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『人生劇場』と青春(2019)

『人生劇場』と青春
Saven Satow
Sep. 29, 2019

「あれもいい、これもいいという生き方はどこにもねえや。あっちがよけりゃこっちが悪いに決まっているのだから、これだと思ったときに盲滅法に進まなけりゃ嘘ですよ」。
尾崎士郎

 青春の共有が尾崎士郎の『人生劇場』ヒットの一因だろう。それは新聞小説として連載が始まったことからも推察できる。ベネディクト・アンダーソンは『想像の共同体』において近代ナショナリズムの形成に新聞を始めとするプリント・メディアが大きな貢献をしたと指摘している。印刷物を媒介にしたニュースや言語の共有が想像上の共同体意識を促し、ナショナリズムの基盤になったというわけだ。新聞の通じた青春の共有が『人生劇場』にはある。

 『人生劇場』は尾崎士郎の自伝的大河小説である。1934年、主人公青成瓢吉が愛知県吉良町(現西尾市)から上京して早稲田大学に入学するなどの青春像を描いた「青春篇」が都新聞で連載される。その後、「愛慾篇」・「残侠篇」・「風雲篇」・「離愁篇」・「夢幻篇」・「望郷篇」・「蕩子篇」など彼の人生物語が1959年まで発表されている。1935年に竹村書房より「青春篇」が刊行されると、川端康成が賞賛、ベストセラーとなっている。

 大河小説は教養小説の一種である。このジャンルは人間の内的世界の成長を描くものだ。代表作としてヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』を挙げることができる。大河小説はその過程に歴史的変化を重ね合わせたもので、フランスで発達している。ロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』が代表作である。

 教養小説が出現した当時の欧州はフランス革命前夜であり、近代社会が到来しつつある。教養小説はそこに誕生した新しい人間類型、すなわち近代人を文学に導入する。

 近代では通過儀礼によって子どもから大人へと転換するわけではない。生きていく過程を通じて苦悩や葛藤などを経て内的に成長していくものだ。もちろん、ゲーテの時代は近代社会が出現していたと言うよりも、それに向かう過渡期である。前近代と近代が入り混じり、激動の最中だ。

 前近代は遺産相続社会である。人は生まれついた家の身分や職能によって将来が決まる。選択の自由がないので、多感な青春も存在しない。一方、近代は自由で平等、独立した個人によって成り立つ社会を理念としている。人はどのような人生を選ぶべきなのかを問い始める。その最も多感な時期が青春である。葛藤に悩む青年は理想と現実の間で揺れ動く。

 大河小説『人生劇場』の中で最も評価と人気が高いのがこの時期を扱った「青春篇」だろう。実際、作尾崎士郎を作家として確立させている。

 しかし、1930年代、高等小学校卒業後、社会で働き始める人が大半である。主人公のように早稲田大学に進学できる人は恵まれている。主人公の境遇を自身の体験と重ねて自分と同じだと共感する読者は必ずしも多くない。

 主人公は「先が思いやられるような人間になれ」と父から諭されている。ところが、彼の「人生劇場」はそれに反するように展開していく。

 主人公は理想を抱き、純情で、いささか直情的である。バンカラな彼には青白きインテリの憂鬱や煩悶はない。等身大の心理ドラマと言うよりも、アウトローの冒険物語である。自分たちにできないことをやってくれる代理だ。読者とすればハラハラドキドキの感覚が味わえる。

 確かに、こうした登場人物は時代を超えて読者にとって魅力的である。それは、本宮ひろ志のマンガの主人公がそうであるように、小説に限らない。ただ、一九三〇年代という時代の気分を無視するわけにはいかない。

 1931年の満州事変以降、日本は戦時色が色濃くなっていく。閉塞感が増すばかりで、それを打開するとして未遂を含めたクーデターやテロが頻発する。その時、最も旧進化した勢力の一つが青年将校である。青年は近代において変化を担う存在だ。青年には旧隊歴然たる遅れた社会を一気に変えてみせるという情熱のほとばしりがある。もちろん、それが成功するとは限らない。

 こうした時代の下、『人生劇場』の「青春篇」は読者に歓迎されたと言える。主人公は理想を抱き、閉塞感のある現状を革新しようと、行動する。主人公には時代の変化と自身の成長が重なる。読者は時代と共に青年の変化への情熱にあふれた青春に共感する。「青春篇」にはそうした当時の気分が伝わってくる。この作品を読む意義はここにもある。
〈了〉
参照文献
尾崎士郎、『人生劇場 青春篇』、新潮文庫、2000年


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