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異次元緩和の今(2013)

異次元緩和の今
Saven Satow
May, 31, 2013

「信用を失わないためには、信用をむやみに乱用しないことだ」。
フランスの諺

 黒田東彦日銀総裁は、2013年4月4日、マネタリーベースを2倍にすると記者会見で発言している。しかし、「2倍!2倍!」のかけ声が残るだけで、政策効果の具体的な波及プロセスに触れず、たんに経済主体の「期待」に期待している印象がある。

 失われた20年の間、日銀は、増減の波があるものの、市井のマネー量を3倍に増やしている。実質ゼロ金利下で、量的緩和を続けてきたが、その効果は認められない。物価上昇も実質GDPの好転も全般的には見られない。

 こうした経験から生じる疑問を黒田総裁は払拭できていない。マネタリーベースの増加がなぜ2倍も必要なのか、また増加分はどのようにして実体経済の活動を刺激するのか、さらにこの政策がいかなる過程を経て安定成長につながるのか、だいたい増大させた財政赤字をそれで補えるほどのものなのかなどの具体的な説明がない。この記者会見の時点で、異次元緩和による政策はギャンブルじみており、失敗の危険性が高いと予想せざるを得ない。

 その後も黒田総裁の発言は具体性に乏しい。市場とコミュニケーションをする気があるのか疑われるほどである。麻生太郎財務相や甘利明経済再生相のアナウンスメントがお些末すぎるのでメディアから厳しく批判されていないが、神託のような物言いが通じる時代ではない。

 大規模に金融緩和をすれば、インフレが実現するという見解はそれほどの整合性がない。金融政策であっても、引締と緩和では効果の確実性には差がある。前者は確かな一方、後者は不確かだ。

 金融引締は中央銀行が市中にあるマネーを回収するものだ。行き場は中央銀行という一ヵ所なので、効果は確実に出る。実施に際して、政策担当者には時期や規模、手法など高い技術力が要求される。

 それに対し、緩和は中央銀行が市井にマネーを放出するものだ。行く先はどこかわからない。人は得をしたい、あるいは損をしたくないという欲望があるから、合理的に考えて行動するだろう。中央銀行はそこに期待するほかなく、思惑通りに効果が出るかどうかは定かではない。場合によっては国外に流出してしまう。タックス・ヘイブンもある。効果が弱い分、担当者に要求される技術力は引締ほど高くない。

 不景気の際に、中央銀行は金融緩和を実施して金利を下げ、設備投資や消費を刺激する。景気が上向いてくると、物価や金利が上昇していく。金融業が利益を得るためにはインフレ率よりも金利を高くしなければならない。

 今、日銀が行っている政策は物価を上昇させるために緩和するインフレ目標で、本来の目的とは異なっている。しかも、金利を上昇させないとも言っている。だから、その効果が従来以上に疑問視されている。

 証券や不動産などの資産に緩和マネーが向かえば、物価上昇は起きない。これは80年代後半に経験したことからも明らかだ。また、目論見通り、物価が上昇したら、金利も上がる。インフレ目標は経済主体がインフレ期待をして行動することを前提にしている。インフレを予想すれば、金融業者は利益を得るために金利をそれ以上に設定する。そうでないとインフレ目標の前提と矛盾する。利率が高くなれば、ローン金利もつられて景気を冷やし、国債利回りもそうなって財政を圧迫する。

 しばしば現政権の経済政策は「壮大な実験」と評される。確かに、現代経済学は実験や観測に基づかない思弁的学問に堕している。しかし、中世の運動論ではいけないとしても、いきなり国家規模で政策の実権をするのは狂気の沙汰であろう。社会的コストを考えれば、失敗した時の損害が巨大すぎる。

 平常時、日本におけるマネーの総量は80~90兆円である。白川方明前日銀総裁はそれを2倍に増やす方針を打ち出している。ところが、安倍晋三首相は緩和に不熱心だと責め立て、辞任に追いこむ。この「平成の近衛文麿」は権力を持つと、政治・経済・社会を落ち着かせなくする傾向があり、本来、現代の為政者にそぐわない。彼のみならず、いわゆるリフレ派は日本経済低迷の原因を日銀の金融政策に求め、白川前総裁に対して「学者」と口汚いオッサン臭い批判を浴びせている。

 実際には、安易な緩和を唱える方が「学者」である。ベン・バーナンキFRB議長は、就任前、日銀の政策を酷評、「デフレ克服のためにはヘリコプターからお札をばらまけばよい」と発言し、「ヘリコプター・ベン(Helicopter Ben)」と呼ばれた人物である。しかし、その職に就くや、日銀の政策を模倣、記者会見で自己批判しただけでなく、金融緩和政策は「万能薬」ではないと発言している。

 しかも、中央銀行総裁会議の際に、バーナンキ議長は白川前総裁にアドバイスを求めているほどである。米国を含め先進国は「日本病」に悩まされている。その治療の最先端を行く日本に学ぶべきだと気づいたわけだ。政策に関して理路整然と語る前総裁は海外の政策担当者から評価が高い。彼らにしてみれば、安倍首相や黒田現総裁など米国の模倣をすればいいと信じている連中が滑稽に思えているだろう。

 欧米では、中央銀行がマネタリーベースを増やしても、一般の国民の預金や現金の保有が伸びない現象に見舞われている。インフレ率も実質GDPもマイナス気味である。超緩和が金融危機の収束には効果があったことは確かであるが、それ以上ではない。

 IMFは、5月16日、先進国の金融緩和依存の弊害を懸念するレポートを公表している。経済のグローバル化に伴い、緩和マネーが当の先進国だけでなく、新興国にも流れこみ、通貨や資産価格を高騰させる。例えば、先進国の緩和による余剰マネーが中国に向かい、人民元が急騰、輸出産業が苦しくなる。ところが、利下げをしたくても、インフレがひどくて当局は身動きがとれない。

 また、緩和が大規模になるにつれ、必要な財政再建・構造改革・金融改革などが進まなくなる。さらに、それに依存するようになると、脱却が遅れてしまう。引締の際に、金利が急上昇し、中央銀行の保有する国債などの資産価値が下落、政府の財政も逼迫する。

 不景気の際に、金融緩和は必要であるけれども、一定規模を超えて長期に亘ると、弊害がもたらされる。一例を挙げよう。経済成長には技術革新が不可欠だ。それを促すには、規制緩和が要る。規制緩和は、実は、既得権益の縮小・撤廃を意味する。そこには省庁や族議員などの抵抗が予想される。金融緩和が改革の動機づけを弱め、彼らを勢いづけさせることもあり得る。

 そもそも緩和マネーが設備投資を必要以上に刺激することは危険だ。バブルの際に背負った過剰な設備投資が重荷になった企業は少なくない。

 薬も用法や用量を誤れば、毒になるものだ。債券市場はこの政権が発足する前からその政策に懸念を表明している。4月からサーキットブレーカーが頻繁に発動される異常事態に陥る。国債の長期金利のニュースが一面トップにくるという稀有なことも起きている。加えて、株式市場は年初来活気を呈してきたが、5月半ばから暴落を繰り返している。中央銀行は経済を安定させるために政策を講じるはずなのに、逆の状況を招いている。これが異次元緩和の今である。
〈了〉

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