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「タルチェフ」に翻弄された日本政界(2006)

「タルチェフ」に翻弄された日本政界
Saven Satow
Apr. 04, 2006

「目的を口実に手段の卑しさを高尚に見せかけること。これが、政治なのでございます」。
モリエール『フィガロの結婚』

 詐欺師はしばしば喜劇の舞台に登場する役柄です。喜劇には社会を諷刺する機能もありますので、詐欺師は権力の不正や腐敗を表象する役割を担っているのです。中でも、モリエール(Molière)の生み出した「タルチェフ」は演劇における詐欺師の一つの定型になっています。

 モリエールは、1664年、喜劇『タルチェフ(Tartuffe)』を発表します。ところが、ルイ14世により5年間の上演禁止を命じられ、修正された後の決定版が初演されたのは1669年となります。聖職者の偽善と腐敗をイメージさせると判断したためです。

 モリエールは、『タルチェフ』のエピローグで、王の警吏に「私たちは、詐欺を目の敵とされる国王陛下の下、生きています。そして、いかなるいかさま師の術策をもってしても,これを欺くことはできないのです」と宣告させています。この劇はモリエールのみならず、フランス演劇における最高傑作の一つです。

 2人の娘を持ち、裕福で善良なオルゴンは若く美しいエルミールと再婚します。そんな彼の前に、宗教熱心なタルチェフという男が現われます。彼の献身ぶりにすっかり感心したオルゴンは娘婿に迎えることを決めます。しかも、彼のずる賢い甘言に惑わされて、オルゴンは実の息子との縁を切り、全財産をタルチェフに相続させるとまで考えてしまうのです。

 そこで、タルチェフの本当の姿に気づいたエルミールとオルゴンの娘たちはオルゴンにそれをわからせようとさまざまな索を練ります。ドタバタの挙げ句、最後にはオルガンもタルチェフの策略を知るのです。

 政界はタルチェフのような人物に翻弄されています。堀江貴文元ライブドア社長と西沢孝出版社役員は喜劇の登場人物にはうってつけでしょう。自民党や民主党だけでなく、小泉純一郎首相に至っては、イラクが大量破壊兵器を所有しているというアメリカの報告を鵜呑みにして、自衛隊を派遣してしまいます。

 小泉政権はよく「劇場型政治」と呼ばれます。確かに、舞台にふさわしいいかがわしい人物がそこに関わっています。ただ、本来、劇場型政治の意味は一般的にイメージされているものと違います。それはフランス革命以降のブルジョア民主主義やエリート民主主義を指す概念です。

 19世紀の欧州で政治参加が拡大します。ただ、当時は、普選の20世紀と違い、制限選挙です。選挙権は財産と教養を持ち合わせた教養市民層に限られています。その政治空間の譬えとして劇場が用いられるのです。

 劇場に入るのに18世紀までのような身分は問われません。ブルジョアの世紀にふさわしく、入場券を購入できればいいのです。それは券を購入できる財産と演目を楽しめるだけの教養が条件ということを意味します。そうしたエリート民主主義が劇場型政治なのです。

 日本政界がモリエールの劇と違う点は、騙された人物が必ずしも善良とは言いがたいことです。『タルチェフ』には、「外見の輝きに目が眩み、何とたやすく間違った意見をつくってしまうことだろう」という有名な科白があります。

 しかし、胡散臭く、怪しげな外見であるにもかかわらず、「何とたやすく間違った意見をつくって」しまった彼らが発するにはふさわしくないのは間違いありません。しかも、「私たちは、詐欺を目の敵とされる政治の下、生きています。そして、いかなるいかさま師の術策をもってしても,これを欺くことはできないのです」というエピローグを迎えるとしたら、それはあまりにも白々しいでしょう。
〈了〉
参照文献
モリエール、『タルチェフ』、鈴木力衛訳、岩波文庫、1973年

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