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スティーブ・ジョブズ(2011)

スティーブ・ジョブズ
Saven Satow
Oct. 06, 2011

“Design is not just what it looks like and feels like. Design is how it works”.
Steve Jobs

 ベンチャー・ビジネスを起こす人を「ガレージ起業家(Garage Entrepreneur)」とも呼ぶ。自宅のガレージから始めたビジネスが巨大な産業帝国の支配に風穴を開け、世界の市場を席巻する。そんなベンチャー・ビジネスの夢を具現化したスティーブ・ジョブズが2011年10月5日に56歳で息を引きとる。早すぎる死だ。

 ジョブズの業績を挙げればきりがない。その多様性は驚異的である。彼はエスタブリッシュメントが見こみなしと切り捨てた事業を数々成功させる。一般人がコンピュータを必要とするわけがないとか、ダウンロードして音楽を聞く人はいないとか今ではどちらが間違っていたのか明白である。

 とは言うものの、マッキントッシュからiPadに至るまでアップル社の製品には最新の技術が活用されていない。既存の技術を組み合わせ、高いデザイン性と巧みな販売戦略でブームを巻き起こすのがジョブズの手法である。また、ジョブズは、アラン・ケイのダイナブック構想のような歴史的パースペクティブのあるヴィジョンを持っていたわけではない。よりよい社会に寄与するための製品・サービスを提供したいという思いはあったが、そこに文明論的な視点はない。

 ちなみに、既製の部品を搭載しているので、製品価格の内訳が算出できる。第4世代iPodの20GBモデルが299ドルで販売されていたが、吉森賢横浜国立大学名誉教授によると、それは次の通りである。部品代が144ドルで、最も高いのが東芝製(中国生産)HDDの20ドルである。アメリカの商取引では問屋が価格の10%、小売が15%をとるので、それぞれおよそ30ドルと45ドルになる。残りの80ドルをアップル社が手にするわけだが、それは価格の27%弱に当たる。収益の方法さえも製品から見えてしまう。

 おそらくジョブズをトーマス・エジソンやヘンリー・フォードのような実業家として見るべきではない。彼は、むしろ、ガブリエル・ココ・シャネルやピエール・カルダンのようなファッション・デザイナーだと捉えるべきだろう。

 それは1985年以降のジョブズとアップル社の浮沈によって強調される。85年、ジョブズは、その性格を主因として、アップル社から追放される。この辺の事情は、ポリスの『シンクロにシティⅠ』が印象的に使われているマーティン・バーク監督の『ジョブズとゲイツ(Pirates of Silicon Valley)』(1999)でうかがい知ることができる。追い出した方は苦しい経営状況が続くが、追い出された方もパソコン分野ではぱっとしない。96年にジョブズがアップル社に復帰すると、両者共に輝き始める。ジョブズあってのアップル社であると同時に、アップル社あってのジョブズである。アップルはメーカーではなく、DCブランドであり、ジョブズはデザイナーである。

 こうした関係は今日の電子技術製品のあり方から理解できよう。今の電子製品は指で触れ、身体に装着し、いつでもチェックできるものである。それは電子の五感であり、脳への新たな刺激と言ってもよい。時代遅れのヘアースタイルや悪趣味なファッション、たるんだボディラインで街を歩きたくはない。体の一部と化した電子製品も同様である。サプライヤーには技術者ではなく、ファッション・デザイナーのセンスが必要とされる。アップル社製品は最新のモードであり、それを世に出すのがスティーブ・ジョブズだというわけだ。そこからユーザーの高い忠誠心が生まれる。

 2011年10月5日は1957年10月24日に似ている。それは、戦後モードを生み出したクリスチャン・ディオールが52歳の若さで亡くなった日である。組織の命運が特定の個人に依存する姿は健全ではない。あのときは才能溢れる若干21歳のイヴ・サン=ローランがディオール社のチーフ・デザイナーに就任し、「トラペーズライン」で世間をあっと言わせる。

 しかし、今はITのイヴ・サン=ローラン出現の可能性を云々する心の余裕はない。ただただ、スティーブ・ジョブズの死を惜しむだけである。
〈了〉
参照文献
吉森賢、『企業戦略と企業文化』、放送大学教育振興会、2008年

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