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「奥」に見る流行文化(2007)

「奥」に見る流行文化
Saven Satow
Apr, 09. 2007

「女が、お茶碗や、きれいな柄の着物を愛するのは、それだけが、ほんとうの生き甲斐だからでございます。刻々の動きが、それがそのまま生きていることの目的なのです。他に、何が要りましょう」。
太宰治『愛』

 90年代以降、「オタク」文化が論じられるようになっています。その存在自体は以前からありましたが、マイナーで、表立った言説として扱われることはありません。ところが、今では、「オタク」文化こそ日本文化を代表しており、そう世界も受容しているという極端な論調まであります。その面白さは認められているとしても、それでは贔屓の引き倒しというものです。

 日本の流行文化を担っているのは女性です。流行は女性が生み出すものです。「オタク」の市場規模は無視できないとヒステリックに叫ぶ代弁者もいます。けれども、「オタク」と女性とではその市場規模は比較にならないでしょう。女性を抜きにして、ファッションやグルメ、音楽、テレビ・ドラマなど日本の流行文化をかたることはできません。

 それは戦後どころか、近代以前の江戸時代から続いている伝統です。女性主導の流行・消費文化に警鐘を鳴らしたり、浅はかだと馬鹿にしたり、終焉を提唱したりしているとしたら、その人は歴史を知らないだけです。

 政府も日本文化を海外に発信しようとしていますが、女性たちによる流行・消費文化に関しては冷淡です。しかし、着物一つをとってみても、それが女性たちの流行・消費文化から発展を遂げています。

 現在の和装、いわゆる着物の原型は「小袖(こそで)」です。元々、平安時代の公家の下着です。武家を含めた庶民はそれを表衣として着用しています。けれども、武家政治が始まると、支配層は公家から武家へと移り、その結果、小袖が標準的な服装となっています。

 小袖は、当初、身分や性別による違いがそれほど大きくはありません。その状況が変わったのは江戸時代です。

 江戸幕府は封建制に基づく秩序形成を強化しています。その際、「表」と「奥」という二つの概念による区分を導入します。前者は公的な世界、後者は私的な世界です。しかし、公的な世界はほぼ男性に占有されていましたから、奥は女性の世界を指すことになります。「大奥」や「奥様」が女性に使われるのは、そのためです。

 江戸時代は身分制社会ですから、衣服や髪形も身分を表象させるものでなければなりません。公的な世界である「表」では自由な服装など許されません。服装の固定化は身分制度の安定化につながるのであって、社会秩序の維持に不可欠です。男性が「表」で復職を通じて個人の嗜好や美意識、心理を表現することはでき来ません。

 「これに対して、『奥』の世界は『表』の世界からは見えない世界であるという建前があったため、『表』に身分制度が存在していても、『奥』の世界に生きる女性に対しては、社会秩序を乱さない限り、衣服の選択には比較的自由が許されていた。それゆえ江戸時代の女性たちは、身分・階層の違いによってそれぞれの好みや美意識を小袖に反映し、様式の違いや、時代による変遷を生み出すことになった。特に生地や技法の選択,意匠形式などの選択に見られる違いはその具体例であるが、さらに各階層の間で、これらの要素を含めたファッションの交流という面もしばしば見られた」(長崎巌『小袖ときもの』)。

 こうした江戸時代のファッション・リーダーは町人女性です。江戸の初期にほんの一時期武家の女性がその役割を担いましたが、それ以降では、むしろ、影響を受ける立場へと移ります。

 時代が下るにつれて、経済力をつけた商人の中には、武家を圧倒する政治的影響力を持つ家まで現われます。現在の山形県酒田市の本間家はその代表です。この日本一の地主は絶頂期には3000町歩の田地を持ち、本邸には、本来許されていない武家屋敷の様式も取り入れています。「本間様には及びはせぬが、せめてなりたや殿様に」とまで言われたほどです。

 こうした富裕な町人の女性は、今で言うと、セレブです。彼女たちは中流以下の町人女性に影響を与えつつも、その違いを際立たせています。一方、武家女性に対しては身分制と経済力のギャップを転倒すべく、そのスタイルの小袖をおしゃれにアレンジしています。彼女たちのファッションこそモードの最先端であり、流行自体を作り出しています。

 小袖は欧州に輸出され、実際に着るだけでなく、ほどいて再利用もされています。小袖はその華やかな色彩により女性のファッションに影響を与えています。プロテスタントは服を原罪の証と捉えます。人間は知恵の実を食べたために、衣服を着るようになったからです。装飾は言うに及ばず、色彩も白や黒、グレーなど地味でなければなりません。そんな禁欲主義の目に小袖は華やかに映っています。その刺激を自分たちもいくばくか取り入れていくのです。

 歴史を舞台とした小説や映画、テレビ・ドラマで、よく女性の心理が言及されていますが、その扱いには首を傾げたくなることがしばしばです。プロファイリングの不徹底さばかりが気になってしまいます。

 谷崎潤一郎は歴史を舞台とした小説を執筆する際に、心理描写を省いています。扱う時代や社会の人々は、近代人と違い、心理に関心がなかったからですが、これは極めて正当な姿勢です。

 昔の人たちの心理を知ることは困難です。現在と違い、心理を描写するとか、表現するとかが芸術作品でも見られません。おまけに、心理学も社会調査もない時代です。しかし、当時のファッションを通じて、それを推測することができます。こうした分析をしないで、作品を創作するのは、手抜き以外の何ものでもありません。最低限、その女性がどの時代のどういう人なのかを羽いさせるデリケートな視線で小袖を選ぶべきでしょう。

 現在の着物は、武家女性ではなく、町人女性の小袖の系譜につらなるものです。明治維新以後、武家女性は洋装にいち早く移行します。明治政府の支配層が旧武士階級が多く、鹿鳴館を代表とする欧化政策の手本を示すためということもありま。ただ、武家女性はそれまでファッションの点では遅れていましたから、その地位を転倒したかったということもあるでしょう。

 しかし、それは「奥」に対する「表」の抑圧にすぎません。結局、都市の女性たちが流行を先導していくことになっていきます。

 「表」と「奥」のせめぎ合いの中で流行文化は生まれています。「表」が男性、「奥」が女性の世界と明確に分けられる時代ではもうありません。けれども、「表」が公的、「奥」が私敵という区分は依然としてあります。「男に比べて、女は元気だ」と巷で言われることがあります。女性の意識変化は次の時代を予見させてきましたが、それは、現実的に、女性たちが「表」と「奥」の相克に敏感だからなのでしょう。

 女性の流行文化を見れば、日本の文化の多様性や変遷が明らかになります。評価の定まったものだけを文化とするのは極めて安易で、受動的です。女性は流行文化を作り出してきましたが、それはいつでも同時代的です。何が文化であるかと認めたり、世界に発信したりすることは、今を生きていない暇な連中がやればいいといったところです。

時代とはあやふやなものです。けれども、歴史的に、そんな時代と共に生きる女性たちが文化を創造しています。女性による流行文化を侮るべきではないのです。
〈了〉
参照文献
藤原泰晴他、『副食と心理』、放送大学教育振興会、2005年

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