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捕物帳と政談(6)(2023)

6 『大岡政談』
 その代表が大岡越前守忠相である。彼をめぐるお白州に関連したエピソードを集めたのが『大岡政談』で、政談の中で最も知られている。忠相は、名奉行としての裁きや市中行政の改革のみならず、地方御用を務めでも誉れの高い人物である。同時代からすでに彼をモデルにした作品が出現、年月とともに数を増やし、それらが『大岡政談』としてまとめられ、写本や舞台、口承を通じて発展・継承されたと考えられている。

 大岡忠相は、1677年(延宝5年)、1700国の旗本大岡忠高の四男として江戸に生まれる。1686年(貞享3年)、1920石の旗本大岡忠真の養子となり、その娘と婚約する。1687年(貞享4年)、5代将軍徳川綱吉に初めて御目見する。8代将軍吉宗に抜擢され、1717年(享保2年)から1736年(元文元年)まで南町奉行を務める。その後は寺社奉行に異動、1751年(寛延4年)に病気のため辞職、翌1752年(宝暦元年)に亡くなっている。

 『大岡政談』は芝居や講談、落語、民話として現在でも語り継がれている収録作品も少なくない。『髪結新三《かみゆいしんざ》)』や『梅雨小袖昔八丈《つゆこそでむかしはちじょう》』の演目で知られる「白子屋阿熊《おくま》一件」はその代表例である。他にも、「徳川天一坊」や「村井長庵」、「越後伝吉」、「畔倉重四郎」、「後藤半四郎」、「小間物屋彦兵衛」、「煙草屋喜八」、「縛られ地蔵」、「五貫裁き」、「三方一両損」などが収められている。

 詳細はともかく、言葉としてもよく知られている「三方一両損」が端的に示す通り、政談は、捕物帳と違い、ミステリーではない。確かに、犯罪を扱っているけれども、内容は知恵文学で、テーマは道徳の勝利である。科学的な立証ではなく、頓智頓才が問題解決の見せ場である。善行は報われ、悪行は罰せられる。政談は謎解きではなしに、この世に悪の栄えたためしはないことを物語る。

 歴史研究により、収録策のほとんどがノンフィクションではないことが明らかになっている。町奉行として忠相が実際に裁いたのは『白子屋阿熊一件』だけとされている。また、各エピソードには中国の作品を含め様々な影響が研究者から指摘されている。

 口承を含めて前近代の民衆文学から読み取るべきは、その中核にある集合知識である。知識人が一語一句熟慮して書き綴った作品と同じように扱うのは見当外れだ。それが事実であるかどうかや他の文学からの影響が何かを論じるのは最重要課題ではない。民衆は共同体の規範を共有している。しかし、それはいささか抽象的である。これを「大岡政談」として具体的に表象、その集合知識を共時的・通時的に民衆は共有する。作品内の大岡越前は庶民の願望ではなく、あくまで規範を体現した人物である。民衆はそれを実演・-朗誦・鑑賞することで規範を確認していく。世の中に不正や悪行は確かにあるけれども、そうしたことをした人物は逃げおおせることなどなく、裁かれるものだ。この世は公正にできていて、道徳的によく生きることこそ報われるのだという集合知識がそこにある。

 知恵文学である『大岡政談』をミステリーの系譜に位置付けるのは誤謬である。それは近代と前近代の違いを理解していない認識にすぎない。近世において法解釈こそが立法であり、裁きも徳の実践である。奉行は祐徳者であるから、頓智頓才によって政治的・経済的・社会的弱者も納得のいく裁きを下すことが求められる。法を杓子定規に理解するなら、その人物は祐徳者ではない。裁きにおいて民衆が関心を寄せるのは奉行による徳の実践であり、犯罪の謎解きではない。

 庶民は犯罪解決において期待するのは、いかに当局がそれを捜査したかではなく、規範の勝利である。江戸時代に生まれた政談では、犯人が幽霊に怯えて自首する設定のものがある。『大岡政談』初秋の「村井良庵」が好例である。また、『梅若礼三郎』のように、義賊も自分お行為によって弱者に迷惑をかけていることを知り、自首するケースもある。政教一致の世界の人々にとっての犯罪をめぐる作品の楽しみは謎を解くことではなく、道徳の勝利であり、捕物帳が生まれるはずもない。

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