見出し画像

カジノ無理(2014)

カジノ無理
Saven Satow
Jun. 03, 2014

「ゼロだよ。 とにかくゼロに賭けるんだ」。
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー『賭博者』

 国内のカジノ営業を合法化するカジノ法案の今国会の成立が難しくなっているが、推進派は諦める気がないようだ。しかし、カジノは日本には無理である。推進は世間知らずの夢物語だ。

 先行きは厳しい。和製カジノは全世界との競争になる。ところが、後発で、名声も実績もない。おまけに、経営のノウハウもない。

 カジノの経営には持続可能性が必須だ。カジノにつきもののルーレットは確率論上胴元が儲かることは確かである。賭博は胴元が得をするから続けられる。けれども、それだけなら、誰も参加しない。

 今日は負けたが、明日は勝てるという期待を持続的に刺激し、まきあげ続ける。ただし、破滅させてはならない。その塩梅が難しい。ギャンブル事業は寄生して生存しているのであり、宿主を殺しては元も子もない。

 ギャンブルは人間の認知バイアスや心の弱さを利用して持続する。パチンコは、国内法上は賭博ではないが、全国で定着し、長年に亘って成長してきたのであり、経営のノウハウが蓄積されている。佐藤清文という批評家が通っていた小学校の校長は、再婚相手がパチンコ店経営者だったため、「日本で唯一パチンコ屋を経営する校長」と自慢している。

 しかし、カジノに関して国内に経営のノウハウがない。しかも、不足は賭博の面だけではない。カジノはギャンブルだけでなく、エンターテインメントや娯楽も併存させていなければならない。マニー・パッキャオの試合を催せるくらいでないと、世界どころか、環太平洋から人を集められない。

 国内にノウハウがないのだから、経営を外資に任せることになる。当然、彼らは規制の緩和を要求する。お楽しみなのに、あれをやっちゃダメ、これをやっちゃダメでは野暮というものだ。いかがわしさ、黒でも白でもないグレーゾーンも人を集める魅力の一つである。風営法や消防法を始め各種の法律の改正も不可欠だ。けれども、規制緩和が自分たちの権益につながらないのなら、霞が関が応じる理由はない。

 カジノでは大金が動く。国外から大金が入ってくる。と同時に、国内から大金が出ていく。為替だけでなく、現金でも出入りが行われる。そのための法改正も必要だ。しかし、それはマネーロンダリングにも都合がいい。

 カネの匂いにつられて、犯罪組織も寄ってくる。彼らを排除する必要がある。経営者だけでは不十分だ。従業員や関連事業者にも寄りつかせてはならない。このノウハウも必須である。

 その従業員には語学力が必要だ。英語のみならず、中国語やロシア語、ハングル、アラビア語、スペイン語などを話せる人員も揃えなければならない。国内からだけでは足りない。だが、国外に求めるとしたら、身元の保証が難しくなる。大金の動く世界だ。ちょっとした隙にも犯罪組織はつけこんでくる。映画『オーシャンズ』シリーズでもさまざまな手口が描かれている。

 ギャンブルは依存症や多重債務、家庭崩壊などさまざまな問題をもたらす。現時点でもすでに起きている。身内や知り合いにそういった人がいるかもしれない。カジノの設置はこの状況を悪化させる。そうした地獄を味わう人を増やすことが見合う計画とは言い難い。その対策費をカジノによる税収から捻出するとしたら、覚せい剤を合法化してそうするのと違いはない。もしカジノを公営にするとしたら、なおのこと、言語道断である。

 アジア各地にカジノがあるのだから、日本でもできるはずだという認知バイアスがこの推進には見られる。ギャンブルにはまる心理に陥って、カジノを合法化しようとしている。シャレにならない話だ。カジノを認めれば、国内外から観光客が集まり、雇用と税収が増える。そんな見通しは世間知らずにもほどがある。
〈了〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?