政府もメディアも黙殺した日本の姿#4(東亜解放)

お盆の間,先の大戦についてテレビでもネットでもいろんな人がいろんなことを言ってました。その多くは,侵略戦争だったとか,通州事件は虚偽だとか,軍国主義と自虐史観に立脚したもので,靖国に眠る方々を未だに「戦犯」と呼ぶのは英霊たちの尊厳を貶めています。反日メディアや左巻きの人達は日本を破壊したくてしょうがないようですね。

私も,その時代を見てきたわけではないので真実はわかりません。
しかし,書籍や新聞などで公開されている海外の人々の発言は,我々が教えられてきた歴史とは異なるものであり,「政府もメディアも黙殺した日本の姿」シリーズで紹介してきました。


第3弾で紹介した天皇陛下の「開戦の詔書」にあるように,大東亜戦争の意義は東亜解放にあり,第4弾では,日本が侵略したとされるその東亜の国の人々が戦争を,日本をどのように見ていたのかを紹介します。

日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ

元マレーシア外務大臣 ガザリー・シャフィー

なぜ日本が謝るのでしょうか?あの大戦でマレーシア人と同じ小さな体の日本人が、大きな体のイギリス人を追い払ってくれたではないですか。日本なくして東南アジアの独立はありませんでした。この日本が払った尊い犠牲を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです。本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の開放は実現した。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります

元マレーシア外務大臣 ガザリー・シャフィー

とくに私が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ。
責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。
『その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか。日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。』

元マレーシア外務大臣 ガザリー・シャフィー

日本軍は、長い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。私たちはマレー半島を進撃していく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げていく英国軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育を行ってくれたのです。
私たちが日本で教育を受けたころの日本は、現在の日本と比べることができないほど貧しい国でした。しかも、あの当時の日本は全身傷だらけになって、アジアを西欧植民地から解放するための大東亜戦争を戦っておりました。私たちはその貧しい戦時下の日本で『日本の素晴らしさ』を与えられました。日本はアジア諸国に偉大な遺産を遺してくれました。400年の長きにわたった植民地体制を打破し、アジアの青年たちに民族自決の戦いをとる決意と覚悟を与えてくれたのです。日本の青年が命を捨てて血を流して遺してくれた、尊い偉大な遺産を基にして、祖国の独立とアセアンの結成を成し遂げたのです

元マレーシア上院議員 ジャー・ダト・ノンチック 『世界が誇る大東亜戦争と東京裁判』

この国に来られた日本のある学校の先生は『日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ』と言っていました。私は驚きました。『日本人はマレー人をひとりも殺していません。日本軍が殺したのは、戦闘で戦ったイギリス軍や、それに協力した中国系共産ゲリラだけです。そして、日本の将兵も血を流しました。』と私は答えてやりました。

元マレーシア上院議員 ジャー・ダト・ノンチック 『世界が誇る大東亜戦争と東京裁判』

アジアの希望は、植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。

元インドネシア首相 モハメッド・ナチール

我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り、幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの投智なスパイ網と、強靭な武力と、苛酷な法律によって、圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し、感謝感激したのは当然である

元インドネシア第三副首相 アラムシャ

我々アジア・アフリカの有色民族はヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。…そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。そして実はわれわれの力でやりたかった。

元インドネシア情報相 プン・トモ -昭和32年の来日の際の発言-

日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。日本は目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。

インドネシア政治学博士 アリフィン・ベイ

大東亜戦争開始以来、歴史に較べるもののない日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに参加することを可能にした。日本政府は単に自己防衛のために戦うだけでなく、英米帝国主義のアジアからの撲滅を期し、さらにインドの完全な独立を援助するものである。いまやインド国民軍は攻撃を開始し、日本軍の協力を得て、両軍は肩を並べ、共同の敵アメリカ・イギリスの連合国に対し、共同戦線を進めている。外国の侵略の軍隊をインドから駆逐しない限り、インド民衆の自由はなく、アジアの自由と安全もなく、英米帝国主義との戦争の終結もない。

デリーインド国民軍裁判主席弁護人 チャンドラ・ボース

このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド4億の国民は深くこれを銘記している。インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。

インド弁護士会々長 グラバイ・デサイ -1946年の軍事裁判に出廷した藤原岩市氏らに-

私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。
それなのに、あなた方は自分らの子弟に「 日本は犯罪を犯したのだ 」「 日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ 」を教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。
あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ

あやまられた歴史は書き変えなければならない。

極東国際軍事裁判判事・法学博士 ラダ・ビノード・パール
-昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演-

彼ら(日本)は謝罪を必要とすることなど、我々にはしていない。それ故、インドはサンフランシスコ講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない。

初代インド首相 ジャワハルラール・ネルー

真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった
歴史的に見るならば日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたの解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない。もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、南機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北もアジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本の為に惜しむのである。

元ミャンマー(ビルマ)首相 バー・モウ 『ビルマの夜明け』

大日本帝国は軍政を最終的に撤廃し、フィリピン共和国の独立を承認するというこのうえない形で、その高邁な精神と理念を証明した。帝国はその全ての誓約と宣言を誠実に守り、フィリピン国民が憲法を制定し、自らの文化と伝統に調和する国家を樹立する最大の機会を開いたのである。大東亜において日本帝国はあまりに激しく、あまりに不当に圧政暴虐の侵略者として非難されているが、その寛容と自由の実践は世界も驚くであろう。日本は帝国であったが一つの共和国を認め、まさにその樹立に参画した

元フィリピン大使 ホルヘ・バルトロメ・ヴァルガス 

日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない。

元タイ首相 ククリット・プラモード -12月8日 現地の新聞「サイアム・ラット紙」-

私達は国旗の選択に相当苦労した。
日の丸の部分を黄色にしたのは、月を現わす。周囲の青地は海を意味する。月は太陽が出ないと輝くことができない。つまり月は太陽によって支えられ、月としての生命を持つ。太陽とは日本のことである。海に囲まれたパラオという国は、日本の太陽の反射によって輝かねば生きられないのである。
我々はまた戦争中に、日の丸を掲げて強大な米軍と交戦した日本軍将兵の勇敢さと純粋さに、大きな魅力と尊敬を捧げている一万に及ぶ英霊たちは私達に、勇気と国を想う心があれば、アメリカよりも強くなれることを教えて死んだのである

パラオ国旗について

**********

当事者である東亜の人々の言は,第3弾で紹介した連合国側の人々の評価を裏付けるものです。大陸人・半島人に乗っ取られた左翼メディアの報道とは真逆ですが,NHKの番組同様,これらの言も捏造されたものでしょうか?

もし日本が東亜を侵略した戦争犯罪国家なら,焼け野原となりポロポロになった日本を叩く絶好のチャンスなのに。(事実,隣国は,ここぞとばかりに日本を糾弾し,大金を巻き上げ大きく発展しました)

日本の味方をしても彼らには何一つメリットはなかっはずなのに。
共産主義とグローバリズムに対抗した日本の肩を持ったら,自分たちもとばっちりを食うかもしれないのに。

それでも多くの東亜・欧米の人々が声を上げたのは,日本人の行いが正しかった証であり,日本に感謝し日本の復興に期待していたからではないでしょうか。だから,戦後,アジアだけではなく中東でもアフリカでも,日本人というだけで尊敬され好意的に接してくれたのではないでしょうか。

いまでも親日の国が多いのは,有色人種国家を侵略し搾取し文化を破壊した白人国家に敢然と立ち向かった英霊たちの子孫だからであり,日本人は強者に諂うのではなく正しいと信じることを貫く民族だと信じられてきたからです。

「今だけ金だけ自分だけ」の腑抜けた民族に成り下がった現代日本では,我々の子供たちの時代には世界から尊敬されなくなるどころか,隣国並みに忌み嫌われているかもしれません。

ワンピースや鬼滅の刃などの漫画・アニメが子供だけでなく大人にも響くのは,プロパガンダ目的のドラマや映画が失った日本精神が根底にあるからであり,日本精神が我々のDNAに刷り込まれているからでしょう。
そして世界中で大ヒットしているのは,人種や宗教に関係なく心の奥底で日本精神が持つ利他や和の心,正しいと信ずることを貫く大和魂を希求していることの現れでしょう。

日本人の多くが覚醒し日本精神を取り戻せば,現在の「今だけ金だけ自分だけ」の輩が主人公の暗黒の物語をぶち壊し,映画やアニメの世界ではなく,現実に日本人が世界を救う物語も十分実現できるはずです。
"彼ら"が最も恐れているのは日本人が正気を取り戻すことです。

是非,我々が主人公の希望に満ちた物語を創り上げましょう。
英霊たちは,そういう日本の未来のために命を懸けたのであり,それを世界中が待ち望んでいます。

#未来のためにできること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?