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リテラシーは読み解く能力だけでなしに(2012)

リテラシーは読み解く能力だけでなしに
Saven Satow
Jan. 24, 2012

「光男は、よそのおじさんだの、おばさんだの、八百屋だの、くる人には、おもしろいことをいうのです。それは、そのきた人たちに、『おじちゃん、おまんこ、ちた』ということです。おじさんたちや、おばさんたちが、『としよりだからしないのよ』とわらいながらいいますと、『うちょだよ』といいます。そういう時には、家中大笑いをいたします」。
豊田正子『綴方教室』

 「リテラシー(Literacy)」という概念が近年メディア上で使われるようになっている。しかし、残念ながら、誤解も見受けられる。2012年1月に刊行された佐藤卓巳京都大学准教授の『現代史のリテラシー』はその一例であろう。内容に目を通すと、そのタイトルの意味が『現代史の読み解き方』であることに気がつく。

 けれども、リテラシーは読み解く能力だけではない。この概念は、本来、識字力、すなわち読み書き能力である。現在は、それが拡張されて用いられている。少々用法の混乱も起きている。リテラシーは読み解き方だけでなく、書き伝え方も兼ね備えていなければならない。

 佐藤准教授はこれまでナチス・ドイツや近代日本の神話の再検討に挑む意欲的な作品を世に問うてきたし、今回もその例に漏れない。しかし、リテラシーに関する理解は不十分である。佐藤准教授もリテラシーを読み書き能力だと認めている。その上で、書きの前提が読みであり、前者よりも後者が重要だと主張する。自分自身の読書を通じて得られた知見をメディア史の書き方へと展開させたのがこの書評集だと言っている。しかし、その割には、機能や効果、作用に関する記述がいささか乏しい。

 聞き話す能力、すなわち「オラリティ」は家庭や地域での会話で体得できる。しかし、リテラシーは体系的・総合的・有機的なカリキュラムを通じて習得される。学習は読みから始めるが、それは書きにつながっている必要がある。

 その理由の一つに書き言葉におけるコンテクストの共有の難しさが挙げられる。会話は具体的な場面で行われるため、話し手と聞き手がコンテクストを共有しやすい。ところが、書き言葉は、そうした具体的な場面にいない人とのコミュニケーションで用いられ、共通基盤が持ちにくい。

 電子メールを例に話し言葉と書き言葉の違いを説明しよう。電子メールは修正が容易である。にもかかわらず、文体が話し言葉に近いため、ろくに見直しもせず、ついつい送信してしまう。けれども、それはあくまでも書き言葉である。お互いの表情や声の調子、TPOなどの情報の共有ができているわけではない。そこで顔文字や絵文字を用いて話し言葉のニュアンスを出そうとする。話し言葉はオラリティの傾向が強いので、この記号の用法をカリキュラムによって習得することはない。

 書き言葉の世界では、書き手と読み手の間には認識の非対称性がある。最も身近な書き言葉の文章の一つは新聞記事だろう。新聞記事は要点を先行させる逆三角形構造をしている。記事の前の方にニュースの要約が記され、後の方にその詳細が補足される。読者は、こうした演繹的な文章構成に向かうと、最初に設定された枠組みに沿って読み進められるため、内容を理解しやすい。他方、帰納法的な文章構成にしてしまうと、どこに話が向かっているにかわかりにくく、読者は内容を受けとめる前に、反発したり、放棄したりしてしまいかねない。この書き方は新聞記者にとっては常識である。けれども、読者は、指摘されなければ、まずこれを認識していない。いくら毎日読んでも、それだけでは新聞の書き方は身につかない。

 メディア・リテラシーの教育において、新聞を利用する場合がある。その際、記事の読み方を考えるだけでなく、実際に、児童・生徒に新聞を作成させてみるのは、こうした認識の非対称性を体験するためである。読みには見落としがつきものだ。書くことを通じて初めて読みも深まる。リテラシーは読みと書きの相互作用によって発展的に習得される。

 知識や情報、技能などの送り手と受け手の認識の非対称性を改善し、コミュニケーションの共通理解を築き、よりよい社会の構築を目指す。これが現代におけるリテラシー検討の意義であろう。リテラシーは送り手と受け手の間の共通認知を可能にする規則・形式である。リテラシーに着目してテキストを読み解くアプローチは、書き伝え方からの認識が欠かせない。けれども、佐藤准教授の読解は、機能や効果、作用についての言及があまり見られず、それが弱い。名選手がかつての自分の練習法を語るだけでコーチングになるわけではない。「現代史」を今後書き伝えていくのは市民自身である。読み解くだけでなく、共通認知をもたらす機能や効果、作用を押さえた書き伝える能力の提案があってこそ『現代史のリテラシー』の名に値する。
〈了〉
参照文献
佐藤卓巳、『現代史のリテラシー』、岩波書店、2012年
豊田正子、『新編綴方教室』、岩波文庫、1995年

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