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問題を解決しようとすることの危うさ|『土と内臓』を読んで



『土と内臓』という本を読んだ。

5年くらい前に買っていて、ずっと積んでいたのだけれど、ついに読み終えることができた。

読めなかった理由はいくつかあって、そもそもこの本がなかなか分厚いということ。

そして翻訳本ということだ。


翻訳本は少し苦手。

特にポピュラーサイエンス本特有の自叙伝のような語り口を読みにくいと感じてしまって、なかなか読み進めることができない。


専門的な内容が含まれる類のものなので、ある程度本を読み慣れている人ではないと、理解するのに時間がかかってしまうというのもあるだろう。




この本は土の中や体内(特に腸内)にいる微生物たちの働きにスポットを当てた内容となっている。

これまでの科学では、微生物や菌といえば『悪いもの』とレッテルを貼られがちで、『どうやって排除するか』ということを中心に語られてきた。

しかし、そもそも微生物を排除することは必要なんだっけ?それによる不利益はないんだっけ?

というところに切り込んでいくのが、この本だ。



この本が刊行されたのは2016年。それからおよそ8年。

その間に農業では自然農法や有機農法という言葉が、体の健康についてはプロバイオティクスや腸活といった言葉がお茶の間の目に触れる機会が多くなってきた。

なので、農薬を撒くことは『あまり良くないこと』というのは多くの人が理解しているだろう。

できることならば抗生物質は摂取したくないと思っている人も多いのだと思う。





この本から受けるメッセージを一言で表すと『微生物と仲良くなって共生しよう』ということになる。

それは間違っていないし、土壌環境に有害な農薬散布は減ってほしいと思っている。


この本の結末には以下のようなことが書いてある。



 農業においてこれは、土壌をその本来のあり方、つまり生きているすべての生命の基礎として扱うということだ。何を栽培するにしても肥料をやらなければならない。そして農地の土壌を肥沃に保つには、有機物を与えて土壌生物を繁殖させることだ。ほぼ同じ考えが、私たちの内なる土壌にも当てはまる。

(中略)

 さまざまな専門分野の科学者や医師が、この先十数年、新しい医療と治療法を触発するような発見を待ち構えているが、一方で、かなりはっきりしていること──いますぐ行動を起こせること──もある。自分のマイクロバイオーム、つまり免疫系の生きている基礎を考えて食べることだ。腸内微生物相に複合糖質が十分届いていれば、健康が手に入るのだ。

『土と内臓』324頁, 325頁



微生物との共生を目指すための解決策として、微生物の餌となる物質を積極的に摂取しよう(食べよう)というようなことが書いてある。

ここでいうところの、『複合糖質』というのは、つまり『食物繊維』のことである。

土壌のことをいえば、微生物の餌になる有機物を土に与えようということが書いてある。

本全体のメッセージには、大きく賛同できるのだけれど、この部分に関しては、少しの違和感を覚える。

その方法自体は悪いことではないのかもしれないけれど、その答えの導き方というか、課題への向き合い方に疑問を感じるからだ。




とある問題に対して、課題を絞り、そこに対するソリューションを提示するというやり方は、かつて農薬が生み出され、化学肥料とともに散布されたときの『思考構造』と何も変わっていないと感じるからなのである。

私たちの人類史の中で、農薬や化学肥料が撒かれてしまった理由はその思考の構造にあると思っている。

それは問題となっている元凶を一点見つけ出して、そこに対して局地的にアプローチするということ。

農薬であれば、作物をダメにしてしまう病原菌を殺してしまうということであり、化学肥料であれば、作物に必要なリンやカリウム、窒素を直接的に土に混ぜ込むということだ。

こうやって問題を細分化して、対処していけば、問題は解決され、農薬や化学肥料は人類の叡智となるはずだった。

でもそうはならなかった。

この局地的な問題解決方法は新たな問題を生むだけだった。

そして、イタチごっこのようにそれは延々と続いていった。




現代人がこの過去の過ちから学ばなければならないのは、もっと『問題を大きな視点で捉える』ということなのだと思う。

そして、元も子もないことを言ってしまえば、問題というものは視点を引けば引くほど、問題ではなくなってしまうということなのである。

農業であれば、虫や病原菌が作物をダメにしてしまうのは、一種の『浄化作用』であり、偏った土壌環境をニュートラルに戻すために組み込まれているシステムだと、理解することができる。

自然農法を学んでみるとわかるけれども、10年もすれば土は健康になり、元気な作物が育つようになってくれる。

放っておけば、時間が解決してくれるのだ。

しかし、大きな問題がここにはある。

私たち現代人は、そんなに長い時間を悠長に待っていられない社会に生きているということだ。

これは由々しき問題だと思う。





局地的な問題解決は、必ず全体のバランスを崩すことになる。

腸に優しいからといって、食物繊維を大量に摂ればその弊害が必ずでてくる。

土に有益だからといって、有機物を大量に撒けば、そのバランスを保つために何かが起こる。

ちなみに、知人の自然農法を実践している農家さんから聞いたことだけれど、実は化学肥料をつかった慣行農法よりも、有機肥料を与えた有機農法の方が長い目で見たら『やっかい』だということを言っていた。

それは化学肥料に含まれている化学物質は短い期間で土中から排出されていくけれど、有機物由来の物質はかなり長い期間(10年以上)たたないと、排出されていかないとのことなのだ。

なるべく自然な状態、自然のシステムの中で作物を育てるという方針のある自然農法家さんにとっては、有機物を大量に撒いた土は決して自然ではなく、『余計なこと』だと見えているということなのである。

しかもそれは、化学肥料よりも『やっかい』だと。




だからといって、日本の農業を『自然農法にしよう』などということを言いたいわけではない。

ハッキリ言ってそんなことは、無理なのだと思う。

ここで本当に問題なのは、私たちは『待てない社会』に生きているというところにあるのではないだろうか。

『待てない社会』に依存している以上は、農業も医療もごまかしごまかし付き合っていかなければならない。

100点満点は難しいので、60点くらいの妥協案を採用していくしかない。

100点満点を目指そうとした結果、20点くらいに着地してしまった過去があるのだから無理はいけない。

問題を解決しようとする思考の先には、問題を『悪化させる可能性がある』という陰の部分が含まれていると認識しておく必要がある。

そして、積極的に『問題を解決しない』という選択肢を持っておくことが、大切なのだと思う。












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