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最後の19世紀人(2015)

最後の19世紀人
Saven Satow
Apr. 0,. 2015

「好きな女性のタイプ?やっぱり年上かのう」。
泉重千代

 2015年4月1日午前6時58分、大川ミサヲという女性が老衰のため入居先の大阪市東住吉区の特別養護老人ホームで亡くなります。彼女はギネスブックが世界最高齢と認定しており、年齢は117歳です。誕生日は1898年3月5日、つまり19世紀生まれです。

 遠くない将来、最後の19世紀人の訃報も伝えられることでしょう。現在、19世紀生まれは次の9名が存命しています。

Gertrude Weaver 1898年7月4日~ アメリカ
Jeralean Talley 1899年5月23日~ アメリカ
Susannah Mushatt Jones 1899年7月6日~ アメリカ
Emma Morano-Martinuzzi 1899年11月29日~ イタリア
Violet Brown 1900年3月10日~ ジャマイカ
Antonia Gerena Rivera 1900年5月19日~ アメリカ
田島ナビ 1900年8月4日~ 日本
Blanche Cobb 1900年9月8日~ アメリカ
Goldie Steinberg 1900年10月30日~ アメリカ

 いずれも女性です。19世紀生まれの男性はすでに地球上にいません。なお、1890年代生まれは4名です。もちろん、確認されていない長寿が世界のどこかにいるかもしれません。

 もっとも、19世紀に生まれたとは言っても、もの心もついていないでしょうから、当時の記憶はほとんどないと思われます。リアルタイムの19世紀を語れる人は事実上この世にはもういないと考えて差し支えありません。

 最後の19世紀の語り部が誰かを特定することは困難です。言えるのは、19世紀は誰にとってもすでに歴史になっているということです。そもそも、リアルタイムで体験した19世紀の話を直接聞いたことすらない人も多いでしょう。それも貴重になりつつあります。

 年寄りが昔話を始めると嫌がられることがしばしばです。聞いてもいない苦労話など自分の話したいことを語り出すので、若者はうんざりしてしまいます。しかし、老若いずれにとっても残念な状態です。年寄りは昔のことについての生きた図書館だからです。

 若者が歴史を知りたいと図書館に行ったとします。求めていることなどお構いなしに本が話し始めたら、たまりません。しかも、それは概して主観的な思いです。そうした内面の物語は若者も抱えています。わざわざ年寄りに聞くまでもないのです。

 若者は体験していない昔のことを知りたいと思っています。彼らが望んでいるのは本を読んでもわからないことです。昔の社会・人々の雰囲気や気分、暗黙の裡の習慣や制度、通念など当時を生きていた人にとってはあまりに自明で、語ることさえ忘れてしまう記憶や知識です。体験談を思いつきや思いこみでだらだら話すことなど求められていません。

 ただ、うまく聞き出すためには、話したいことをそうさせるのも必要です。あくまで話してもらうのですから、相手が語りたいことを優先しなければなりません。共感の態度を示して信頼感が生まれてこそ、体験者も聞かれたことに応えてもいいと思うものです。話をさえぎって自分の聞きたいことを押しつけたら、気分を害し、話すことをやめてしまうかもしれません。

 簡単な例を挙げましょう。今の若者にとって携帯電話は情備品です。けれども、80年代以前はそうではありません。モバイルなしでどうやって友人や恋人と待ち合わせしていたのか今時の子にとっては謎です。連絡がとれるように電話のある喫茶店を集合場所にするのは当時の常識の一つです。「荻窪駅北口の葉山に4時」といった感じです。

 それができない場所であるなら、約束を守るために必死になるわけです。混雑が予想される場所の場合、見つけやすいように、細かく地点を指定します。「金曜日夜6時に渋谷のハチ公のしっぽ」という具合です。ルーズな人もいましたが、約束の時間に対する感覚は、携帯で融通ができる今より厳しいものです。

 80年代にケータイが普及していないことは本を読めばわかります。けれども、それが人間の認知・行動にどのような影響を与えていたのかは史料の相当の読みこみをしない限り、つかめません。そんな時は、体験者に尋ねるのが便利です。しかも、焦点を変えて尋ねれば、さまざまなことを聞き出せます。

 実は、生きた図書館は利用者の姿勢や力量でその価値が変動するのです。それに、記憶は意図的・無意図的な嘘がつきものです。先に語る方の問題点を指摘しましたが、活字や音声、映像などお照らし合わせて生きた図書館を利用する必要があります。実際に問われるのは聞く方です。

 江戸を舞台にした時代小説は数多くありますが、近世史の専門家が評価する作品は稀です。当時の空気や暗黙知が踏まえられていないからです。例外的なのが岡本綺堂の『半七捕り物帳』です。綺堂は明治生まれですけれども、幕臣の家の出身です。江戸には自明だった気分や知識をよく描いています。岡本綺堂を江戸時代の語り部と呼ぶこともできるでしょう。読み手の力の試金石です。

 19世紀の生きた図書館は事実上もういません。けれども、日本は高齢化社会ですから、多数の年寄りがいます。生きることは人を図書館にします。年をとること自体が社会の共有財産になります。生きた図書館を眠らせておくのはあまりにもったいない話なのです。
〈了〉

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