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ハッチポッチチャンネル翻訳篇(7)(2023)

11 まとめと言いつつ
「まとめです」。
「まとめですか?『翻訳』のテーマ、全体ですね?」
「そうです」。
「では、どうぞ」。
「翻訳には、その言語固有の発想を理解する必要がある」。
「それが結論ですか?」
「はい。言語は暗黙知の代表例です。ネイティブは日常の繰り返しからその言語を体得する、翻訳は、別の言語に変換するんですから、その暗黙知を明示化する作業でもあるんです。ですから、文法に関する知識が不可欠です」。
「では、文法が大切と言うことなんで、えーと、質問があります」。
「何でしょうか?」
「アラビア語由来の外来語には定冠詞がついてますね。『アルコール』とか『アルカリ』」とか『アッシド』とか『アルゴリズム』とか。他の言語でこんなことありませんよね?なぜですか?」
「これ、予定にないよね?」
「はい。でも、どうぞ」。
「わかりませーん」。
「ビートルズは英語だと"The Beatles"でしょ?日本語では定冠詞が落ちる。でも、あるジャジーラは『ジャジーラ』とならないよね?なんで?」
「わかりませーん」。
「じゃあさ、アラビア語の定冠詞ってどんな役割があるの?」
「アラビア語の冠詞は定冠詞のみです。不定冠詞はありません」。
「ないの?」
「ありません。定冠詞は二つ。すぐ後に太陽文字がくる場合は『アッ』、すぐ後に月文字がくる場合は『アル』です。男性名詞・女性名詞や単数・双数・複数による変化はありません。スペイン語の定冠詞とはその辺りが違っていて、そこは英語に近いですね」。
「アラビア語の名詞には性があるのね?男性名詞とか女性名詞とか」。
「そうです。アラビア語の名詞は、数の形では、1・2・3以上です。1・2以上の英語とは違いますね」。
「英語の名詞は概念なので、冠詞のつかない単数形の形は辞書の見出しに使われるくらいなんですけど、つまり英語に"cat"は存在しなくて、実際の個物として使う時には"a cat"、"the cat"、"cats"、"my cat"にするわけですけど、つまり“cat”集合から、全体の場合も含めて古物として取り出す時には決定詞とかつけるんですけど、アラビア語では?」
「不定冠詞がないですから、プレーンの名詞も会話や文章で使えます。ただね、英語で不定冠詞を使う場合でもアラビア語では定冠詞になることが結構あるんですよね」。
「例えば?」
「例えば、『紅茶とコーヒーどちらにしますか?』と尋ねる時は、冠詞なしです。けれども、その答えの『コーヒーにします』には定冠詞がつきます」。
「まあ、英語で『コーヒー』は不可算名詞なんで、冠詞は関係ないけど、言いたいことはわかる」。
「『紅茶かコーヒーか』って尋ねてる時は、相手の気持ちの情報がないから不確定なわけで、それで定冠詞なし。でも、答えるときは認識がはっきりしているから定冠詞あり」。
「例えば、こういうことでしょ?”Do you need a pen or a pencil?”と尋ねられたら、“A pen, please”って答えるけど、アラビア語だと、”The pen, please”になるってことでしょ?.」
「そうです」。
「じゃあさ、かりにさ、『そのペン、お願い』って意味で、英語で”The pen, please”と言うとするね。アラビア語ではさっきのと同じ文になっちゃうんじゃないの?」
「はい、同じです」。
「困らない?」
「文脈でわかるでしょ」。
「そんなもの?」
「人間なんだから、前後の文脈でだいたい何が言いたいかわかるでしょ。中国語なんか、英語の意味での時世が動詞にないでしょ?でも、『昨日』が入っていれば過去のことを言ってる文だろうし、『明日』なら未来だろうしってわかるでしょ?」
「そりゃそうだ。その言語をよく知らないとさ、AIのように、文脈無視してどうこう考えちゃうよね」。
「そうですね」。
「英語の定冠詞は唯一のものに使うとか説明する人がいるけど、あれは間違いだよね。唯一のものは固有名詞。そうじゃなくて、英語の定冠詞は文脈がある、もしくは文脈をつくる時に使う。文脈による限定が定冠詞の機能。例えば、”Where is your son?”って聞かれて、”He is in the park”と答えたとすれば、この二人にとって公園と言ったら、あの公園って文脈が共有されているわけだよね」。
「限定とか特定と言うけど、英語では、楽器は定冠詞でしょ?」
「それは少し説明が要るんです。『彼はバイオリンを持っています』は”He has a violin”で不定冠詞です。”violin”は可算名詞ですから、複数形もあります。ただ、弾く時は定冠詞なんです」。
「『彼はバイオリンを弾いています』なら、”He is playing the violin”で定冠詞」。
「そうです。それで、面白いのは『彼らはバイオリンを弾いています』なんですよ」。
「英語で言うと?」
「“They are playing the violin”です」。
「え?単数形?」
「そうです」。
「なんで?」
「弾いている時は、それぞれの人にバイオリンが特定されるから」。
「そういう理由?」
「そうです。これは英語だけでなく、スペイン語も同じです」。
「だけど、ペンシルではそんなことないから、楽器の定冠詞は習慣だろうね。話し戻すと、定冠詞は文脈を共有している人の間で使われるってことだね?」
「アラビア語もそういうところは同じなんだけど、一般的な理解の場合にも定冠詞を使うんですよ。例えば、『「山は高い』は"Mountains are high"ですよね?英語では、こういう時は複数形を使いますよね。『山というものは高いものだ』ということで。でも、アラビア語では定冠詞を使うんです。しかも単数形で。一般的な山というものなので」。
「英語だと、一般的なものは集合として捉えますね、『山』集合として」。
「アラビア語では『みなさんご存知の山というもの』と考えるので、定冠詞を使うんです」。
「英語でも、”all over the world”の定冠詞はそういう意味だよね。『皆さんご存じの世界』というニュアンスで」。
「でも、『世間は狭いね』は”It’s a small world”で不定冠詞でしょ?『皆さんが知らない世界もある』ってことで。でも、アラビア語にも同様の表現があるけど、定冠詞を使う」。
「アラビア語の定冠詞も文脈に関連していて、それが英語より厳密に示しているように思えるね」。
「そうね~、英語だと、曖昧にしたい時は、不定冠詞の"a"ではなく、"some"を使いますね。"He works at some office"と言うと、『彼はどっかわからないけど事務所で働いているみたいよ』」。
「不定冠詞だと、『事務所』集合の任意の一つになるけど、"some"にすると、認識の曖昧さになるでしょ?」
「アラビア語は認識の共有を定冠詞が表わすということかな?」
「とりあえずそう考えても大きな間違いはないと思います」。
「ねえねえ、森の子ヤギはねえと鳴く。じゃあさ、アラビア語の品詞はどうなんです?」
「アラビア語の品詞は名詞と動詞、前置詞、冠詞かな?接続詞は前置詞に含まれるし、形容詞や副詞はありません」。
「形容詞や副詞がない?」
「ありません」。
「形容詞は名詞を修飾する語で、副詞は動詞を就職する語ですよね?そういう単語はアラビア語にないんですか?」
「ありますよ。名詞を使うんです」。
「英語も、名詞を形容詞的に使うことがありますね。その時は個物ではなく、概念として使うんで、単数形にするんだよね。例えば、ヤンキースのスタジアムは『ヤンキー・スタジアム』で、『ヤンキース・スタジアム』じゃない」。
「例えば、『その本は美しい』をアラビア語で言うと、『アル・キターブ・ジャミール』ですけど、『ジャミール』は人の名前にも使うように名詞です」。
「へー、英語だと形容詞に定冠詞がつくと抽象名詞になるでしょ?『ザ・グッド』で、『善』のように」。
「アラビア語では、固有名詞の語尾を『イー』にして形容詞的にすることがあります」。
「例えば?」
「例えば、『アルゴリズム』という単語がありますね。あれはアラビア語の『アルフワーリズミー』に由来します。これは『フヮーリズム』という地名がありまして、それに定冠詞『アル』を頭につけて、語尾を『イー』に変えて、『アルフワーリズミー』。意味は『フワーリズムの人』」。
「それって、日本語の『江戸っ子』や『難波っ子』の『っ子』みたいなもの?」
「そうですね。『フワーリズムっ子』。でも、あくまで固有名詞でしょ?」
「英語でも、ダブリンの語尾に"er"をつけて"Dubliners"で、ジョイスの『ダブリン市民』」。
「英語の場合は、形容詞に定冠詞を前につけて、『何々人』ってしますよね。例えば、"The Japanese"で『日本人』」。
「アラビア語と逆?」
「と言うか、名詞の発想の違いですよね」。
「そっか~、面白いね~、こういうことってあるんだなって発見だよ」。
「確かに、アラビア語は名詞に定冠詞がついている場面が多いので、定冠詞付きで日本語に入ってもおかしくはないんです。けれども、定冠詞がついていない名詞も結構知られているとも思うんですね」。
「例えば?」
「例えば、『ラマダーン』です」。
「あー、断食月として日本でも結構知られてますね」。
「『ラマダーン』は定冠詞がつかないんです。なぜかと言うと、固有名詞だからなんです」。
「固有名詞なの?」
「はい。『ムハンマド』や『ファーティマ』なんかと同じように、固有名詞です。ですから、定冠詞がつきません」。
「月の名前って、つまり、一月とか二月とか、アラビア語は固有名詞なの?」
「そうとは限りません」。
「『ラマダーン』が固有名詞とは知らなんだ」・
「ラマダーンついでに言いますと、『ラマダーン、おめでとう』は『ラマダーン。カリーム』で、『カリーム』にも定冠詞がつかないんです。これにはちょっと面白い理由があるんです」。
「どんなの?」
「こういう文だと、定冠詞が入るものなのですが、この『カリーム』は節の省略されたものなんです」。
「節って、文の中の文のこと?主語と述語がある…」
「そうです。エジプトで、昔、省略された形になって、それがアラブ全体に普及したんです」。
「つまり、”I wish you a Merry Christmas!”が省略されたとか沿いう意味ですか?」
「『ラマダーン・カリーム』は、固有名詞+be動詞+節の文がその節のうち『カリーム』だけ残って後は消えた者なんですよ。だから、定冠詞がない」。
「で、定冠詞なしって他にもあるんですか?」
「あります。例えば、英語で言う比較級の場合には定冠詞なしですし、呼びかけの時にはあるものとないものがありますね。ですから、さっきの説明が定冠詞の理由をすべて明らかにしているわけではありません」。
「まあ、英語も楽器には定冠詞をつける規則もあるからね。ギターやバイオリンは自分の楽器ってことでも、自宅で練習する時はともかく、ピアノは用意されたもの弾くだろうしね。でも定冠詞がつく。絶対的な説明ではないけれど、だいたいの理解、妥協であるけれども、基礎的理解につながるわな。まずは全体をつかんで、細部は学習していく中でわかればいいんで」。
「それよりもね~、絶対に定冠詞がつくはずの単語が日本では定冠詞なしなのはどうかなーと思うんだよねー」。
「それ、何?」
「『アルクルアーン』」。
「あ~~~!日本では『コーラン』だもんねー!」
「『アッラー』は定冠詞がついて知られているけど、『アルクルアーン』は定冠詞なし!『読まれるべきもの』が定冠詞なしで使われることは絶対にない」。
そりゃそうだ、定冠詞抜きはね~」。
「もちろんね、『コーヒー』は『カフワ』というアラビア語由来だけど、定冠詞なしだし。そういう単語はほかにもあります。『シュガー』や『マガジン』もそう」。
「でも、面白いよねー、言語の持つこういう固有の発想ってさ」。
「だから、文法の知識が必要なんですよ」。
「文学者が言語を作品に扱うと、異文化の中でのアイデンティティとか多言語のはざまで生きるとかそういう視点になるよね?それはそれで大切と思うけど、言語自体の持つ発想の固有さに驚いたり、面白がったりすることを素通りするのはね~。もちろん、この発想は言語が思考を規定するってことじゃなくて、例えば、どんな言語にも名詞と動詞はあるよね?でも、その発想が違う。もっとこういう些細なことに目を向けたらいいんじゃないの?文学者なんだから」。
「世界にはすでに消えちゃった、あるいは消えそうな、消える危機にある言語がありますね」。
「そういう言語にもさ、固有の発想があるわけだよな」。
「言語が消えることはその発想も消えるということです」。
「それは人間の思考が狭まることでもあるよな。生物多様性に似てるよね?」
「どういうこと?」
「生物多様性は生態系の問題もあるけど、それ以外にも問題はある。例えば、ある生物が失われると、その生物が持っている個性的な特徴も消える。その個性は人間のイノベーションのヒントになったり、常識を覆す仕組みだったり、進化論的な驚くべき変化だったりするわけで」。
「そういうこともあるでしょうね」。
「結局、こういうことがまとめですかね?なんか翻訳のテーマとはずれてるような…」
「そうですかね。まとめということにしましょう」。
「まとめということなので、皆さん、チャンネル登録、高評価よろしくお願いしまーす!」
「よろしくお願いしまーす。それでは、次回、次のテーマでまたお会いできることを」。
〈了〉
参照文献
板倉大地、「ルパンのアニメ、私の国の言葉で 戦禍逃れたウクライナ学生、翻訳挑戦」、『朝日新聞』、2022年11月25日16時30分配信
https://www.asahi.com/articles/DA3S15484792.html
「ウクライナ 地下壕から詠む 平和の句」、『NHK』、2023年3月3日 11時43分配信
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230303/k10013996391000.html
「外国人旅行者の回復見据え 翻訳システム関連の製品強化の動き」、『NHK』、2023年3月20日 5時08分配信
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230320/k10014013511000.html

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