見出し画像

ドラゴンアイの季節(2)(2020)

3 ドラゴンアイ
 その八幡平にある無数の沼の一つに「鏡沼」がある。山頂近くにあり、円形状で、直径は約50mである。そこに竜が棲んでいる。しかし、姿を目にすることなどない。冬眠から目覚めた時だけその存在を現わす。それは5月末から6月上旬の頃である。目が覚めた竜は鏡沼から外の様子を伺い見る。その目は碧緑の強膜、白い虹彩、黒い瞳孔という構造をしている。竜は確かに鏡沼に棲んでいる。「ドラゴンアイ」がその証である。

 今はドローンがあるので、ドラゴンアイを真上から見ることができる。その動画をSNS上で閲覧することも可能だ。

 曽田幹東記者は、『asahi.com』2020年6月10日 16時00分更新「『ドラゴンアイ』、八幡平にお目見え 雪解けの季節だけ」において、次のような紹介文に併せてドローンによる撮影動画を公開している。なお、撮影者は曽田幹東・小玉重隆記者である。

 岩手県と秋田県にまたがる八幡平(はちまんたい)(1613メートル)の山頂付近の鏡沼(かがみぬま)(直径約50メートル)で、雪解けの季節に見られる「八幡平ドラゴンアイ」が出現した。
 八幡平は山頂付近に雪が残っており、鏡沼を上から眺めると残雪が巨大な「竜の目」のように見える。沼中央部の雪が解けて雪がドーナツ状になると「開眼」とされ、今年は7日に開眼した。
 好天に誘われ、9日は山頂近くの駐車場は近県ナンバーの車で混雑し、大勢の人が石畳の散策路を上って鏡沼をめざした。岩手県花巻市から来たパート藤根忠雄さん(68)は「今年は竜の瞳を見られて良かった。写真をフェイスブックにあげたい」と話した。

 けれども、ドラゴンアイを見に人は鏡沼に実際に足を運ぶ。確かに、動画はさまざまな角度やサイズで見ることができる。しかし、それによって美しさを認識しても、崇高さを体験することなどできない。人は直径50mの目を持つ竜を見に行く。その大きさは実際に雪に覆われた小高い沼の縁の上に立って目にしなければわからない。対岸に見える森の木々の高さより直径が大きく、視野からはみ出してしまう目は、見る人を圧倒する。そうした崇高さを見るために人は鏡沼に赴く。

 イマヌエル・カントは『判断力批判』において美と崇高に関する議論を提起している。崇高の経験は主観に基づき、構想力によって生み出される。その構想力の中で感覚刺激が増えると、理解力の働きを妨げてしまう。それには経験の三つの要素、すなわち対象・無限・自由の圧倒的な大きさ、または力がきっかけになる。カントは崇高さを「数学的崇高さ」と「力学的崇高さ」に分類する。「数学的崇高さ」は、ピラミッドの近くに立ったときに感じられるような広大無辺な圧倒的な感覚である。包括的な理解が完全に行われないため、「驚愕や当惑の感情」を沸き起こす。一方、「力学的崇高さ」は、大地震に直面したときのように、力強さとしての自然との相互作用の中で感じられる。荒れ狂う自然現象は恐怖と自分自身の卑小さを感じさせるものだ。ただ、脅威から逃れられる判断ができるならば、それに抵抗し得る。

 「数学的崇高さ」を求めて人はドラゴンアイを見に行こうとする。しかし、2020年にはそうもいかない事情が生じている。それは新型コロナウイルスである。その眼に見得ぬ小さなものが「数学的崇高さ」の経験を束縛している。感染拡大予防のための外出・移動制限下ではオンライン鑑賞をする人も多いことだろう。同年の観光バスによる団体ツアーも中止になっている。

 鏡沼へ通じる道には樹海ラインと八幡平アスピーテラインがある。もっとも、これは一本の道路で、鏡沼から見て南側が前者、北側が後者である。樹海ラインは、アスピーテに比べて、魅力に乏しい。

 「アスピーテ(Aspite)」は、ドイツの火山学者カール・シュナイダーによる1911年の火山分類における「楯伏火山」を指す。このラインは岩手県の八幡平御在所地区から秋田県のトロコ温泉まで、八幡平を横断する全長約27kmの自動車道である。通行可能期間は4月中旬から11月上旬までで、それ以外は閉鎖されている。2020年は4月15日10時に開通する。通行禁止が解除されたばかりの頃はこのドライブウェイの両側に数mの雪の壁が残り、クルマは「雪の回廊」を走り抜けることになる。

 アスピーテラインは急勾配で、見通しが悪いカーブが連続している。中にはヘアピンカーブもある。時に、衝突事故の現場やそこに向かう緊急車両に遭遇することもある。つぶれたバンパーや折れ曲がったタイヤのホイールが路上に散乱しているのを見ると、背筋が少し寒くなる。そんな道路でも筍採りの地元民は軽トラックで難なく進んで行く。

 路面にはもう雪はない。ただ、山の斜面には残雪が見え、標高が上るにつれ、増えて行く。クルマで行けるのは山頂レストハ​ウス八幡平までである。そこからは徒歩になる。レストハウスはアスピーテラインの東側、鏡沼は西側にそれぞれある。ここは県境でもあり、東が岩手県、西が秋田県である。

 駐車場には雪がなく、秋田県と岩手県に関連するナンバーのクルマが並んでいる。空いている駐車スペースを探すこともない程度の入りである。観光バスの姿は見えない。クルマから降りたり、帰ろうとしたりする人たちの服装はまちまちだ。ここが富士山かと錯覚してしまうような装備の人もいれば、コンビニの店内と勘違いしそうな恰好の人もいる。黒のダウンに濃紺のリーバイス、トレッキングシューズという出で立ちは、おそらく、この中では平均的である。

 日差しはあっても、ふもとに比べれば、ひんやりとした風が音を立てないくらいに強く吹く中、展望駐車場を出て、八幡平アスピーテラインを渡ると、山道の入り口がある。鏡沼まではそこから徒歩で20分ほどの坂道とされている。

 山道、すなわちドラゴンへの道は黒い表面にiPhoneほどの石が敷いてある。けれども、石畳のように整地されていないので、時々足首が内に外に軽くねじれる。歩いていくと、その石と石の間に残雪が現われてくる。さらに、進むにつれて雪のお王面積が増えていき、いつしか道は白くなっている。サングラスをしていても、太陽光が雪に反射して少々眩しい。

 道と言っても、雪を被ったままのアオモリトドマツの間に見える人の歩いた跡のことである。シャーベット状の雪は、静かにトレッキングシューズを乗せたつもりでも、崩れて滑ってしまい、バランスを崩す。また、道の端に雪解け水が水たまりを作っている。それがアオモリトドマツの陰になっていて見えにくい。雪に滑ったり水たまりにはまったりしないように、アオモリトドマツの枝をつかんで、足元を確かめながら、ゆっくりと進む。

 難しいのは上りではなく、下りだと歩きながら思う。坂道を上っているはずなのに、下っている時の姿が頭の中に浮かんでくる。下っているだけでなく、翌日の筋肉痛の気分さえ感じられる。実際、その後に思い出しても、道を下って歩いている時のことだけが記憶に残っている。

4 ドラゴンへの道
 山歩き姿で、慣れた足取りの高齢の男性たちが「ゆっくり」とか「足元に気を付けて」とか「自分のペースで」とか声をかけてくる。しかし、そんなことくらいわかっている。わかっっちゃいるけどうまくできないのだ。もちろん、アドバイスに見えても、実際には挨拶のようなものである。黙って見ているのも悪いから声をかけているので、いちいち目くじらを立てることでもない。挨拶されたら応えるのが礼儀というものだ。「はい」とか「そうですね」とか「ありがとうございます」とつくり笑顔で返す。

 こちらは他人のことを気にかけている余裕などない。ところが、そんな気持ちを察してくれず、背後で進むのを待っている人もいる。挨拶をすることさえしんどいのだ。とっとと追い越して、自分のことなどほっといて欲しいのが本音である。そう苛立ってくると、背中からそれが現われるようになり、たいていの人は気まずそうに追い抜いて行く。けれども、あまりにも鈍感な人もいる。そんな時には、振り向いて顎でしゃくって先に進むように促すと、慌てて前を通りすぎる。このみっともない姿をいつまでも見られていたくはない。

 神経を集中しているので、疲れてくる。下りは上りより手足の他に気を使う。気を休めるために、顔を上げてみる。すると、道の北側の少し離れたところで桜の花が咲いているのが目に入る。それは高山植物のミネザクラである。松尾芭蕉が『おくのほそ道』の「羽黒」の章においてこのミネザクラを「炎天の梅花」になぞらえている。芭蕉は出羽三山に登り、月山から湯殿山に向かう途中でミネザクラを目にする。旧暦の6月、すなわち新暦の7月という夏の「遅ざくら」を「炎天の梅花」に見立てている。これは宋代の陳与義(簡斎)の詩「炎天梅蘂」に由来し、実際にはあり得ないけれども、心中で生まれる悟りのことである。俗を超越した禅にとって悟りの境地を意味する。芭蕉はこれを踏まえ、死と再生の過程において禅の悟りを見出し、それが新しい俳諧の奥義と暗示している。

 そんなことを思いつつ、山道の途中で、一休みしてのどを潤すことにする。表面は少し汚れているが、それを払いのけると、太陽の光をキラキラと反射する真っ白な雪が姿を現わす。そこに、メロン粉末ジュースを振りかける。少し待ってメロンシロップのかき氷のように変わった雪を両手ですくい上げて、口に運ぶ。ガリガリと食べると、八幡平をかき氷にしている竜になった気がする。これは、竜の伝承に言及されることがあるように、、母から教わった楽しみだ。

 岩手県は感染者数、すなわち陽性者数が今日までゼロである。レストハウスではつけている姿だけ見かけても、ドラゴンへの道でマスクをして歩いている人はあまりいない。山登りでマスク着用は息苦しくてつらい。一緒に来た人たちは、お互いに助け合いながら歩いているので、濃厚接触している。ただ、それ以外の人たちは“Wait”、すなわちソーシャル・ディスタンスを取っている。米国で感染予防として3つのWが推奨されている。“Wear(マスク着用)”に“Wash(手洗い)”、それに“Wait(対人距離保持)”である。山道で人々はまさに前の人を待っている。足元が悪いので、滑ったり転んだりする危険性がある。前後の人がそうなれば、巻きこまれかねない。それを避けるために、2m以上の対人距離をとらずにいられない。自然の中では合理的なことが現実的であり、現実的なことが合理的である。

 ドラゴンへの道での記憶は下りがほとんどである。片道20分とされているが、本当のところはわからない。時計を見る余裕さえない。ただ、上りの方が下りより長く感じられたことは覚えている。まだかと思いつつ目的地に向かう未知の道のりと達成した満足感と共に戻る既知のそれとでは時間間隔が違うのも当然だろう。

 きついにもかかわらず、上りの時に気がつかなかったものにも目が留まる。黒い道を囲む緑の草木の足元にヘビイチゴの実を見つける。小さくて赤く、表面がぶつぶつしている。食べると毒があると子どもの頃に噂したものだが、実際には無毒である。ただし、おいしくはない。手間暇をかけて畑で育てたイチゴの方が人間にはよい味に感じられる。ヘビイチゴはやはり野で見るものだ。けれども、竜の棲むここではリュウイチゴあるいはドラゴンベリーの方がふさわしい名前だろう。

 その子どもの頃に、「ドラゴン」と言えば、ブルース・リーのことである。70年代、ブルース・リーは学校の男子に圧倒的な人気があり、憧れの的である。小学生も、彼の真似をしたものである。水泳の時に、「アチョー!」と叫びながら、濡れたタオルをヌンチャクのように振り回す子もいる。また、ブルース・リーの映画のレコードを聞かせてくれた友人もいる。そんなことを思い出し、ふと『ドラゴン怒りの鉄拳(First of Fury)』の主題曲を口ずさむ。

I use hands to hold my fellowman
I use hands to help with what I can
But when I face an unjust injury
Then I'll change my hands into fist of fury

I use hands to show my friendliness
I use hands to give a kind caress
But when a man slaughters fellowman
Then I'll change my hands into fist of fury

No more hands to give my love to you
But you'll know I've done what I must do
I fought the strong and I did right the wrong
When I'll change my hands into fist of fury
(Mike Remedios “Fist of Fury”)

 “Don’t think, feel!”


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?