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外来語とカタカナ(2006)

外来語とカタカナ
Saven Satow
Dec. 17, 2006

「オレは『ラジオ』のことをいつも『レイディオ』って言ってるよ」。
高田純次

 2006年12月11日・12日付『朝日新聞』によると、伊吹文明文部科学大臣は、日本外国特派員協会で講演し、「日本のカルチャーとヒストリーを十分マスターし、ビューティフル・ジャパニーズ・ランゲージが話せること。その後でフォーリン・ランゲージはマスターする」と外来語を連発しながら、小学校の英語教育を批判します。記者から、TOEFLのスコアが、アジアにおいて、北朝鮮やミャンマー以外では最低ランクの点を指摘されると、「日本の国のことを知らない人がいくら英語を話せても、それは単なるメカニカル・スピーキングであって、決して外国の人から尊敬されない」と答えています。

 もちろん、伊吹大臣もご存知だと思いますが、現在英語を子どもが学ぶように、明治以前、当時の東アジア文化圏の学問における共通語である漢文を支配者階級は幼少期から勉強しています。蘭学さえ儒学の学習法を応用していましたから、漢文ができないと話にならないのです。

 言うまでもなく、軍国主義の体制で、当局はカタカナ語をすべて排除すべきだと狂信的になります。それと比べれば、伊吹大臣の言行不一致はかわいらしいものです。

 また、カタカナ語が多いことで知られる塩崎恭久官房長官も、12日の定例記者会見で、自ら使った「センシティブ」に関して、適当な訳はないのかと記者から尋ねられ、「うーん」と言葉に詰まった後、「何て言うんだろうねえ。何となくみんな『センシティブ』と言っているけど。まあ、『配慮が必要な』ってことなんでしょう」と答えに窮しています。政治家らしい流行に対する中途半端なセンスを発揮して、せめて「ビミョー」くらいは言って欲しいものです。

 概して、日本の政治家や官僚は、代表に安倍晋三内閣総理大臣もそうですが、カタカナ語を濫用することが目立ちます。石原慎太郎東京都知事や田中康夫前長野県知事もそれを多用することで知られています。

 ところが、そういう政治家に限って、文化や伝統、日本語を大切にすべきだという持論を口にするのです。強制を好み、自分の考えを押しつける権威主義的態度も目につきます。そういう政治家が権力を握っている日本が「美しい国」かどうかはともかく、世界から「賢い国」とは思われないでしょう。

 日本の政治の場面で、カタカナ語が多用され始めたのは、昭和40年代からです。経済企画庁が電子計算機の意義に気づき、情報理論に影響され、文書を作成するようになっています。

 西周を代表にかつての知識人たちは外来語を漢語に翻訳しています。「経済」を始めそれらの多くは中国語に流入したほどです。しかし、今の日本人にはもう無理な作業です。と言うのも、漢文の素養を多くの人が持ち合わせていないからです。これは大正時代から見られる傾向です。例えば、駅に「券売機」が設置されるようになります。けれども、漢文では、動詞の後に目的語がくる以上、本来、「売券機」でなければなりません。どうしてもカタカナ語を減らしたんのであれば、中国人の翻訳を借用することをお勧めします。

 カタカナは漢字の字画の一部を省略して生まれ、9世紀頃に、確立したというのが定説です。それは、主に、漢文の訓読のために用いられる文字です。漢籍や仏典の漢文を訓読(翻訳)する際に、送り仮名や返り点といった訓点を行間や字間に補う必要があります。文字の四隅や中間に記号をつけ、送り仮名や助詞、助動詞などを表しているのです。現在、助詞を「テニヲハ」と言いますが、それはこの記号の配置に由来しています。ただ、記号のつけ方や意味が門流や宗派によって異なっています。それは秘伝だからです。カタカナは書き言葉の世界の文字です。

 一方、ひらがなは漢字の草書の崩しから生まれ、9世紀頃に確立したと考えられています。和歌を書いたり、私的な文章を記したりする際に用いられる声に出すための文字です。

 ひらがなとカタカナは生まれも目的も異なり、住む世界も違っています。さらに、ひらがなにしても、カタカナにしても、漢字にしても、明治以前は統一されていません。なお、仮名に対し、漢字は「真名」と呼ばれています。

 カタカナ語の多用に意図が込められているというのならわかるのですが、政治家や官僚からはそれが感じられないのです。

 日本語の散文のルールを作ったのは藤原定家(1162~1241)ですが、彼は意図を持って漢字とひらがなを使い分けています。日本語では、今日の英語と異なり、分かち書きをしません。そのため、文内の意味の切れ続きをどうするかが課題になります。現在では句読点がありますが、当時はそんなものなどありません。そこで、定家はひらがなから漢字に移るところを文節の切れ目とすることにします。

 定家は、『古今和歌集』の自筆本において、巻第13恋歌3の6644番の歌に次のような詞書を記しています。

   業平朝臣の伊勢のくにゝまかりたりける時
   齋宮なりける人にいとみそかにあひて又の
   あしたに人やるすへなくて思ひをりけるあ
   ひたに女のもとよりをこせたりける

 これをひらがなから漢字に移る箇所で区切ると次のようになります。

  業平朝臣の 伊勢のくにゝまかりたりける 時 齋宮なりける 人にいとみそかにあひて 又のあしたに 人やるすへなくて 思ひをりけるあひたに 女のもとよりをこせたりける

 定家は、彼以前の人たちと違い、文字を続けて書くことをあまりせず、一文字一文字を独立させています。筆記の面でも、明らかに文の切れ続きを意図しているのです。日本語の散文は、この時、生まれたと言って過言ではありません。

 カタカナは、今の文内では、ほぼ漢字と同じ自立語の機能を果たしていますので、現在でもこのルールが適用されているのです。850年以上後の今も続くルールを考案したのですから、驚くべき独創性です。言語は思考を規定する点もある以上、日本語を使うこと自体に定家の呪縛があると言えるかもしれません。

 なお、藤原定家はひどい癖字で知られています。そのため、定家流として江戸時代に愛好者もいたのみならず、彼の自筆本や写本が特定しやすくなっています。

 今の政治家や官僚からは藤原定家のような強い意図を感じられません。「ジャパニーズ・ランゲージ」や「センシティブ」は、必ずしも、カタカナのまま表現する必要のないものです。「コミュニケーション」のように、多義的であるため、そのニュアンスを生かす目的からカタカナで表記する場合とは違うのです。また、彼らには従来の訳語が不適切であると異議を申し立てるつもりでもないようです。

 カタカナ語が多い、もしくは英語に通じているという自信のある政治家に限って、舌禍事件を起こしています。石原都知事は言うに及ばず、中曽根康弘元首相も失敗しています。

 認識はたんにそれのみを知ればいいというのではなく、他のものと比較して深めていく行為です。政治家の舌禍事件は一義性への志向から生じています。公人には、思い込みや思い付きではなく、他との関係から考え、発言する姿勢が不可欠です。自分が言葉を操っているのではなく、言葉に操られているのだという意識を忘れるべきではありません。言葉を支配していると傲慢になった時、人は言葉で失敗します。カタカナ語を濫用する政治家や官僚は、相互性を拒む権威主義者だと警戒すべきでしょう。これまで政治家の発する言葉は、何度も日本を危機に追いこんできた歴史があるのです。

 生死は舌先三寸にかかっている。
(『箴言』18章21節)
〈了〉
参照文献
杉浦克己、『改訂版 書誌学』、放送大学教育振興会、2003年
鳥飼久美子、『歴史をかえた誤訳』、新潮OH!文庫、2001年
辻本政史、『教育の社会文化史』、放送大学教育振興会、2004年
御厨貴、『「保守」の終わり』、毎日新聞社、2004年

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