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結婚するって本当ですか(2)(2012)

第2章 恋愛結婚と流行歌
 『こんにちは赤ちゃん』では、「個人の尊厳と両性の本質的平等」に立脚した戦後の結婚よりも、やはり中心にいるのは赤ちゃんです。恋愛結婚を直接題材としているわけではありません。

 恋愛結婚の幸せを高らかに歌い上げた最初の作品は加山雄三の『君といつまでも』です。この1965年の名曲は「若大将」のイメージ・ソングとも言えるでしょう。彼は、当時、あのシリーズ映画のみならず、コカコーラのテレビCMにも主演しています。作曲は弾厚作、すなわち加山雄三本人、作詞が岩谷時子です。女性が結婚において男性に何を求めているかを物語るこの歌詞は非常に画期的です。歌っているのは田沼雄一ですが、それは星由里子扮する中里澄子の心情を言語化しています。「個人の尊厳と両性の本質的平等」を完璧に具現化しています。

 最も恋愛結婚を歌ったのは団塊の世代、すなわちフォークシンガーたちでしょう。彼らにとって恋愛結婚は新しいライフ・スタイルであり、自分たちのアイデンティティでもあるのです。1960年代末、結婚全体に占める比率において恋愛結婚と見合い結婚が逆転します。1970年代に入ってヒットしたフォークソングには、実に多くの恋愛結婚を歌った曲があります。はしだのりひことクライマックスの『花嫁』(1971)、吉田拓郎の『結婚しようよ』(1972)、チェリッシュの『てんとう虫のサンバ』(1973)、かぐや姫の『妹』(1974)など数え上げればきりがありません。

 見合い結婚と言っても、戦前のそれは今日と異なっています。当人の意向はまったく問われず、親族を始めとする周囲が話を進めます。相手の顔を見るのは式当日が初めてということも珍しくありません。戦前はイエ制度がありましたから、見合い結婚は家同士が見合う結婚なのです。

 ただし、こうした見合い結婚も歴史的・地域的な婚姻形態です。江戸後期に神社の境内や水茶屋などで世話人が男女を引き合わせる習慣はあったものの、見合い結婚が支配的になるのは明治20~30年代です。この時期は明治体制が強化され、保守派が後に「伝統」と見なすものが生まれています。1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が公布され、これに基づいて社会制度が整備されていくのです。この時期までの結婚は相当におおらかで、離婚も多いのです。近代史上最も離婚率が高いのは平成ではなく、明治中期以前です。それ以降、男女が入り混じるので、風紀を乱すとして盆踊り禁止令が出されるなどイエ制度を正当化する動きが政府主導で進められていきます。

 歌謡曲に目を転ずると、フォーク・シーンとは様相が相当に違っています。結婚が歌われることは稀です。演歌は意識的にアナクロニズムを追求するジャンルですから、伝統的な婚姻外の色恋を扱っています。たまにあったとしても、恐ろしく前近代的な北島三郎の『与作』(1978)になってしまいます。また、アイドルは疑似恋愛の対象ですので、結婚はご法度です。特に、当時は、「花の中三トリオ」を始めとして未成年が多く、結婚はまだまだ先の話です。

 結婚を扱った代表的な歌謡曲は、由紀さおりの『初恋の丘』(1971)、小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』(1972)、新沼謙治の『嫁に来ないか』(1976)あたりでしょう。いずれの曲にも共通しているのが「地方」です。自由恋愛はあまり感じられません。新沼謙治に至っては、岩手県大船渡市出身の元左官屋で、朴訥とした雰囲気があります。フォークソングの結婚が世代と結びついているのに対し、歌謡曲の場合、それは地方です。

 こうした歌詞は地方の過疎化が背景にあります。60年代後半から、いわゆる農家の嫁問題が表面化し始めます。高度経済成長と農業の機械化に伴い、農村から余剰人口だった若者が出ていき、各農家にはその世代が一人しか残らなくなります。農村では、跡とりをめぐって嫁とり合戦が激化するのです。多くの悲喜劇が生まれます。農村の意識は古く、女性を嫁、すなわち「腹」として捉えている有様です。自分の娘は農家に嫁がせたくないけれど、息子には嫁が欲しいという虫のいい考えをする親たちがざらなのです。これでは女性が敬遠するのは当たり前です。ただ、こういった実情は一般にはあまり理解されていません。識者でさえ、女性の高望みのせいくらいにしか思っておらず、先の三曲にも同時代の若い女性たちへの批判が読み取れます。

 フォークソングに代わってニュー・ミュージックが台頭すると、曲から結婚が消えます。恋愛結婚が多数派となり、フォークシンガーのアイデンティティですから、自分たちのそれとしては未婚や非婚の恋愛を選んでいます。小田和正は、還暦をすぎてなお、女性に「君」と呼びかけています。

 フォークシンガーが結婚を歌っていたことは確かですが、大部分が男性による作詞です。あくまでも男性から見られた恋愛結婚観なのです。「嫁ぐ」が前提となっています。岩谷時子が突きつけた女性からの恋愛結婚観の問いに、フォークシンガーが答えることはありません。新しい曲がリリースされても、結婚に関する認識の深まりがないのです。

 さだまさしが1979年に『関白宣言』と『おやじの一番長い日』という懐古的な結婚を題材にした曲を発表します。反時代的であるのを承知の上で、従来のフォークソングに対するアイロニーですが、最悪の展開だと言わざるを得ません。岩谷時子が示した結婚に関する女性の認識と向き合うことなく、フォークソングは男性だけで自己完結してしまうのです。身勝手もいいところです。こうなってしまえば、もはや結婚が音楽上でつきつめて歌われることはなくなります。

 花嫁の父が結婚式において感動的なスピーチをすることは少なくありません。送り手である父が受け手である娘と意識を共有しようとする強力な願望の下で発せられる言葉です。スピーチはその他ならぬコンテクストを志向します。人は、普段、そんなコンテクストを意識していません。どうしても言いたい、あるいは言わざるを得ないと感じた時に、その暗黙の関係を思い起こすのです。花嫁のスピーチはそんな背景を持っています。それを認知する中で、言葉が紡がれ、コンテクストを共有していない人でさえ心打たれるのです。しかもその場は二度とあり得ません。ですから、こうした言葉は何度となく口ずさまれてかけがえのない作品となっていく歌詞にそぐいません。さだまさしは歌詞が何たるかをわかっていないのです。

 音楽には、深刻な背景を持った曲もあります。『奇妙な果実』や『ハイサイおじさん』がそうした例です。ところが、その陰惨な背景を知った後でも、人々は演奏したり、歌ったりします。その背景に音楽でなければ救いようのないものがあるからです。人と人とのつながりがその音楽のパフォーマンスを通じて目指されているのです。

 音楽のコミュニケーションは独特です。音楽の動機は歌いたいや演奏したい、聴きたいであって、何かを正確に伝えたいや知りたいではありません。パフォーマンス自体が重要であって、メッセージは二の次です。ただし、儀式などある特定コンテクストがそれを求めることはあります。音楽作品は聴く人や再演する人、すなわち後から関わる人により影響を受けます。歌われたり、演奏されたりした曲が感受されたり、理解されたりする過程を通じて再構成されるわけです。

 この音楽のコミュニケーションの特徴を端的に示しているのがウッドストックでのジミ・ヘンドリックスによる『星条旗よ永遠なれ』でしょう。あの演奏はウッドストックという特定コンテクストと切り離して考えられません。それの求めるメッセージがあるのです。また、『星条旗よ永遠なれ』はもはやそのパフォーマンスを抜きに聴くことはできません。後から関わった人の影響を受けているのです。

 Sugarの『ウェディング・ベル』(1981)が結婚を歌った最後のヒット曲とも言えるでしょう。この作詞は元Timeの吉田喜昭、つまり男性です。メンバーは、当初、この曲を歌うことを拒んでいたと伝えられています。当然です。もう結婚を歌う意義などないのです。バブル期の1990年に平松愛理が『部屋とワイシャツと私』を発表していますが、『関白宣言』のアイロニーにすぎません。平松愛理自身によるこの歌詞は幼さが目立ち、ままごとに気を出ません。女性の思いは、結局、無視されてしまうのです。それは流行歌において権利としての結婚に関する認識の深まりが閉ざされてことを意味します。

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