」となりました。

昔から情報発信というところに興味はあったので、私の転職の軸と親和性のある就活というジャンルで、YouTubeをやっていたユースフルには、シンプルに「楽しそう」という印象を抱いていました。
採用活動等の情報はなかったのですが、コーポレートサイトの問い合わせから直接連絡をするというインサイドセールスばりの手法で勝手に連絡したところ、快く承諾してもらって、オンラインで最初に副社長のサスケさん(現トプシュー株式会社社長)と話しました。

新卒一年で転職先も決めずに日本生命を飛び出し、これといったスキルがなかった私は、面接の時もめちゃくちゃ不安だったのですが、おささんから「佐藤さんのような優秀な方が応募してくれる会社になったことが嬉しいです。ぜひご一緒しましょう」と言っていただいたのはすごく嬉しかったです。

とはいえ、やはりすぐに正社員での採用というのは、ハードルが高かったようで、まずは業務委託として働くことになりました。収入面ではかなり日本生命の時からは落ちた状態になってしまったので、貯金を切り崩しながら、実家で暮らしながら、半年くらい業務委託としてユースフルで働きました。

正直、その期間も今ほど熱量高く働けていた訳ではなかったのですが、転職活動を長い期間かけてやっていった中で、ある程度はユースフルがフィットしていると感じた事と、最終的にはこの人たちは信頼して大丈夫だと思えたことが要因となって、入社を決めました。


余談ですが、私は大きな決断をする際に「よし!これだ!」と思えない性分なので、後悔しないくらいめっちゃ調べて考え抜いて、「これなら選ばなかった方の選択肢に浮気しないな」という状態を作るよう意識しています。そうすれば、いったんは選んだほうに集中できるようになって、全力投球しているうちにこだわりとか思い入れが出てきて「これ好き」という状態になります。自分のことを「優柔不断だな」とか「飽き性」「継続力がない」と感じる方はよかったら試してみてください。

「嘘をつかない」が採用理由

採用のオファーをいただいた時に1番の理由として挙げてもらったのが、「嘘をつかない」ということでした。第二新卒での転職だったということもあって、ユースフルの人たちも自分を即戦力というよりは、私を投資対象と見ていたので、ミスや至らない点を隠さずに周囲に伝えられることが、伸びしろの源泉だと思っていただけたのだと思います。

Slackや社内のコミニケーションを見ていて、長時間労働とか激務と言ったことに対してかなり不安はあったのですが、例えば自分が体調崩した時とかにこの人たちは、それでも「働け」と言ってくるかと聞かれたら、多分そうではないなと思ったので、最終的にはこの人たちを信頼していいんだろうなと思いました。

ユースフルに入ってからはまずは法人営業として、YouTube「トップ就活チャンネル」(当時チャンネル登録者5万)に出演する企業を募集していました。法人営業自体は未経験だったし、広告という商材の難しさもあって、なかなか契約が取れませんでした。商社で4年間営業を経験してきたサスケさんとの差を痛感し結構しんどかったです。


無能すぎてメンタルやられかける

会社が就活のメディア事業から中途採用支援事業にピボットしたことをきっかけに、今度は、人材紹介事業の立ち上げメンバーとして様々な仕事に取り組んでいました。ただ、サスケさんや他の優秀なメンバーがその中心であり、自分は雑務的なものをこなすことが多く、やりがいを見いだすのに一苦労でした。
優秀なメンバーの方と共通言語がない中で、コミニケーションを成立させるのは非常に難しかったです。自分の回答が相手の意図したものになっているか不安で、Slackの返信1本を考えるのに、20分ぐらい考えたり、返信しても相手から「え、どういうこと?」と聞き返されたり、そんなことも多々ありました。それでも愛情を持って指摘をしてくれる人や優しく声をかけてくれるメンバーに恵まれて、何とか折れることなく業務をやっていました。


転機となった法人営業からマーケティングへの異動

入社して半年ぐらい経った時に人材紹介をやっていたキャリア事業からExcelなどのIT教育をしていたスキル事業へ異動になり、職種も法人営業からWEBマーケターに変更となりました。異動後は、オウンドメディアの運営に携わりました。

ただ、そこでもやはりWEBマーケ業界で5年ぐらい経験がある業務委託の方とレベルの違いがありすぎて、コミニケーションに苦労しました。しかし以前の反省もあり自分の至らない点をしっかり受け入れて、謙虚に学ぶことができたので、より速く成長ができたと思います。

この異動がきっかけで、自分のキャリアは大きく好転することになりました。もともと口が達者のタイプではないので、商談の場でうまく話をまとめることができなかったのですが、ウェブマーケティングは、コミュ力や瞬発力といったものよりは、時間をかけてロジカルに結果を出していくことが重要な仕事だったので、自分の強みと合っていました。

オウンドメディアの責任者になってからは、メディアのPVやユーザー数は順調に増えていき、一定は会社に数字で貢献できるようになりました。その成果を社長や役員のメンバーが見てくれていたことで、業務範囲が広がり、オウンドメディアだけではなく、LINEやメルマガ、それからLPや広告の責任者も現在では担っています。

振り返ると、営業からマーケターへの転身がほんとにありがたかったなと。当時どんな考えで異動を打診してくれたのか、社長・副社長の頭の中をいつか覗いてみたいなと思います。
そういった意味で、与えられた場所で頑張るだけでなく、能動、受動を問わず、業務内容や一緒に働くメンバーを変えてみることで救われる人は多いと感じます。

転職から2年が経った今は、マネジメントされる立場からマネジメントする側になって、これまでより責任感を持って働けています。一方で自分を管理する人がいないので、サボろうと思えばいくらでもサボれるし、そうなった際に会社への悪影響はより大きくなっていることは否めません。ただこの状況は自分が大企業を辞めたときに望んでいたこと、つまり自立して働くとか、自分の人生の主導権を握るということなので、納得して働けています。


自分で決めて、責任を負うから楽しい

改めて社会人になってからの3年間を振り返ると、自分の選択と行動に責任を持って動くことが幸福度を高めるきっかけだったと思います。大学の友人に指摘される前の自分のように、誰かのせいにして愚痴っている間は、改善のアクションを起こすことはありません。いま目の前で起きていることは「自分が選んだ環境、行動の結果である」と思った瞬間から「じゃあどうするの?」という思考に変わっていくのではないでしょうか?

偉そうに語ってしまいましたが、いまだに他人のせいにすることもありますし、日々頑張っていくしかないですよね。

20代も残りわずか

20代も残り2年となり、若手と呼ばれるような年齢でもないので、今後はより社会に対して影響力を持って多くの人にポジティブな変化を起こせるような人間になっていきたいです。

一方で、若いという理由でチャンスを与えてもらえるのは20代まで、とも言うのでその特権も余すことなく使っていきます。

この文章を読んでくださった皆さんが少しでも「今日がんばってみよ」とか「不安だけど行動してみよう」と思ってくれれば嬉しいです!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!新年度頑張っていきましょう!

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