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遠州鉄道奧山線写真一覧

 皆様こんにちは。カクヨムとアルファポリスで連載中の『女子2人で鉄道旅をしています』第22章のロケハン写真を上げていきます。
 今回の舞台は遠州鉄道奧山線。約60年前に廃線になった路線の廃線跡を、遠鉄線と天浜線で巡ります。
 例によって、一部の写真には加工を施しておりますので、ご了承ください。
 作品URLは↓から。

 それではまいりましょう。

浜松駅駅舎

 今回の物語は、浜松駅に到着したところから始まります。まずは、駅ナカで浜松餃子をいただきましたので、そちらから見ていきましょう。
 訪れたお店は駅ビル「メイワン」にある「石松餃子」さん。こちらのお店は昭和28年に創業した元祖浜松餃子と言える名店です。

餃子定食

 作中にも登場した餃子定食です。たっぷりのキャベツと豚肉を合わせたタネを、もっちりとした皮で包みこんで焼き上げた出来立てです。
 あっさりとした味わい、もっちりとした食感、パリパリのお焦げがたまりません。付け合わせのもやしが浜松餃子の特徴だそうです。

 美味しく地元グルメをいただきましたら、鉄道旅に出発です。

新浜松駅
遠鉄百貨店からの連絡口
新浜松駅改札口
新浜松駅ホーム

 遠州鉄道は現在1路線のみ、鉄道路線を保有しています。それが、新浜松駅から西鹿島駅までを結ぶ鉄道線です。
 地元では、赤い電車が走っていることから「赤電」と呼ばれています(写真の車両は黄色ですが)。
 鉄道線は新浜松から高架線を通り、浜松の市街地を抜けていきます。途中の上島を過ぎると地上に降り、浜松市の郊外を北上します。単線でありながら高架で街中を駆け抜ける姿は見ものですよ。

西鹿島駅駅舎

 というわけで、終点の西鹿島に到着しました。新浜松からは32分で到着です。
 作中の通り、ここで次の路線に乗り換えましょう。西鹿島は遠鉄と天浜線の接続駅なのです。

西鹿島駅遠鉄ホーム
西鹿島駅天浜線ホーム

 両路線は地下の連絡通路で繋がっています。改札は共通ですが、天浜線のホームはちょっと隔離されたような雰囲気ですね。
 ここからは天竜浜名湖鉄道天浜線を西進します。天浜線は元々国鉄二俣線でした。第3セクター化により天竜浜名湖鉄道天浜線となり、掛川から新所原までを結んでいます。
 
 西鹿島を出て20分。作中でみずほたちが降りた金指駅に到着します。

金指駅駅舎
金指駅ホーム
天浜線ホームの南側にかつて奧山線のホームがあった
高架貯水槽

 金指駅は島式1面2線ホームの交換可能駅で、線内では貴重な有人駅でもあります。ホーム上屋、プラットホーム、高架貯水槽は国の登録有形文化財に指定されています。
 この金指駅は、かつて奧山線と旧二俣線との接続駅でした。浜松側から三方ヶ原台地を通った奧山線は、ここで旧二俣線と交差していたのです。

奧山線陸橋跡

 金指駅の少し西寄りにコンクリートの土台が残っています。これは、かつてこの場所で奧山線がクロスオーバーしていた跡です。2021年までは線路を超える部分が残されていたのですが、現在は取り壊されて土台だけが残される状態となりました。
 実は、この場所を先に通っていたのは奧山線でした。旧二俣線は後から敷設されたのです。この場合、後からできた方が上を超えるのが通常なのですが、そこは流石に元国鉄線ということで、奧山線の方が上を超えることになったようです。
 ここで天浜線(当時の二俣線)をクロスオーバーした奧山線は、北側を並走するように走り、隣の岡地駅へと至ります。

奧山線岡地駅跡

 岡地駅は現在は天浜線の駅ですが、二俣線時代には奧山線側のみに設けられた駅でした。その後、二俣線の第3セクター化に伴い、奧山線の岡地駅があった付近に気賀高校前駅が開業しました。その後、気賀高校の廃校によって、駅名が岡地へと代わり、現在に至ります。
 写真は奧山線の岡地駅があったと思われる場所です。生活道路になっている部分が線路跡、右手の民家の土台がホーム跡のようです。左手前には、朽ちた枕木とレンガ造りの基礎の跡が見受けられます。
 奥の踏切を超えたあたりに現在の岡地駅があります。

 それでは、作中の通り、西鹿島へと戻り、遠鉄に乗り換えましょう。

遠州病院駅

 作中最後に訪れた駅、遠州病院駅です。ここは元々遠鉄浜松駅と名乗っており、奧山線の始発駅でした。高架化に伴い、現在の駅名に変わったようです。

遠鉄浜松駅跡の標
奧山線線路跡

 かつての遠鉄浜松駅には、現在「クリエート浜松」という公民館が建っています。クリエート浜松の北側には上記のような公園が広がっており、その中のカーブした遊歩道が奧山線の線路跡となっています。

 ここで奧山線の話を少ししましょう。奧山線は、遠鉄浜松から三方ヶ原台地を超え、金指で天浜線(当時の二俣線)と接続。岡地から再び北へと進路を変え、井伊谷を通って終点の奧山まで向かう路線でした。
 軌間762㎜という軽便鉄道であり、車両もそれ相応のこじんまりとしたものだったようです。
 路線自体は1914年に開業、1923年に全通。1963年に気賀口~奧山間が廃線となり、翌1964年に全線廃止となりました。

 ここから奧山線のルートをたどるように進んでいきましょう。

奧山線亀山トンネル
亀山トンネル入り口にある奧山線の写真郡

 奧山線のルートをたどり、中部学園を超えたあたりに、奧山線亀山トンネルが見えてきます。実際に奧山線が通っていたトンネルですが、現在は遊歩道兼サイクリングロードとなっています。
 整備されているのでかなり綺麗な見た目ですが、天井が煤で黒くなっているように見えました。かつての姿を偲ばせます。
 人が2人並んだら道が埋まってしまうくらいの狭さは、軽便鉄道であった事実を教えてくれます。トンネル内には奧山線の写真も展示されていて、非常に興味深いです。

広沢駅跡

 亀山トンネルを抜けると、線路跡が遊歩道兼サイクリングロードとして整備されています。銭取駅跡付近まで続いているそうです。
 遊歩道を少し進むと、鉄道を象ったレリーフがありました。広沢駅の跡だそうです。今はマンションが建っています。

広沢トンネル跡

 広沢駅を超えて進むと、レンガ造りのガードをくぐるような場所にたどり着きます。これも奧山線の広沢トンネル跡だそうです。結構短いですね。

銀河鉄道999を思わせるすべり台

 広沢トンネルを抜けるとすぐ右手に写真の建造物が出てきます。銀河鉄道999を彷彿とさせるこの建造物は、どうやらすべり台のようです。中々ユニークですね。作中でさくらが寝そべっていたすべり台がまさにこれです。

 作中ではここで引き返しましたので、我々もここで終わりとしましょう。

 次回は天浜線を巡ります。次回の更新もお楽しみに!

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