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速報性の罠(2012)

速報性の罠
Saven Satow
Feb. 03, 2012

「早い者に上手なし」。

 速報性には罠がある。速報性があればあるほど、受け手はそれにリアリティを感じてしまう。

 新しいメディアは速報性を売り物に登場し、それがもたらす新鮮さによって人々に受容される。その際、従来のメディアはたんに報道までの時間が遅いと思われるだけではない。作り物とレッテルが貼られる。遅れの間に恣意的・作為的な編集が加わり、リアリティがないと人々は冷めた目で見る。速報性は未編集であり、リアルだというわけだ。

 相対的な報道の速度がリアリティの相対性の尺度へと変換する。これが「速報性の罠」である。

 ラジオやテレビは、速報性で人々にインパクトを与え、リアルなマスメディアとして市民権を獲得している。

 1931年9月18日22時20分頃、旧満州奉天郊外の柳条湖で、南満州鉄道の線路が爆破される。関東軍は、すぐさま、中国軍の兵営北大営に攻撃を加える。第一報は18日の深夜に各新聞社に伝えられたが、軍部は軍事機密を理由に当局発表以外の報道を禁止する。ところが、ラジオが19日6時54分に臨時ニュースとして事変勃発を伝える。その後もラジオは続報を次々臨時ニュースを流す。ラジオは、新聞とは比較にならない速報性によって、当時の社会に存在感を初めて示す。都新聞は、このとき、ラジオ・ショックにより、部数を大幅に減らしている。

 ラジオは、その後も、「臨時ニュースを申し上げます」によって速報性のマスメディアとして社会に浸透する。新聞も号外で対抗するが、ラジオには到底かなわない。二・二六事件や日米開戦、終戦などでラジオの速報性が決定的な役割を果たしている。反乱軍の兵士も一般国民もそこから伝えられる内容をリアルだと信じ、大半が従って行動している。

 戦後、ラジオに代わって、テレビがマスメディアの王座に就く。その歴史を飾る出来事は速報性によって社会に印象づけられたものが並ぶ。皇太子ご成婚パレード、東京オリンピック、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件、金嬉老事件、東大安田講堂の攻防、アポロ11号の月面着陸、あさま山荘事件などはテレビの速報性と共に人々の記憶に残っている。

 速報性と言っても、伝え方一つで、人々の受ける印象は変わる。固定したカメラの映像を流したとする。受け手は未編集だからリアルと感じるかもしれないが、サイズやアングルにすでに意図や効果が認められる。選ばれたものと選ばれなかったものがそこにはある。意識的にせよそうでないにせよ、送り手が取捨選択した結果が伝えられる。しかし、速報性は驚きによってその過程を受け手に忘れさせ、リアリティを感じさせる。それが罠である。

 政治家は速報性の罠に敏感である。

 1972年6月、佐藤栄作首相は、記者会見場で、新聞記者抜きでテレビを通じて国民に直接退陣表明をしたいと主張する。「偏向的な新聞は嫌いなんだ」。それに反発した新聞記者が退席、佐藤首相は、がらんとした会場で、テレビ・カメラに向かって自分の思いの丈を語っている。彼は国民から「『栄ちゃん』と呼ばれたい」と常々漏らし、殊の外、テレビ出演が大好きだったことで有名である。テレビこそが自分のリアルな姿を国民に伝えてくれると信じていたのだろう。

 それから35年後の2007年になると、そのテレビも偏向的と政治家から見なされるようになる。当時の小沢一郎民主党代表がニコニコ動画の生中継に出演する。同サービスの運営者川上量生は、2012年1月13日付『朝日新聞』によると、安倍晋三首相を含め著名な政治家にオファーしたが、承諾したのは小沢だけだったと言っている。この組み合わせは世間を驚かせる。剛腕は携帯電話の操作でさえ秘書任せで、およそITから遠い政治家と見られているからである。小沢は新聞もさることながら、テレビの取材も自分の考えが編集されるからと拒否することで知られている。その彼が以降もインターネット番組へは積極的に出演するのは、そこにリアリティを見出しているからである。

 速報性の罠に陥るのは受け手だけではない。送り手も同様である。大した内容もない情報が速いだけの理由でニュース価値があるかのように錯覚する。そこにメディア・スクラムが生まれる余地がある。さらに、政治権力がニュースを欲しがる送り手を誘惑し、速報性の罠を利用して世論誘導をすることも十分可能である。湾岸戦争以降の戦争報道が示しているように、当局は、新メディアの速報性に最初こそ戸惑うが、次第に巧妙な対応策を用意してくる。

 速報性に強いメディアが登場したなら、速報性の罠に引っかからないように、送り手も受け手も冷静に捉え、その可能性や限界を検討することが必要だ。メディア・リテラシーの重要な意義の一つは速報性の罠の自覚である。インターネットのリアルタイム性をリアリティと思いこむのも速報性の罠であるが、無自覚な人も少なくない。東浩紀の『一般意志2.0』はそうした速報性の罠に陥った見本である。
〈了〉
参照文献
柏倉康夫他、『日本のマスメディア』、放送大学教育振興会、2007年

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