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ホロコーストとアパルトヘイト(3)(2024)

5 ロールズの正戦論
 ジュネーブ条約が示す通り、戦争にもルールがある。自衛権行使も同様である。その論拠を提供しているのが正戦争論である。従前の国際法が取り扱っていなくても、国際世論の高まりとともに、この議論の発展によってその行為が禁止されることもあり得る。近代は自由で平等、自立した個人が集まって社会を形成し、国家はそれが正義に基づいて機能するために設立される。戦争はその国家が行う。正戦論は個人の人権の保護から捉えなければならない。こういった観点に立脚するジョン・ロールズの主張を見てみよう。

 ロールズは今日の政治哲学や倫理学において最も影響力のある規範的理論家の一人である。肯定するにしろ否定するにしろ、彼の『正義論』は議論の共通基盤である。そのロールズは、1995年、『ディセント(Dissent)』誌に掲載した論文「原爆投下はなぜ不正なのか?─ ヒロシマから50年(Reflections on Hiroshima: 50 Years After Hiroshima)」において、武力紛争法に関する六つの原理を提言している。なお、修飾語がついていない場合でも、ロールズが「民主主義社会」と呼ぶ時、それは「真っ当な(Decent)」なものを指す。

 第一に、真っ当な民主主義社会によって行われる正義の戦争の目標は、人々の間、特に現在の敵との間の公正かつ永続的な平和である。

 第二に、真っ当な民主主義社会の交戦相手は民主的ではない国家である。その拡大主義的目的が民主主義政権の安全と自由な制度を脅かし、戦争を引き起こしたと仮定する。

 第三に、民主主義社会は、責任の原則に基づき、交戦国の指導者と当局者、兵士、民間人の3グループを慎重に区別しなければならない。指導者等は戦争を始めた責任がある。民間人は情報統制の下でプロパガンダに振り回されている。中には、情報をより入手して戦争に熱心な民間人もいるが、置かれている状況は同様である。士官以上を別にすれば、兵士の多くは動員された民間人で、愛国心に燃えていたとしても、それは残酷的かつ冷笑的に指導者たちに利用されているだけだ。

 第四に、民主主義社会は二つの理由から交戦国の民間人と兵士の人権を尊重しなければならない。一つはそれは万人の方に基づいているからだ。もう一つは戦争においても人権が保障されるという実例を示さなければならないからである。

 第五に、民主主義社会の人々、特に指導層は、交戦国や国際社会に対し、どのような平和を目指し、戦後にいかなる国際秩序を構築するのか戦争中にあらかじめ提示しておかなければならない。戦争の進め方と終わらせる行動は人々の歴史的記憶に残り、将来のそれの舞台となる可能性があるからだ。

 最後に、戦争目的を達成するための軍事行動や政策が適切かどうかを判定するための思考様式は、つねに上述の5原理の枠内で構成されていなければならない。この制限の唯一の例外は極限的な危機の時である。

 ロールズは第二原理において「真っ当な民主主義社会(a decent democratic society)」と「民主主義的ではない国家(a state that is not democratic)」を対照的に扱っている。これは社会契約説の「社会」と「国家」の関係を踏まえている。自由で平等、自立した個人が集まって近代社会を形成する。その社会が正義の原理に基づいて機能するために国家、すなわち政府を必要とする。社会が真っ当に民主主義的であるなら、政府もそれを反映する。逆に、国家が社会のためではなく、自身の利益や思想を優先するならば、それは民主主義的ではない。

 ロールズは、「極限的な危機(extreme crisis)」の場合のみ、攻撃対象に一般市民を含めることもやむを得ないとする。その具体例は、第2次世界大戦の初期に英国がドイツの市街地を爆撃した作戦である。当時のドイツは拡大主義的動機に基づいて戦争を始め、ヨーロッパ大陸諸国をほぼ手中に収めている。その優勢なドイツ軍に押され、苦境に陥ったイギリスは「極限的な危機」に置かれていたので、民間人を巻きこむ爆撃も免責される。

 一方、ロールズは、原爆投下のみならず、東京大空襲も正しい戦争ではないとする。第4のルールに反しているからだ。しかも、1945年当時の日本は勝てる見込みなどなく、戦争継続の能力さえ失われつつあり、アメリカが「極限的な危機」に置かれてはいない。もちろん、太平洋戦線で日本軍と戦った元米兵はここでとどまらず、従来の日本への無差別爆撃の擁護に対する反論も用意している。

 ロールズは戦争において避けるべき二つのニヒリズムを挙げている。一つが戦争を早く終結させるためにはいかなる手段も許されるとする論法である。彼は「シャーマンの海への進軍(Sherman's March to the Sea)」を例に挙げている。南北戦争の際、ウィリアム・シャーマン将軍は「戦争は地獄だ(War is hell)」と言って、アトランタを焦土にしている。悪いのは南軍であり、これが戦争を早く終わらせるためだと嘯いたが、これは上記の原則に反している。手段は目的によって正当化されるものではない。

 もう一つが戦争に突入した以上当事国の人々は全員が有罪だとする論法である。ハリー・S・トルーマン大統領は、原爆投下に際して、「日本人を野獣として扱う以外にない」と発言している。これは先の責任に基づく区別を無視している。全員に程度の差こそあれ責任があるとしても、全員が等しく有罪と言うことにはならない。「正義を重んずる真っ当な文明社会──その制度・法律、市民生活、背景となる文化や習俗──はすべて、いかなる状況においても道徳的・政治的に有意味な区別を行っており、その区別に絶対的に依存しているという事実」によってこうした論法は無内容なニヒリズムである。

 原爆投下の擁護はこうしたニヒリズムにすぎない。アメリカが「正義を重んじる真っ当な民主主義社会」であるなら、目的によって手段を正当化したり、敵は全員同罪だとしたりして原爆を投下してはならない。

6 自衛権と自己保存権
 自衛権行使の際に均衡もこの正戦論に基づいていなければならない。均衡性にはは原因行為説と目的説の二つがある。前者は相手の行動に対してバランスの取れた反撃を行うことが認められるとする考えである。3発殴られたら、同じ程度殴り返せる。ただし、原因行為説に従ったとしても、戦争の際に国家は自国民に対して他国民の命を軽く扱いがちで、反撃が過剰になる可能性がある。他方、後者は相手の行為の目的に対してバランスの取れた反撃を行うことが認められるとする考えである。3発殴られたとしても、相手が自分を殺そうとしていたのなら、息の根を止めてかまわない。「シャーマンの海への行進」はこの説によって正当化される。

 イスラエルが国際社会から非難されているのは、原因行為節から見れば、自衛権に基づく武力行使として過剰だからである。しかし、イスラエルは生存権を根拠に行動を正当化している。それは目的説に基づいて均衡をとらえていることを意味する。

 目的説は結果ではなく、動機を重視している。そうなると、自衛権は自己保存権となりかねない。これは国家が存続するために必要な措置をとることができる権利であるが、現代の国際法では認められていない。

 近代の最も基礎的原理である政教分離を提唱したトマス・ホッブズは、『リヴァイアサン』(1651)において、「自然状態」を「万人の万人に対する戦争(bellum omnium contra omnes: the war of all against all)」と言う。自然状態においてすべての人間は自由である。そのため、利害の対立が避けられない。自分を守るためにはやられる前にやると考えるのが合理的だ。自己保存の目的に基づいて先制攻撃をすることを誰もが認識して実行する。かくして万人の万人に対する戦争が自然状態で繰り広げられる。

 現代の国際法は、そのため、自己保存権を認めない。あくまで武力行使に対する反撃圏としての自衛権に限定している。先制攻撃も相手の目的があらかじめわかることを前提にし、万人の万人に対する戦争の状態を招く危険性があるので、国際法は必ずしも認めていない。

 イスラエルが生存権を根拠に軍事行動をとる時、それは自衛権ではなく、自己保存権を行使している。そのため、彼らは先制攻撃を仕掛けたり、過剰反撃をしたりする。今回のガザ攻撃に際しても、ハマスが利用していると病院や学校を始めとする民間施設を破壊したり、人間の盾として使っていると女性や子どもを含む民間人を巻き添えにしたりするなど21世紀の「シャーマンの海への進軍」を繰り広げている。、「人間の盾」は攻撃困難の理由として持ち出すものである。イスラエルの行為は無差別攻撃でしかない。「人間の盾」は彼らの多くの詭弁の一つである。「真っ当な民主主義社会」が避けるべきニヒリズムに陥っている。その姿はおよそ現代の国家の姿ではない。

 ハマスとイスラエル軍との戦争がはじまって4カ月弱で、ガザにおいて約2万7千人の市民が犠牲になり、人口の8割を超える190万人が家を追われている。イスラエルの攻撃はジェノサイド,のみならず、「ドミサイド(Domicide)」にもあたると欧米メディアが取り上げている。これは人間生活やコミュニティ維持のために必要な構造物を大規模かつ意図的に破壊する行為を指す。

 その状況をインターネットで確認することができる。情報デザインを専門とする渡邉英徳東大教授の研究室とNPO法人「日本国際ボランティアセンター(JVC)」の共同チームはガザに関する衛星画像の調査結果をデジタルマップ化し、ウェブ上で公開している。

 西田直晃記者は、『東京新聞』』、2024年2月4日 12時00分配信「ガザでの破壊を衛星画像で分析したら…イスラエル軍の『言行不一致』が見えた 東大教授ら『マップ』公開」において、それを次のように伝えている。

◆日本政府が援助した生活のための施設も破壊
 「建物そのものだけにとどまらず、国際的なネットワークも、人々の営為そのものも破壊されていることを知ってほしい」。1月末の報道陣向けのオンライン発表会で、渡邉氏は調査の意図を強調した。
 ガザでは昨年10月、イスラム組織ハマスの攻撃を受けてイスラエル軍の侵攻が始まった。渡邉氏らは、米プラネット・ラボ社が撮影した衛星画像を精査し、侵攻前後の状況が比較できるようデジタルマップにした。
 渡邉氏によると、日本のNGOが農園施設での技術指導を支援したアズハル大学のキャンパス、日本政府が建設を援助した南部ハンユニスの廃水処理プラントなど、少なくとも日本関連の3施設の破壊が、画像の解析で確認された。
 3施設以外にも、日本が支援した病院や学校、高齢者施設が攻撃で損壊し、周辺の住宅も甚大な被害を受けた可能性が、画像から浮かび上がった。
 このうち、ガザ北部の学校の中庭には、直径約40メートルの範囲に被害を与える500ポンド爆弾のクレーターが生じていた。学校の近くには、より殺傷力が高い2000ポンド爆弾が使われた形跡があった。日本が支援した他の施設周辺でも、巨大なクレーターが散見された。
 建物の破壊だけでなく、がれきの散乱や農地の減少もうかがわれた。
 デジタルマップでは、倒壊した建物やクレーター、イスラエル軍が築いたとみられる土塁などを衛星画像上に印を付けるなどして示し、説明文を添えている。

◆「破壊を止める流れをつくることが必要だ」
 渡邉氏は「『殲滅(せんめつ)』という表現が妥当かもしれない。所構わずに破壊している」と指摘する。また、建物が無事でも、軍に包囲されていると推測される事例もあるという。「例えば、病院の周辺に掘り返された痕跡や空爆によるクレーターがみられる。市民の医療機関として機能しているのか疑問で、イスラエル軍が利活用するために病院自体は残したのではないか」
 渡邉氏はガザの現在地について「(日本で言えば)1945年4月ごろの沖縄に似ている。制圧する目的で踏みにじられている」と表現し、「イスラエル軍が掲げてきた大義名分と実際の軍事行動には大きな乖離(かいり)がある」と主張した。

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