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人間が攻撃的になる時(2012)

人間が攻撃的になる時
Saven Satow
Dec. 25, 2012

「攻撃者があの世で悪だとすれば、この世では正しい」。
ナポレオン・ボナパルト

 領土問題の際に関係国の民衆が相手国に敵対的な態度をとるのを見て、動物も自分の縄張りに入ってくると、攻撃的になると説明する人がいる。テリトリー保全は動物の本能であり、領土問題も同様だというわけだ。しかし、このアナロジーは適切ではない。動物の場合、種によってテリトリーの範囲が決まっており、国民意識のようなイデオロギーによって侵入者に攻撃を加えているわけでもない。

 領土問題が人間に攻撃を誘発するとして議論を展開する前に、考えるべきことがある。それは人間が攻撃行動をする時とはどういうものなのかである。

 攻撃の定義は主観性に依存する。加害主体ではなく、被害主体にその決定権がある。攻撃は他の主体からの有害な刺激と判断した反応である。攻撃行動の理論は数多く提案されている。加害側のメカニズムを説明するものがほとんどだが、これは決して定義と矛盾しない。被害者意識から攻撃行動をしていることが認められるからだ。

 中でも、欲求不満攻撃説と社会的学習説がよく知られている。

 前者は攻撃の動機づけをフラストレーションに求める考えである。攻撃行動が欲求不満によって直接的に喚起される場合もあれば、攻撃のレディネスを引き起こしながらも外的行動として表われない場合もある。レディネスは欲求不満だけでなく、すでに体得された攻撃習慣によっても生じる。また、レディネスに攻撃の手がかりが見つかり、過去あるいは現在の怒りの誘発者と結びついた刺激があると、攻撃行動に及ぶ。

 後者は学習した思考習慣が攻撃を生む考えである。誰かの攻撃行動を見て、その結果がうまくいけば、それを真似る。攻撃が攻撃を呼ぶというわけだ。

 人間の攻撃行動に最も取り組んでいる分野の一つが交通心理学である。世界的に交通場面で攻撃行動が引き起こされやすいことが知られている。それは事故のみならず、しばしば事件に至ってしまう。攻撃につながる感情は怒りである。これは原初的な感情、すなわち情動であり、判断力を低下させる。専門家は交通場面における攻撃行動のメカニズムを明らかにし、感情コントロールのための対策を作成している。

 とは言うものの、交通と攻撃行動の研究は十分進展してはいない。交通場面で攻撃行動が起きやすい理由として、次の三点が挙げられる。

 第一に引きこもり行動の傾向が生じやすい点である。道路は多数の見知らぬ人が共存する公共空間である。お互いに無関心で、人と人とのつながりを積極的に求めることはない。こうした空間では引きこもり現象が生まれやすい。対人行動=コミュニケーションを行わなければならない時には、その反動として、過剰反応をとりやすく、それは攻撃的になる危険性がある。

 第二に相手の不可視性の影響の点である。交通場面では、相手のドライバーが見えにくい、もしくはまったく見えない。相手がよく見えないと、心理的距離が遠ざかり、攻撃行動を抑制することが困難になる危険性がある。

 第三に運転に伴う慢性的心理的負荷という点である。道路環境・気象条件によって注意を払うことが多く、つねにストレスにさらされる。また、騒音や気象条件によってフラストレーションがたまる。さらに、スケジュールを守りたいのに、渋滞に巻きこまれ、焦りが募る。このような心理状態のところにクラクションで刺激されようものなら、爆発して攻撃行動に至る危険性がある。

 引きこもり行動の傾向と相手の不可視性、慢性的な心理的負荷が交通現場での攻撃行動の主な誘発性として考えられている。それぞれに関して詳細な検討が加えられている。ただ、攻撃の感受は主観性に依存するので、個人差も大きい。これらの知見を踏まえつつ、感情コントロール研究が進められている。グループ学習が効果的だとされ、自己評価や自己理解、感情と行動の原理の認識、対処に関するディスカッションなどが有機的にプログラムに組みこまれている。

 交通現場の知見を参考に、対外関係について考えてみよう。そこでは相手の不可視性が生じやすい。攻撃行動は相手の不可視性によって心理的距離が大きくなり、ちょっとしたことでも攻撃行動を抑えにくい。攻撃の動機づけは欲求不満攻撃説と社会的学習説のミックスである。動物の縄張り争いのアナロジーは、だから、適切ではない。

 対処方法は経験的にわかっている。何らかの火種を抱えている国の間ではさまざまなレベルでの人的交流を進めるのは、そのためだ。相互作用によって感情のセルフコントロールを育み、衝突を減らし、お互いの社会をよりよくする。当局を始めとする関係者は挑発行為を慎まねばならないし、相手の発するメッセージには注意深く接する必要がある。

 社会自身にこの三つの性向が強まれば、厄介である。今の日本社会は競争や孤立化をキーワードに語られることが多く、攻撃行動が引き起こされやすい。攻撃対象がつねに探されている。しかも、そういった試みは地道に続けられているものの、感情コントロールを習得する必要性を感じていないどころか、ネット等で自分と同じ傾向の仲間を見つけ、怒りの共同体を形成して攻撃性を増幅させてしまう。

 確かに、路上の激怒は依然として後を絶たない。しかし、それがよりよい交通空間を生み出すことはない。むしろ、人生を台無しにしてしまうことさえ少なくない。国家間であればなおのことだ。それがわかっているか?
〈了〉
参照文献
蓮花一巳他、『交通心理学』、放送大学教育振興会、2012年

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