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選挙学博士竹下登(2014)

選挙学博士竹下登
Saven Satow
Aug. 30, 2014

「政治家は踏切の遮断機と同じ。当選するまで頭を下げとるばってん、通ったらふんぞり返っとる」。
ばってん荒川

 1986年1月、竹下登大蔵大臣はコロンビア大学より、名誉博士号を授与される。登録は法学博士・選挙学である。10年前に同大学でアジアセミナー講師として講義を行ったことがその理由とされている。

 この島根全県区選出の議員はそこでの国際選挙学会において中選挙区制の説明をしている。中選挙区制は小選挙区制に比べて、地域エゴが減ると力説する。

 中選挙区制を採用している国は珍しい。参加者から多くの質問が寄せられる。5人区であれば、得票率10%で当選するのではないかと尋ねられた時、そうだと答えている。このトピックをめぐって参加者の間で議論が巻き起こる。

 アメリカ人は中選挙区制に好意的な反応を示す。地域エゴがないのはいい。

 フランス人が10%の当選者は変わり者で、国会議員としてふさわしくないと指摘する。その意見に対し、イタリア人は民意の反映を忘れていないかと反論する。前者は、選挙区で半数をとる候補者であれば、いかなる少数意見があったのかすべて消化できる能力の人物であると主張する。後者は負けじとそれは現実的ではないと批判する。

 一通りの議論の後に、中選挙区制はバランスがいいとこの日本代表が発言する。10%であっても、税制問題に精通している人など専門的能力が高い人材が議会に加われる。中選挙区制は多様な人材や少数意見も汲み取れるので、選択の幅が広がる。少数意見や多様な人材が議会に参加できれば、議論のバランスがよくなるというわけだ。

 この10%議員として竹下講師の念頭にあったのが小渕恵三である。自民党は、共産党や公明党と違い、議員にするための自前の選抜・育成システムを持っていない。候補者・当選者を党として認定するだけである。福田赳夫と中曽根康弘の激しい選挙戦の間で、彼が当選できたのは中選挙区制のおかげである。この三番目の男は、選挙での自らの立場から学んだかのように、類稀なるバランス感覚の調整役として政界で存在感を示していく。彼が亡くなった後、竹下登元首相が自民党にもう調整のできる人材がいないと嘆いたのはあまりにも有名である。

 竹下博士は選挙を政権選択の手段と考えない。高度な専門能力を有するなどの多様な人材を議会に取りこむことに主眼がある。民意を正確に反映することは不可能である。しかし、多様な人材を政治家にしようとすれば、多数派の暴走が抑制され、少数意見を考慮せざるをえない。多種多様な人材が当選するような制度は少数意見も反映される。

 選挙のために政治家は地域を回る。その活動を通じて人々の声や動き、気分に接することができる。こうした漠然とした実態を知らない官僚に政治家は伝える役割がある。広い選挙区から選出されればすべての少数意見に通じることは難しい。また、狭い選挙区から選ばれれば地域エゴに囚われる。現代のような複雑化した社会なら、中程度の選挙区が適当である。

 19世紀、議会制民主主義が欧米で進展していく中、最大の懸念が多数派の横暴である。少数意見も尊重されるには、どのような選挙制度にすれば、民意が投票結果に正確に反映できるかが考えられている。けれども、実際には、コンドルセのパラドックスが明らかにする政策の優先順位などによって投票行動は有権者と候補者を単純に対応させない。多様な人材を議会に共存させることで相互に牽制させれば、地域エゴや極論の暴走はない。

 この発想の転換は重要である。従来の選挙制度をめぐる論議では幅広い人材を議員にすることが関心になっていない。中選挙区制が廃止され、現行制度の問題点が顕在化した今でも、依然としてそうである。多様な人材によってバランスのいい議会を作ることから選挙制度を考える。今、竹下登博士のこの洞察は傾聴されねばならないだろう。
〈了〉
参照文献
竹下登、『政治とは何か─竹下登回想録』、講談社、2001年

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