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The Lost Universe 古代の巨大頭足類③巨大アンモナイト

アンモナイトは、化石マニアにとって永遠のロマンです。太古の海に生き、その記憶を現代に伝えてくれる憧れの存在。彼らはとても有名な古生物であり、化石と言えばアンモナイトというイメージが人々に強く根づいています。
なぜ、人はアンモナイトが大好きなのでしょうか。永きに渡る繁栄と巨大種の神秘を通して、彼らの魅力に迫りたいと思います。


アンモナイトとは何者か?

「化石」の代名詞となった神秘の頭足類

古生物ファンにとって、アンモナイトは絶大な人気を誇ります。化石発掘のターゲットとしてよく選定されるうえに、発見したときの感動は言葉に表せられないほど強烈です。もはや恐竜と並ぶ大スターと言っても過言ではなく、アンモナイトに一生を捧げてプロの研究者になった人もいらっしゃいます
古生物研究が始まって以来、ずっと人類を魅力し続けるアンモナイト。彼らは、いったいどのような頭足類なのでしょうか。

アステロセラス属のアンモナイト(栃木県立博物館にて撮影)。アンモナイトの魅力は、言葉では到底語り尽くせません。多くの化石マニアが、アンモナイトを探して全国を旅しています。
一般の化石ハンターから博物館に寄贈されたメヌイテス属の一種(多摩六都科学館にて撮影)。アンモナイト愛好家の最終活動が、偉大な発見につながることもあります。

ご存じの通り、全てのアンモナイトは殻を背負って生まれてきます。体の成長に伴って「外套膜がいとうまく」という部分からカルシウムを分泌し、殻をどんどん大きくしていきます。
殻の大まかな構造はオウムガイと同じです。軟体部を収める「住房じゅうぼう」、浮力調整用の気体と液体が入っている「気房きぼう」を備えています。たくさん並ぶ気房は隔壁で仕切られており、それぞれの空間は「連室細管れんしつさいかん」という管でつながっています。オウムガイの連室細管は殻の中央ラインを通っていますが、アンモナイトの場合は外側の壁沿いに走っています

テトラゴニテスの切断標本(北九州市立いのちのたび博物館にて撮影)。大きな空洞「住房」には軟体部が入っており、たくさんある小さな部屋「気房」には浮力調整用の気体と液体が入っていました。
アンモナイトの殻内部を再現した模型(ふじのくに地球環境史ミュージアムにて撮影)。基本的な構造はオウムガイの殻と同じですが、連室細管の位置はまったく違っています。

一般的なアンモナイトの殻は螺旋状の形をしていますが、実は殻の形態には様々なバリエーションがあります。殻にイボのような突起を備える種類もいれば、「異常巻きアンモナイト」と呼ばれる奇抜な殻を有する種類もいます。

ドリルのごとく突起が発達したハイペルフメゾシアの殻(千葉県立中央博物館にて撮影)。一口にアンモナイトと言っても、殻の形は様々です。
異常巻きアンモナイトの一種エウボストリコセラスの殻(伊豆アンモナイト博物館にて撮影)。変な形をしているように見えますが、構造的な研究によって規則的な巻き方をしていることが判明しました。
「異常巻きアンモナイトの王様」と呼ばれるニッポニテス(伊豆アンモナイト博物館にて撮影)。その名の通り、日本を代表するアンモナイトであり、世界的にも有名です。

なお、アンモナイトの軟体部の復元は、他の頭足類を参考にした想像です。軟体部は化石として残りにくいので、現時点ではアンモナイトには腕が何本あったのかさえわかっていません。ダイオウイカのように強力な触腕を有していたのかもしれませんし、もしかすると悪魔のごとく恐ろしい姿をしていたのかもしれません。

アンモナイトの復元模型(岐阜県博物館にて撮影)。軟体部については他の頭足類をもとにした推測であり、本当の姿は今のところ謎だらけです。

ポピュラーな古生物でありながら、まだまだ謎の多い存在。ロマンとミステリアスな魅力を湛えたアンモナイトは、これからも多くの人々に愛され続けるでしょう。

偉大なアンモナイトたちの繁栄と絶滅

我らの愛するアンモナイトは、今から4億年以上も大昔(古生代シルル紀後期またはデボン紀前期)に出現しました。彼らの祖先はシルル紀にオウムガイ類から派生したバクトリテス類であり、徐々に殻を螺旋状に巻き込みながら、アンモナイトへ進化していったと考えられています。

バクトリテス類の殻(国立科学博物館にて撮影)。彼らこそ、アンモナイトの祖先と考えられている頭足類です。
初期のアンモナイトであるアネトセラス(北九州市立いのちのたび博物館にて撮影)。原始的なアンモナイトは進化に伴って徐々に殻を螺旋状に巻いていき、やがてしっかりと殻を巻いた典型的なアンモナイトが生まれます。

かくして誕生したアンモナイトは、古生代シルル紀から中生代の白亜紀末期まで生存競争を勝ち抜き続け、約1万種もの多様な種類を生み出しました。その快進撃は破竹の勢いであり、世界中から産出する化石の数から考えて、彼らは海洋生態系のレギュラー的な位置を占めていたはずです。
オウムガイの仲間たちもアンモナイトと同じ時代を生きていましたが、両者は生態的地位の競合を避けるために棲み分けていたと思われます。ほとんどのアンモナイトは主に浅い海で生活し、オウムガイは亜深海~深海に生息していたと考えられます。産出する個体数や種数の圧倒的な差から、アンモナイトの勢力はオウムガイよりも優勢であったと判断できます。

ジュラ紀の海に生息していたアステロセラス(大阪市立自然史博物館にて撮影)。アンモナイトは古生代末期の環境激変を乗り越え、恐竜時代に入っても力強く繁栄し続けました。
白亜紀のアンモナイトであるメソプゾシアの殻の化石(ミュージアムパーク茨城県立自然博物館にて撮影)。中生代になると、古生代の種類をはるかに超える大型種が多数出現します。

では、ここで1つ疑問が残ります。「なぜ世界中で大繁栄したアンモナイトが絶滅したのに、オウムガイは今も生きているのか?」という問いです。
運命の分かれ目となったのは、白亜紀末期(約6600万年前)に起こった地球規模の環境激変です。直径約10 kmもの巨大隕石が地球に衝突し、落下地点であるメキシコの大地が深くえぐられました。このとき、付近の地層中の硫黄分が大量に舞い上がり、硫酸を含む強酸性の雨が海と大地に降り注ぎました。殻が炭酸カルシウムで構成されているアンモナイトにとって海水の酸性化は致命的であり変質した海水によって彼らの殻は溶けてしまいます
また、隕石落下の衝撃で巻き上げられた粉塵が地球を覆い、太陽の光を遮ったことも、海洋生物には大打撃になったと思われます。光合成して生きる植物プランクトンが激減したことで、海洋の酸素濃度が低下したうえに、彼らを食べる生き物たちも多くが死滅。生態系崩壊の余波は、アンモナイトにも強く影響したと考えられます。

奇跡的に真珠層の輝きを残したプラセンティセラス(伊豆アンモナイト博物館にて撮影)。数々の美しい体と痕跡を残し、アンモナイトは中生代末期に滅びました。

一方、同時期のオウムガイはやや深い海域で暮らしていたと思われます。浅い海で活動していたアンモナイトは環境激変の影響をもろに受けたと考えられますが、オウムガイの棲む中層や深層にはさほど大きなダメージがなかったのかもしれません。

白亜紀のオウムガイ類エウトレフォセラスの化石(神流町恐竜センターにて撮影)。数々の偶然が作用し、オウムガイは白亜紀の環境激変を乗り越えることができました。

アンモナイトの繁栄の歴史には終止符が打たれましたが、彼らの生きた証は世界中に無数に残っています。大地から甦った彼らは、人類を魅力し続け、ロマンあふれる古生物学の世界へと連れていってくれます。
今なお、数えきれないほどたくさん発見され続けるアンモナイトたち。多様性に富んだ彼らの中には、人類の想像を超える巨大種が存在しました。

古代の巨大アンモナイト

パラプゾシア ~ドラゴンの牙さえ跳ね返す防御力! 鉄壁の巨大アンモナイト登場!!~

古生物図鑑に描かれた環境復元画では、アンモナイトが大型の海洋爬虫類に食べられている構図をよく見かけます。確かに、モササウルス類やプリオサウルス類は史上最強クラスの海洋生物であり、きっと多くのアンモナイトが餌食になったはずです。
しかしながら、捕食者が強くなれば、食べられる側の生き物も必ずパワーアップします。アンモナイトの中には、どんな天敵も歯が立たないほど極限までディフェンスを高めた種類が存在します。

最大級のアンモナイトは、殻の直径が2 m以上になったと考えられています。当該種の名前は、パラプゾシア・セッペンラデンシス(Parapuzosia seppenradensis)。彼らはデスモセラス類というグループに属するアンモナイトであり、白亜紀後期カンパニアン期(約8350万年〜約7060万年前)の海洋に生息していました。
1895年にドイツ西部から発見された化石は、不完全ながらも殻の直径が1.74 mあり、完全な状態ならば殻の直径は2 m以上(一説によると3 m以上!)に達したと推定されました。体重の最大推定値は約1.5 tに及んでおり、重さならばダイオウイカやダイオウホウズキイカをはるかに凌ぎ、史上最も重い軟体動物であると考えられます

パラプゾシアの実物大復元模型(三笠市立博物にて撮影)。殻の直径が2.5 mもあり、軟体部を含めると驚異的な大きさになったことでしょう。

成体にまで達したパラプゾシアの防御力は、まさに鉄壁だったと思われます。当時の海洋には多くの海洋爬虫類が生息していましたが、殻の直径が2 m以上もあるアンモナイトを真っ向から襲える肉食動物は極めて少なかったことでしょう。全長18 mにまで成長したモササウルスとて、これほど強固な殻になると簡単には噛み砕けなかったと考えられます。
それどころか、逆に小型の海洋爬虫類を捕食していた可能性もあります。アンモナイトだって、食べられてばかりではありません。子供のモササウルス類が相手ならば、パラプゾシアが自慢の触手で絡め取ってしまうでしょう。

モササウルスの全身骨格(国立科学博物館にて撮影)。最強の海洋生物と呼ばれる彼らも、パラプゾシアのような巨大アンモナイトの殻を噛み砕くことは難しかったでしょう。
モササウルス類の噛み跡が残るアンモナイトの殻(おがの化石館にて撮影)。小型~中型のアンモナイトは成体でも大型海洋動物の餌食になることが多く、捕食回避の適応の結果として、パラプゾシアのような巨大種が誕生したとも考えられます。

アンモナイト巨大化の理由には、今なお謎が残されています。もしかすると、強大化の進む天敵から身を守るために、彼らは自身の鎧を強固にしていったのかもしれません。

パキデスモセラス ~北海道より目覚めし日本屈指の大型アンモナイト~

化石マニアは、なぜ全国を旅するのか。理由は、そこにアンモナイトがあるからです。日本におけるアンモナイト発掘地はとても多く、北海道から沖縄までの広い地域でアンモナイトの化石が産出しています。特に北海道は世界的に有名なアンモナイトの多産地域であり、保存状態の良好な大型種も発見されています。
北の大地より現れた大型アンモナイト。その名はパキデスモセラス・パキディスコイデ(Pachydesmoceras pachydiscoide)。パラプゾシアと同じデスモセラス類に属するアンモナイトであり、約9000万年前(白亜紀後期)の地層から化石が発見されています。日本トップランカーの称号は伊達ではなく、特大個体になると殻の直径は約1.3 mにも達します。

殻の直径1.3 mに達するパキデスモセラスの殻(三笠市立博物館にて撮影)。日本最大級のアンモナイト化石です
いかにも頑丈そうなパキデスモセラス(国立科学博物館にて撮影)。殻の直径1 mを超えるアンモナイトが、太古の日本の海を泳ぎ回っていたのです。

パキデスモセラスは大きく強靭な触手を振るって、小型から中型の海洋生物を捕食していたことでしょう。ただし、北海道の白亜紀の地層からは大型の海洋爬虫類の化石が発見されており、パキデスモセラスが狙われることも多々あったと思われます。
日本国内の多くの博物館では、本種の実物化石またはレプリカを見ることができます。ぜひとも、実際に対面してみて、パキデスモセラスの大きさと威厳を間近で感じていただきたいと思います。

圧倒的な繁栄と多様性。古代の世界は、まさにアンモナイトの天下でした。しかし、既知のタコやイカの仲間も負けてはいません。
我々のよく知る典型的な頭足類は、太古においてもクラーケンの名にふさわしい強者たちでした。アンモナイトやオウムガイをはるかに凌ぐ運動能力によって、タコやイカたちは他の海洋生物と渡り合っていたのです。

【前回の記事】

【参考文献】
Teichert, C., et al.(1960)Size of endoceroid cephalopods. Breviora Museum of Comparative Zoology 128: 1–7.
Christina, l., et al.(2021)Ontogeny, evolution and palaeogeographic distribution of the world’s largest ammonite Parapuzosia (P.) seppenradensis (Landois, 1895). PLOS ONE.
河野重範・布川嘉英(2022)『栃木県立博物館 第133回企画展 アンモナイトの秘密 〜太古の海の不思議な生き物〜』栃木県立博物館
吉池高行・吉池悦子(2022)『伊豆アンモナイト博物館公式ブック 誘う渦巻』伊豆アンモナイト博物館
国立科学博物館の解説キャプション
北九州市立いのちのたび博物館の解説キャプション

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