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黒田総裁の認知的不協和(2016)

黒田総裁の認知的不協和
Saven Satow
Nov. 04, 2016

「最近では漸く識者も『アベノミクスは破綻か』などと言い始めている。そんなことははじめからわかりきっている。大体物価を上げれば景気が良くなる、物価を上げるためにジャブジャブ日銀が金を出すなんて発想が間違い。景気が良くなるから、物価が上がる。前提が全部間違っているから、全部だめになる」。
小沢一郎

 2016年11月1日、日本銀行の黒田東彦総裁が記者会見でインフレ目標2%の達成が2018年にずれこむと発言する。13年に2年以内と公言したものの、約束を果たせず、時期の先延ばしを繰り返している。今回の見通しは任期中の達成が不可能だということを意味している。黒田総裁は任期の期間内に実現できない政策を実施したことになる。

 日銀総裁の任期は金融政策が効果を挙げる範囲と考えられる。一般の経済政策は、3か年計画や5か年計画と言うように、2年以内は必ずしも計画の期間ではない。金融政策には効果が出るまでタイムラグがある。目標達成2年以内であれば、事実上短期と見なすことができよう。日銀は短期的な成果を目指して緩和政策を実施したのであって、先延ばしは失敗のごまかしである。

 J・M・ケインズは雇用創出のために財政出動のみならず、金融政策の重要性を説いたことでも知られる。『雇用・利子および貨幣の一般理論』第12章第5節によると、株式市場は「美人コンテスト」であり、投資家は何かしていないと落ち着かない「アニマル・スピリット」の持ち主だ。そうした投機のため市場は不安定であるから、金融政策によって利子率を裁量的に調整した方が経済成長には効果的である。企業の投資行動は利子率に影響されるからだ。

 ケインズは分析のスケールを短期に絞っている。景気循環や技術革新を考慮する必要がないので、政策の規模が結果を左右する。ケインズ主義政策は財政出動のみならず、金融も短期的成果を目的にしている。効果が十分でない場合、規模が小さかったと判断される。

 しかし、政策期間が長引けば、さまざまな要因が影響してくる。また、政策が続くと、それが経済環境の前提と認知され、各主体に意図と異なる行動を促してしまう。そうなると、そもそも政策が間違っていたのではないかという批判に対して、当局は言い訳を並べ立てて、責任逃れをしようとする。

 日銀は異次元緩和の効果が芳しくないとわかると、追加を繰り返す。規模が小さかったからだと判断し、政策期間を延ばしたことは明らかだ。失敗を認めず、黒田総裁はあれこれ言い逃れをしている。

 行動は認知に基づいて行われる。しかし、行動は取り返しがつかない。なされた行動の結果が認知に不協和を生じたとしよう。行動は不可逆的だから、認知を変更して、両者を一致させようとする。合理的に考えれば、行動を反省的に捉え、認知を進化させるだろう。ところが、防衛機制が働くと、行動を正当化するように認知を編集する。これを「認知的不協和」と呼ぶ。まさに黒田総裁の態度はこの認知的不協和である。

 ところで、ケインズの「美人コンテスト」は実体経済と株式市場の乖離が生じる比喩である。ケインズによると、投資は「100枚の写真の中から最も美人だと思う人に投票してもらい、最も投票が多かった人に投票した人達に賞品を与える新聞投票」に見立てることができる。「投票者は自分自身が美人と思う人へ投票するのではなく、平均的に美人と思われる人へ投票するようになる」。

 実体経済を反映しているなら、株価は業績の良い企業が高く、悪いものが低いはずである。しかし、実際にはそうではない。すべての投資家は自分以外の市場参加者の行動を予想して選択する。その人気投票の結果が株価である。

 この比喩を拡張すると、新古典派の経済人の前提が覆える。新古典派は、市場メカニズムが有効に機能するために、合理的計算能力と情報が完全な経済人を想定する。もしそうした経済人が美人コンテストに投票するなら、票は一人の候補者に集中するだろう。

 これをゲーム理論によって説明すると、ナッシュ均衡が候補者数分存在するということだ。ある候補者が票を集めるとわかっているなら、他に投票しても結果を変えられないから、賞金を得られない。そのため、一人の候補が全得票を集めて優勝する。

 実際には、合理的計算能力も情報も限定的である。市場参加者は価格を通じて情報を入手し、模倣を含めた学習に基づいて投資行動をとる。市場が情報を示すのであって、投資家が事前に完全に認知しているわけではない。

 しかし、今の日本の株価は情報が十分に明らかになっていない。年金を始めとする巨額の公的マネーが株式市場に流れ込んでいる。また、超低金利を背景に、企業は社債で資金調達を行い、自社株買いを進めている。株価はこのような状況に左右されている。価格が情報指標として信用できないなら、市場参加者は取引を見合わせるだろう。株価が上がっても、取引金額は下がる。目安の2兆円を切ることもザラだ、

 美人コンテストに大量の組織票が投じられていると思えばよい。中央銀行が自ら市場メカニズムをおかしくしている。これは資本主義の金融政策ではない。取り返しのつかない行動だ。もはや黒田総裁の辞任で済む状況ではない。
〈了〉
参照文献
ケインズ、『雇用・利子および貨幣の一般理論』、塩野谷祐一訳、東洋経済新報社、1995年

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