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景気循環と金利循環(2)(2011)

第3章 現代における金利
 ヘンリー・カウフマンは、『カウフマンの警告』において、60年代後半以後、利回りと景気循環のピークの前後関係が変容していると指摘している。従来、投資家は、通常の利回り曲線の下では、短期金利が長期を上回り、かつその格差が最大になったときが長期債権購入の最適のタイミングだと考えている。好況期で逆転していた長短金利差が解消され、不況期を迎えると、当局は金融緩和政策を採用し、短期金利が下がっていくと予想されるからである。その際、パーセンテージを縦軸、償還期間を横軸にするグラフでは、利回り曲線は右上がりに転じる。長短金利が共に下がるものの、後者の方が前者よりも急激である。長期利子率が緩やかに下降するなら、長短金利差が逆転の最大値を示すときに長期債権投資を行えば、利益を手にできる。

 ところが、60年代後半から様子が異なっている。利回り曲線が右下がりから右上がりに転じるまでにフラットの形状を示す。けれども、短期金利の下降が長期金利よりも大きくなってそれを迎えるのではない。短期金利の下落と長期金利の上昇が同時に起こったためである。投資家にとってこの分析は背筋をぞっとさせずにはいられない。利回り曲線の逆転の最大値の際に長期債投資を行うことは大損を意味しているかである。こうした利回り曲線オモトでは、長期債ではなく、短期債が選好される。景気循環と長短金利の関係は従来信じられてきたのと違ってくる。69年の好況以後、利回りのピークが景気のそれよりも遅れて現れる。

 こういった景気循環と金利循環の関係は金融構造の脆弱化の下での資産選択がもたらしている。経済が不安定化すれば、デフォルトの可能性が頭を過ぎるので、リスクが低い短期債へ人気が集まる。土砂降りのときに雨宿りをするなら、近い方を選ぶものだ。好況末期における長短金利の逆転の最大値とその後のフラット形状において、投資家は資本損失を避けるため、短期債へのシフトに踏み切る。景気のピークに対して、短期金利が先行し、長期金利が遅れる。投資ポートフォリオの短期化は中長期的な投資を鈍らせる。資金は金融市場をぐるぐる回っているだけである。

 金融は余剰の資金を不足しているところに融通して経済を活発化する役割がある。ただ、産業が利潤を最大にするために「生産性」の向上に励むのに対し、金融は同様の目的を達成するのに「採算性」を追及する。産業と金融の勢力が拮抗していれば、両者は協調できる。しかし、金融が膨張すると、この採算性に基づいて企業操作を始める。金融は産業にM&Aの資金を提供するが、設備投資は停滞し、生産性の向上は進まない。それなら、人件費の安い途上国へ生産現場を移す方が賢明だ。かくして米国の製造業は低落していく。

 現状を景気循環と金利循環の観点から考えると、少々悲観的にならざるを得ない。米国の場合、短期金利はすでに下がりきっており、さらなる金融緩和を求める市場の声に押されて、長期金利の下降をFRBは誘導しようとしている。金利はまだ上がる兆しがない。短期金利の上昇の後に景気が上向くのが1960年代後半以降の傾向である。コンドラチエフ循環を考慮すればそろそろ上方を迎えると推測できるが、アメリカの景気回復はまだ先だということになる。

 長期トレンドとは別に、短期的に金利の変動は激しさを増している。こうした状況下、債権をめぐる資産運用の認識が変わっている。ファンド・マネージャーは、金利変動を考慮して、ポートフォリオや資金調達の意思決定しなければならない。長期債を上回る先物市場の成長がそれをよく物語っている。平均寿命が延びれば、年金を始めとする日就労所得によって生活する次期が長くなる。それに備えて、人生設計における資産運用が重要になる。金融機関にはそうした資金が流入し、これだけでも信用市場は膨張する。債権は、前述した通り、償還期に一定金額が支払われるという信用商品としてのメリットによって所得保護の目的で購入されてきたが、新たな金融商品はその常識を覆す。

 所得保障や元金の安全性を重視した貯蓄や投資といった資産運用の考え方は時代遅れだとして、債権にも価格上昇を謳い文句にした商品が登場する。それはリスク回避をかつてないほどに用意しておかなければならなくなったことを意味する。金利は期待ではなく、できる限り損失を出したくないという回避の動機によって形成される。信用市場においてリスクは「ある」のではなく、「生まれる」ものである。

 リスク回避の方法自体が避けたい当のものを増幅させてしまうことが少なくない。「リスク分散」を例にとろう。これはまったく矛盾した概念である。変動は非常に急激に起きることがある。こういう即時性の支配する状況下、リスク分散の観点から流動性の高い資産を用意しておいても、とても間に合わない。第一、まさにそのときに市場が開いているとは限らない。しかも、多くの投資家がそこに殺到し、売り一色で買い手が見つからない。リスクを回避するどころか、増しているほどだ。経済学はしばしば数学を用いてモデル化を試みる。しかし、実際の活動では時間の要素を無視することはできない。リスク分散はその好例である。

 グローバル化の進展に伴い、世界の相互依存が進んでいる。けれども、ある地域で起きた些細な事件や出来事であっても、ネットワークを通じて世界的な危機に拡大する。世界経済は、初期値敏感性を抱えてしまったため、安定化する可能性は低い。短期物商品への偏重は当分続くだろう。

 金融機関が危機に陥った際に、他業種と違い、政府が救済に乗り出すのは、それが持つネットワークのためである。金融機関が、たとえ小規模であっても、世界的な金融ネットワークに接続されている。小さな銀行の破綻がグローバルな金融パンでニックになりかねない。ある端末を通じてコンピュータ・ウィルスが世界中にばらまかれるようなものだ。金融機関は公的責任を負っているのであり、関係者はグローバル化した自己という意識を持つ必要がある。他人の金を信託されながら、ネットワークを人質に、無責任な利益追求に走ることなど許されない。

 金融市場の規模拡大と金融機関相互の区分の溶解、商品多様化のいずれの速度も急激で、国際的な規制が追いつかない。金融市場は自由放任主義的な状況に見舞われている。債権の格差の拡大はその一例である。世界的経済危機の本、投資ポートフォリオが短期化・集中化し、さらに国際金融を不安定化させている。その一方で、コンドラチエフ循環の周期が長期化している。

 今必要なのは経済と金融のリンクを明確かつ精緻に解き明かすフレームワークの理論である。ケインズ主義は不況対策に有効ながら、財政赤字を生む可能性がある。マネタリストは財政規律を正せても、不況には術がない。不況と財政赤字を同時に解決することはできない。また、ケインズ主義は金融部門のストックを重視するものの、フローへの意識が弱い。ただし、信用フローを導入しても結果的に両立する。それを克服するために登場したマネタリストは信用フローを実質的に除外し、貨幣供給量にばかり焦点を当てている。いずれにせよ国民経済を主眼としており、政策の国際的波及効果を十分に考慮していない。金融が持続的成長を続けるには新たな理論が必要だ。

 不況が長引いているが、政府は財政赤字を抱えているので、低金利政策をとっているけれど、はかばかしい効果は出ていない。現実的には、政府が産業と金融の勢力関係を政策によってリセットすることだろう。政府が新興産業を育成するための市場へ資金を政策的に誘導する。新規産業の場合、投資家にはどれが大化けするか見当も着かない。しかし、世界の趨勢を見る限り、この業種が成長することは予想できる。不確実性の高い時代であっても、投資しておいて損はない。金融は、本来、余剰資金を不足しているところに融通し、新たなネットワークを構築する。ならば、吸収できる市場を創出すればよい。いずれは成長していく産業の発展を政策によって前倒しさせるだけである。スマート・エネルギー産業はそうした分野である。ただし、政府は技術面に口を挟んではならない。そこは市場の競争原理に任せる方が得策である。

 今後、高分子か合物に関する理論がおそらく経済学に援用されるだろう。現代化学は分子量が特定できないほど巨大な高分子さえも扱うことができる。しかも、そこには相互作用や結合、合成、構造、配列、官能基、保護基など経済活動を認識する際に参考となる概念に溢れている。政策を触媒として考えてみるのも興味深い。これまで経済学は数学や物理学、生物学を参照してきたが、高分子化学の力を借りるときがきている。
〈了〉
参照文献
伊東光晴、『ケインズ』、講談社学術文庫、1993年
ヘンリー・カウフマン、『カウフマンの警告』、佐藤隆三訳、オータス研究所、1986年
同、『カウフマンの証言 ウォール街』、伊豆村房一訳、東洋経済新報社、2001年


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