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銀河皇帝のいない八月 ①

あらすじ

宇宙を支配する銀河帝国が地球に襲来。
軍団を率いる銀河皇帝は堅固なシールドに守られていたが、何故か弓道部員の女子高生、遠藤アサトが放った一本の矢により射殺いころされてしまう。
しかも〈法典〉の定めによってアサトが皇位継承者たる権利を得たことで帝国は騒然となる。
皇帝を守る〈メタトルーパー〉の少年ネープと共に、即位のため銀河帝国へ向かったアサトは、皇帝一族の本拠地である惑星〈鏡夢カガム〉に辿り着く。
そこにはアサトの即位を阻まんとする皇帝の姉、レディ・ユリイラが待ち受けていた。
果たしてアサトは銀河皇帝の座に着くことが出来るのか?
そして、全ての鍵を握る謎の鉱物生命体〈星百合スター・リリィ〉とは?

プロローグ


 木星軌道に星百合スターリリィが咲いた。
 巨大な百合の花の形をした、無機鉱物のような物質からなる何か…
 しかしそれは生きている。
 生物なのだ。
 星百合はあるとき忽然と宇宙のどこかに咲き現れ、星々の間に道をつくる。
 ほどなく、その道のゲートとなる空間の歪みが、衛星カリストのすぐそばで発生した。そこから小さな光が飛び出し、亜光速で木星圏を脱すると太陽の方へと進路を取った。
 数時間後、はるかに大きな光の群れが歪みの中から姿を現し、小さな光の軌跡を追い始めた。
 両者が向かったのは、その太陽系で唯一、文明の気配を放つ星だった。

 すなわち、第三惑星である。



第一章


1. 空里アサトの夏

 抜けるような東京の青空のもと…
 遠藤空里はやめることにした。
 弓道部を。
 やっぱり続かなかったのだ。
 練習がきつかったわけではない。むしろ楽しかったと言っていいと思う。それでも昨日の練習試合…夏休み中にやるなよ…はダメダメ過ぎた。心が折れた。
 何より、足を引っ張るだけだった自分への部員たちの慰めがキツかった。
 向いてない。
 みんな、そう思ったことだろう。自分でもそう思っているんだから。
 もうやめよう。ここが限界。
 思えば、子供の頃から習い事や部活は何もかも中途半端だった。
 ピアノも、絵も、ソフトボールも…
 ある程度は続くのだ。しかし、何かをきっかけにして「もうダメだ」と思ったらもうダメ。
 悩んで、立ち止まって、自分の何も無さに自分で呆れて…進む方向を変えてみたところで、一歩も前に進んでいない。
 そんなことを繰り返していつの間にやら高校二年。最後は、どこにも進めないまま終わるんじゃないか…
 とにかく、この登校日の間に退部届を出す。
 夏休み中にやめちゃえば、しばらくは他の部員に会わずにすむし。
「アーサートー」
 背後から元気な声が名前を呼んだ。
 ミマか…ホントいつも元気だよな…
「なんで兵器を持ち歩いてんの?」
 追いついてきた小柄な少女は、空里が背負った弓と矢筒を突っつきながら言った。多分「武器」って言いたかったんだろうが…ボキャブラリーがいびつなやつ。
「昨日、練習試合だったの」
「おう、勝った?」
「聞くな」
「…そっかー」
 セーラー服の上の小さな頭が、大げさにかくんとうつむいた。
 仕草がいちいち可愛いよな。
 ミマ…高橋美愛菜とは高校入学以来の付き合いだが、身長差は開く一方だった。女子の目から見てもちっちゃくて、頭を撫でたくなるようなこの少女に対し、空里はまるでキュウリの苗のようにヒョロヒョロと背が伸びて、今では身長が百七十一センチある。
 どう見たって、こいつの方が可愛い。
 自分が男子だったら、絶対こっちに一票だ。
「それで、夏休み中は練習に打ち込むわけ?」
「打ち込まない。部活、やめる事にしたから」
「え?」
 そんな目で見るな。クソ暑いのに抱きしめたくなるだろ…
「…そっかー」
 しばらく黙って歩いていると、ミマが小さく囁いた。
「アサトってさあ、真面目すぎるんじゃね?」
「あたしゃ、真面目だよ」
「うーん、それは結構なんだけど…」
 ミマのポニーテールが左右に揺れる。
「もちょっと気を抜いて生きてったほうが、楽だと思うんだよなー…」
「あんたは気を抜いてるの?」
「もう抜きすぎ!」
 自信満々の答えに、思わず笑った。
「じいちゃんが言ってた。ものごとには〈あそび〉が必要で、〈あそび〉があった方が強くて長持ちするんだって」
 口調は熱心だが、言葉は今ひとつ脈略がつながらない。
「長持ち…って何が?」
「うーん、ほらいろんな道具とか、機械とかそういうの」
「あー、弓道の本にもなんかそういうこと書いてあった。弓のつるを張る時あそびが要るんだって」
「ほらあ、だからさ」
 我が意を得たりのミマは空里の前を後ろ向きに歩き出した。
「だから遊びに行こ!な!ね!」
 突然の論理の飛躍。
 それから海がいいの、アウトレットモールがいいの、某テーマパークで開催中のイベントがどうしても見たいのと他愛のない話をしているうち、学校に着いた。
 都心のオフィス街にかこまれた、中高一貫の私立女子校である。
 こうした環境下の学校としては珍しく広い校庭を横切りながら、ミマが愚痴った。
「あー、ガッコに来てしまった…こんないい天気の日に…」
「それが高校生の宿命ってやつじゃないんすか」
「いや!高校生といえども、天気のいい日には遊びに行く権利がある!」
 言い切ったミマは、極端に声を落として付け加えた。
「彼氏と…」
「!…できたんか?」
「つくるんよ。この夏のうちに」
 空里は苦笑した。
「なんだその顔はー。あたしゃやるよ。バイク持ってる彼氏つくって、ニケツで青空の下、どこまでも飛んでくのだ!」
 バイクは飛ばねーだろ…
「それが、夏休みの目標かい」
「そーよ!アサトも真面目に悩んでないで志を高く持て!」
 いまひとつ何を言いたいのか不明だが、ミマなりの励ましであることはなんとなくわかった。
 本当、可愛いよあんたは。

 彼氏のバイクにニケツでデート…

 そんな、ドラマかアニメでしか見たことないシチュエーションに憧れるのがふつうなのかな…
 まわりで囁かれる恋バナもあいまいに頷きながら聞いてるだけの空里には、自分の淡白さに対する自覚がある。
 しかしどこかに、彼氏が出来るとしたら誰にも知られずこっそり…そして、ある日その存在がバレて「意外!」とかミマに言ってほしいというよこしまな欲もある気がした。
 なんのことはない。努力もせずに彼氏をつくりたいと思ってるようなもんじゃん…堂々と目標を掲げるミマの方が潔い。
 そうよ、はっきり言っちゃえばいいのよ。
 年下の可愛い彼氏が欲しいって…
 でも言わない。
 そしてまた、ミマが眉をひそめるような自己嫌悪におちいるのだ。
 真夏の抜けるような青空が、そんな思いとは裏腹に明るい。夏も夏休みも、過ぎ去ってしまえば多少は気楽になれるんじゃないか…
 昇降口にたどり着いた空里は、その日起きてから一番大きな声でひとりごちた。
「あーあ、早く八月終わんないかなー…」
 まわりで夏に夢見ていた少女たちが、部屋に飛び込んできた羽虫を見つけたような目で空里を見た。


2. 人猫との遭遇

 長々とした生活指導と学習指導が終わり、さて部室へ行って出すものを出してこようかと思ったその時、空里のスマートフォンがブーと鳴った。
「アサト、アサト、今送った写真見てみ?!」
 前列の席から飛んできたミマにうながされるまま、メッセージアプリを開くと、ミマとのトーク画面にニュースのスクショが表示された。
「何これ?」
「ヒトネコだってさ!」
 記事のキャプションには「謎の人猫、撮影される」とある。
 それはたしかに「人猫」としか言いようのないものだった。
 大きな茶色い猫が二本足で立っている…しかも、ベストのような服を身につけ、手にはライフル銃のような武器?まで持っているのだ。
 身体のプロポーションや毛並みは猫そのものだが、今にもそのまま二本足で画面の外へ走り出しそうな緊迫感のあるポーズは人間臭さにあふれている。何より、カメラのレンズを睨みつけたその大きな猫目の奥に、飼い猫とも、したたかな野良猫とも違う知性の光が感じられる…ような気がした。
「CGじゃないの?」
「わかんないけどさ、これ、この辺なんだよね」
 よく見ると、確かに背景には見覚えのあるビルや商店が建ち並んでいる。
「ね!こいつ探しに行こう!」
「はあ?」
 まったく、物好きなやつ…空里もこの奇妙な生き物に興味がないではないが、炎天下でいるかいないかもわからないお化けを探してウロウロ歩くのはごめんこうむりたかった。
 その時…
 教室全体をズズンと鈍い振動が揺らした。
「な…に…?今の?」
 生徒たちが浮き足立つ。気がつくと消防車かパトカーか、遠くでサイレンが鳴り響いているのが聞こえる。それも、一つや二つではない。
「地震…じゃないよね…?」
 誰にともなく向けられたミマの問いに答えるように、教室のドアがガラッと開いて担任の嶋美鈴先生が入ってきた。心なしか、顔が青ざめている。
「皆さん、すぐに下校してください。今日はすべての部活やサークル活動は中止です。寄り道もしないでまっすぐ家に帰ること。なるべく早く帰って、おうちの人たちと一緒にいてください」
 生徒の一人がたずねた。
「何か、あったんですか?」
「私にも詳しいことはわかりません。政府から何か発表があると思いますから、帰ったらテレビをつけて…」
 政府?普段、まったく気にしたことのない存在だが、それが自分たちに直接何かを知らせる時は、とんでもない災害かそれに近いことが起きた時に決まっている。いま、自分たちのいる場所は何事かが起きたように見えない…だとしたら、何か起こっているとしたら、それは自分たちの家の近くかも…
 生徒の一人がガタンと席を立った途端、それを合図にして教室中が動き出した。
「あわてないで!あわてることはありません。静かにね。気をつけて帰ってください」
 そう言いながら嶋先生は出口に向かう生徒たちの間を縫って、教室の窓に近づいてサッシを開け、空を見上げるとそのまま動かなくなった。
 何見てるんだろう?
「アサト、行こ」
 ミマに手を引かれるまま出口に向かった空里は、忘れ物を思い出した。
「ちょっと待って」
 ロッカーに立てかけてあった弓と矢筒を取り、ミマとともに生徒たちでいっぱいの廊下に出る。さっきより大きくなったサイレンの音に不安をかき立てられ、誰もが足早に昇降口へ向かっていた。
 外に出て校門へ向かいながら、空里は手にした弓と矢筒をそのまま持って帰ろうとしていることに気づいた。
「ミマ、ちょっと待って。これだけ部室に置いてくるから」
「えー?何言ってんの。部室なんか開いてないかもしんないじゃん」
 さっきまで人猫探しの寄り道を誘っていたミマが、今はまわりの雰囲気に呑まれて家路を急ぎたがっている。
「そしたら、廊下に置いて来る。また持って来るのめんどいもん」
「もーしょうがないなあ…じゃ、校門とこで待ってるから」
「すまん!」
 ミマと別れて走り出し、校庭の端に建つ部室棟にたどり着く寸前、空里のまわりに濃い影が落ちてきた。
 雲?にしては暗すぎ…
 上空を見上げて息を呑む。
「何あれ…」
 日光をさえぎり影を作っていたのは、巨大な翼だった。
 いや、翼のような形をした飛行機…いやいや飛行機というものはあんな風に空に静止したりしない。それにとにかく大きすぎる。
 目を凝らすと、その表面に浮かんだ機械的なデテールが視認できた。何であるにせよ巨大な機械が学校の真上に浮かんでいるのだ。もしそれが乗り物の一種だとしたら…
「宇宙…船?」
 空里の呟きに誰かが応えた。
 言葉ではなく、うめき声で。
 空里はその主をもとめて部室棟に近づくと、非常階段の陰に潜んでいる何者かに気づいた。
「!」
 それはあの「人猫」だった。
 写真で見たのと同じ、茶色い毛並みの奇妙な生き物。だが今はその足で立つことなく、隠れるようにうずくまっている。よく見ると、あたりの地面には乾きかけた何かのシミが点々と落ちている。手傷を負って出血しているようだ。
「ケガ…してるの?」
 人猫は、今度は応えるかわりにパッと身を起こすと空里に黒光りする円筒形の道具を向けた。
 銃!
 光がほとばしり、空里のすぐ脇をかすめ、背後で鈍い衝撃音が響いた。
 振り返ると、何か機械のようなものが溶けながら地面に落ちたところだった。
 金属製の球体に、触手のような細長い部品が何本もつながっている。球体の中央部にはレンズ状の透明なパネルがはめ込まれていて、さながら目玉しかないクラゲのお化けだ。
「ミューバ、ミューゲレン…」
 人猫が言葉を発した。
 意味不明なその声を言葉と言うならば…だが、少なくとも空里には言葉に聞こえた。
「なんて言ったの?」
 人猫は難儀そうに立ち上がると、銃を構えたまま空里の脇をすり抜けて校庭に出て行こうとした。
 背丈は空里の半分ほど。人間なら三歳児くらいの大きさだが、その態度に子供っぽいところは微塵もない。
「どこに行くの?」
 聞いてどうすると自分でも思いながらたずねたが、返事はない。
 空里は捨て置けない気がして、そのまま人猫について行き…気がつくと、学校のまわりに信じられない光景が広がっているのを見た。
「!」
 空は得体の知れない機械でいっぱいだった。
 人猫が撃ち落としたのと同じメダマクラゲの群れや、トラックくらいの大きさの流線形をした物体…よく見るとそれは細長い脚で支えられ、地面に立っていた。
 そして、ビルの影から金属製の蛾にも似た飛行物体が現れた。
 ちょうど、真上に静止した巨大な宇宙船をそのまま小さくしたような形である。
「リャーック!リャーック!」
 人猫が何か叫んだ。見ると、校門の方から何匹かの人猫がこちらに向かって走ってくるところだった。そこには何人かの生徒もいて、ある者は人猫の出現に、ある者は自分たちを取り囲む謎の機械の姿に、事態を飲み込めないまま右往左往している。そこにはミマの姿もあった。
 手負いの人猫は、やって来る仲間たち…なのだろう…に向かって彼らを制止するように手を振った。
 すると、飛行物体が眼下の者たちを威圧するように、ぐっと高度を下げて来た。
 次の瞬間、翼の下部に突き出たアンテナのような針から光が一閃し、校門の周辺をなぎ払うように走った。
「!」
 爆発音がとどろき、人猫の一群も生徒たちも校門とともに消え去った。
「ミマ!」


3. 運命さだめの矢

「今のところ…」
 男が言った。
「我が軍は、法典にそむくような行いは何一つしていない…な?」
 自分の背後に控える影にチラと視線を向け、皮肉な調子で続ける。
 返事は期待していない。沈黙による肯定。それで男は満足した。
 ちぢれた黒髪と同じ色の太い眉。その下に光る傲岸不遜な眼光は赤銅色をしている。たくましい四肢からは、まだ三十前という歳に不似合いな尊大さがにじんでいた。
 その尊大さも、男の真の地位からすれば比較にならないおとなしさなのだが。
「奇妙な話ではないか?帝国領外でも守らねばならぬ法典の定めがあるというのは。もっと派手にやらせてもらいたいものだ」
「この惑星の住人にしてみれば、今のままで我々は十分脅威でしょう。さっきの攻撃でも現地民が何人か吹き飛ばされたようだ」
 背後の影が戦闘用マスクの奥から、変調されくぐもった声で言った。機能一辺倒の古風なデザインが、不気味で凶暴な表情を浮かべている。それに似合わぬ慎重な物言いに、男は笑みを浮かべた。
「ほう、そうかい」
 男は立ち上がると、白いローブを翻して一段低いデッキに降り立った。
 ハリアジサシ級スター・コルベットのブリッジは、正面のビュースクリーンに映し出された外の修羅場と関わりなく静かだった。白色光弾の攻撃で焼かれた眼下の広場は、まだ炎と煙をあげている。
 その縁に、小さな毛むくじゃらの生き物と、ひょろっとした現地民が立っていた。
「あのミン・ガンが最後の一匹か」
「はい。センサーによれば、あれが例のモノを確保しているに違いありません」
 男の問いに艇長席の士官が落ち着き払って答えた。
「よし、ちょうどドロメックも集まって来たようだ。クライマックスを見せてやろう。感力場シールドを張れ」
「どうする気です?」
 マスクの主もデッキに降りてきた。
「叛徒を、余自らが成敗する。見ものだろう?」
「外に出る気ですか?完断絶シールドを張られては?」
「それでは、ドロメックどもから余の姿がよく見えん。感力場は透明だからな」
 士官の一人が男につばひろの兜のようなヘルメットとメカニカルな槍を渡した。男はヘルメットの面当てを取り外して自分の顔を晒すようにそれを被り、手すりに囲まれたデッキの一角に立った。
「よし、ハッチを開けてリフトを出せ」
 デッキの天井が大きく開口し、強い日差しが差し込んできた。
「ネープ、お前はここにいろ」
 後に続こうとするマスクに男は命じた。
 それが彼らの最後の会話となった。

 凄まじい熱気が校庭を覆っていた。
 空里は、すぐにもミマの安否を確かめに飛んで行きたかったが、どうにも身動きがままならなかった。とにかく、何が起きているのかわからないという不安感が、金縛りのように体の自由を奪っているのだ。
 校門のまわりを焼き払った蛾のような飛行物体は、炎と煙の中を泳ぎながらさらに高度を下げて来る。
 遥か上空では、あの巨大な宇宙船のまわりで花火のような煙がポンポンと弾けていた。どうやら、自衛隊か何かの航空機が宇宙船と交戦しているようだ。
 そのうちの一機が火花を散らし、きりもみ状態に陥ると、こちらに向かって落下して来た。
「!」
 墜落機は、校庭の真上で何かに弾かれたようにコースを変え、近くのオフィスビルに激突した。鉄とガラスの混じった炎の雨が校庭に降り注いだが、これも地面に達することなくあたりに散っていった。どうやら目の前の飛行物体が、何か見えないバリアーのようなものを張っているらしい。
 映画でしか見たことがない戦場のような光景に呆然としながら、空里は人猫が飛行物体に向かって何か叫んでいるのに気づいた。
 見ると、飛行物体の上に人の姿があった。
 金属製の腕に支えられたリフトに乗り、空里と人猫を睥睨している。白いマントのような装束を翻し、兜を被った色黒の若い男だ。
「テーレ、ミン・ガン、セレバテク」
 大音量で野太い声が響いた。
 まるで、校庭の周りに見えない巨大なスピーカーがいくつもあって、それが一斉に鳴ったかのようだ。だが、声の主は真正面のリフトに立つ男だということはすぐにわかった。
「ミン・ガン、バン、セレビュラ!」
 人猫が何か言い返した。間違いなく両者は敵対関係にあるようだ。そして、人猫は圧倒的に不利な立場に追い詰められているのに違いない。
 リフトの男はさらに高圧的な言葉を投げかけて来たが、人猫は言い返すのをやめると背負っていたバックパックから何かを取り出した。そして、はじめて空里の方を振り返り、まるで「あっちへ行け!」と言うように手を振って見せた。
 その様子を見たリフトの男が…
 笑った。
 あざけりを含んだ不愉快な笑い声が、あたりから低く響いてきた。
 飛行物体の下部ではあの恐ろしい光を放つ針が、ゆっくりとこちらを向いた。次は、自分たちが吹き飛ばされる…
 その時、空里の身体が恐怖と怒りがないまぜとなった感情に煽られて動き出した。
 頭上から自分と人猫を見下ろすあの男は、この事態を引き起こした張本人に間違いない。
 その狙いはまるでわからないが、学校や街を破壊し、ミマを吹き飛ばしたあいつ…
 空里は自分が泣いていることに気づいた。そして、いつの間にか弓巻きをほどき、矢筒から矢を取り出していることに。
 あたし、何してるんだろう…あんな強力な武器を持った奴に、こんなもので抵抗する気?弓かけも着けず、練習試合も満足に勝てないような腕で…
 だが、そうせずにはいられない。とにかく一矢。殺される前に一矢放ってやりたい。
 しゃくなことに、男は矢をつがえる空里の方を見てもいなかった。彼の関心は人猫に集中しているようだ。その態度にますます空里は力を込め、弦を引き絞り、涙に霞む影に向かって…
 放った。
 空里の矢は不思議な軌跡を辿った。
 最初の勢いはすぐに失せ、標的である男の遥か手前で落ちるかに見えた…が、炎と煙と熱とにあおられ、上昇気流に乗って高々と舞い上がり…
見えない手にもてあそばれるようにクルクルと回転し…
 次の瞬間突然、あらためて何ものかに与えられた力に勢いづいて大きく弧を描くと、矢は真下の白い影を目指して落下していった。
 男は、空里の矢がかなり近づいて来るまでその存在に気づいていなかった。視界の隅にようやくそれをとらえて振り仰いだ時も、度重なる破壊によって舞い上がったゴミとしか思わなかった。自分を守っているはずの見えない壁が、そんな危険なモノを近寄せるはずがないという確信も、命取りになった。
 だから、その矢じりが自分の眼窩を貫き、一瞬で脳のはたらきを止めた時ですら、男の顔にはなんの驚きも、苦悶の表情も浮かんでいなかった。

 空里の矢は、男の顔を射抜いたのだ。

 的中である。

 そして一瞬、全てが止まった。

 飛行物体も、メダマクラゲの群れも、その場にいた異形の機械たち全てが…遥か上空の巨大な船すら、沈黙した。
「ハッ!」
 声をあげたのは人猫だった。
 驚きに見える表情を浮かべて振り向くと、空里の顔と立ち尽くす男の姿を交互に見た。
 リフト上の男がゆっくりと仰向けにくずおれた。
 その直後、男の背後から何者かが中空に飛び出し、熱風渦巻く校庭に降り立った。
 人間には見えない。
 いや、一部は人間のようだ。鎧を着た人間の上半身が、槍のようなものを構え空里たちの方を向いた。
 だが、その腹から下は金属製の馬だった。
 まるで、ギリシア神話に出てくるケンタウロスをモデルに造られたロボットのようだ。
 金属のケンタウロスがこちらに向かって歩いてくる。
「ネープ!」
 人猫は低く叫ぶと、空里を守ろうとするかのように彼女の前に立った。
 明らかに、先ほどリフトの男と対峙していた時とは違う緊張感を見せている。
 ケンタウロスが槍の穂先を空里たちの方に向け、少しだけ横に振った。
 それだけで人猫は大きく弾き飛ばされ、空里との間に邪魔者がなくなった。
 さらに近づいて来たケンタウロスは、鳥の嘴のように尖ったバイザーを跳ね上げ、その下の異様なマスクを露わにした。
 不気味な光を放つゴーグルの視線にすくみ上がった空里は、弓を握ったままその場にへたり込んだ。もはや矢をつがえ直すいとまも無い。
 ケンタウロスは、空里の眼前に立ちはだかった。
 今にもあの槍が自分の胸に突き立てられるのではないか…そう思った時、ケンタウロスは何か小さな光るものを取り出し、空里の顔に手を伸ばしてきた。
「!」
 恐怖に思わず目を閉じた空里は耳に何かが触れるのを感じた。
「あなたがやったのか?」
 かすれた声がたずねてきた。
 目を開けると、声が続いた。
「私の言うことがわかるか?」
 明らかに、目の前のケンタウロスが話しかけて来ているのだった。
 反射的にうなずくと、声は再度たずねた。
「あなたが彼を殺したのか?」
 槍の穂先が、飛行物体の方を指す。
「わたし…私が矢を…そう…うちました…うったと思います…」
 支離滅裂な言葉だったが、答えにはなったようだった。
 ケンタウロスは振り返り、近くに静止していたメダマクラゲの一つに向かって招くように手を振った。
 目玉の機械がやってくると、ケンタウロスはヘルメットを脱いだ。
 その下から、銀髪に包まれた後頭部が現れた。ロボットではない。
 人間だ。
 銀髪の主は、メダマクラゲに向かって語りかけた。
 先ほどのマスク越しの声とは全く違う、若者の声…いや、子供の声だった。
「〈ガラクオド〉の定めに基づき、帝法百九十六条第八項に合致する状況を確認した。皇帝敗没。繰り返す。皇帝敗没である。これより帝国は同法第七十八項に定められた体制に移行する。モーダリアム、皇位承継審査期間である。対候補者の存在も確認した。全ての市民、元老、ネープは追って沙汰を待て。繰り返す。皇帝敗没である」
 その言葉に応えるかのごとく、頭上の飛行物体が大きく旋回し、校庭に砂塵を巻き上げながら急上昇を開始した。
 メダマクラゲの群れは、バラバラに漂いはじめ、その内のいくつかは、空里たちの方へ降りて来た。が、銀髪のケンタウロスが払いのけるように手を振ると、その場を離れていずこともなく去って行った。
 それ以外の機械は微動だにしない。
 立ち上がった空里は、銀髪の主の背が自分より低いことに気づいた。
 へたり込んでいたのでわからなかったのだ。
「あの…」
 空里の声にケンタウロスが振り向いた。
「!」
 銀髪が揺れ、青紫色の左目が空里の視線を受け止める。
 見たこともない色の瞳…右の目は銀色の前髪に隠されているが、一つだけでもその目は忘れ難い印象を与える光を放っていた。
 少年、なのだろう。声を聞いていなければ女の子にも見える。いや、声の低い少女が気を張ってしゃべっていたのかも…
 歳のころ十二、三歳といったところか。性別も定かでないが、空里がこれまでテレビや写真でも見たことがないほど美しい子であることは間違いなかった。
 その目に見つめられると、夏の日差しとも、校庭に渦巻く熱気とも違う熱さが空里の身体を包むようだった。
 でも、どうしてそんな子が…
「ひとつ、聞いておく必要がある」
 その態度に、空里は相手が男の子であることを確信した。
 少年は言った。
「あなたは皇位を継承するか?」
「はあ?」


つづく

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