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「初めてサウナに入った日本人」

漂流者のロシア見聞を聞き書きした「環海異聞(かんかいいぶん)」という記録がある。
寛政5年(1793)奥州宮城郡の水主、津太夫・儀平・左平・太十郎ら16名が若宮丸という船に乗り組み、石巻から江戸へ向かう途中、難風にあい、八ヵ月も海上を漂ったのち、アリューシャン列島のオンテレイッケ島に漂着、ロシアの都市ペテルブルグに辿りついた。漂民ら10名のうち、後に4名が帰国(6名はロシアに残留)
この書に6巻に、ロシア式サウナ「バーニャ」の記録がある。

風呂は空風呂にて、銘々の家にあり、但し、住居より離れて風呂屋を建て、その仕方は内に石を積み置く、その下より火を焚き、その石を焼く、よく焼きたるとき、是に冷水を注ぎ打てかくなり。
湯煙り盛に立ち上がりて其内を充たす。此時風呂屋の入口の戸を閉づ、そして人々の入浴するところは其の直前に在り、板仕切りにて是を隔つ、其の熱湯の気ここに蒸し来る也。そして、内には幾重にも棚を設く、その棚の上に人々裸になりて其の湯気にて体を蒸すなり、よく垢もよれくたびれも癒るなり。
櫻の小枝の葉付のままなるを束手箒(ほうき)の如くにしてその内に置く。人々これを持って自身に体を打つときに垢よく落ちるなり。小桶に冷水を入れて置く。火気あまりに堪え難ければ折々箒にてその水を注ぐなり。おか湯ありしなどは此方に同じ。おりおり出ておか湯を遣い又入るなり。一ヶ月四度斗りたつなり。これはオシキリヤンヤと云う。或る日の前夜には必ず家内中身を清めるなり。

・・・・以上は、おそらく、日本人で初めてバーニャに入った男の記録だと思います。完璧に記している。(ヴィヒタは櫻では無いですが)

この書の成稿は1807年。後にこれが日本にどう伝わったか 誰も研究した人は居ない。今後の研究テーマにしたら面白い。

絵を見ると、壁に円形の無数の穴が空いている。段数は4段、かなり熱そうですね!

おか湯= あがり湯 オシキリヤンヤってなんだろう・・・

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