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傷ついた果実たち─寺山修司の抒情詩(3)(2002)

3 演劇失格
 寺山修司は効果への意志を有し、演劇へと向かう。演劇は必然性に基づいていなければならない。寺山の演劇の目標はその必然性の解体である。寺山修司はフランシス・ベーコンが『ノウム・オルガヌム(Novum Organum)』の中で批判する「劇場のイドラ(idola theatri)」を肯定する。彼の演劇はこのイドラを演じることだ。

たいくつの仮面をはずすと
よろこびの仮面があります

よろこびの仮面をはずすと
いつわりの仮面があります

いつわりの仮面をはずすと
くたびれた仮面があります

くたびれた仮面をはずすと
とまどいの仮面があります

はずしてもはずしても
はずれない仮面は

いつもなみだを流している
(寺山修司『劇場』)

 ベーコンは正しい知識獲得の妨げとなる偏見や先入観を「イドラ(idola)」、すなわち偶像と呼び、四種類をあげている。「種族のイドラ(idola tribus)」は人間の本性につきまとうものであり、「洞窟のイドラ(idola specus)」は個人の特殊な条件によって生じ、「市場のイドラ(idola fori)」は言語が精神に及ぼす影響により派生し、「劇場のイドラ」は既成の哲学体系や誤った論証方法を妄信することである。寺山修司は、詐欺師やペテン師だらけの劇場において、自分の演劇が上演されてしかるべきだと信じていたに違いない。

 けれども、寺山修司は演劇が最も評価されてきたとしても、実際には新たな演劇の提起にはつながっていない。彼の試みは演劇批判ではなく、違うジャンルを示しただけである。

 一九八二年に刊行された『臓器交換序説』は『迷路と死海』に次ぐ二冊目の演劇論集である。本人によると、『迷路と死海』が「原理篇」とすれば、これは「実践篇」である。彼は短歌や俳句では形式に倒錯的に従っていたにもかかわらず、演劇においては形式への従属を拒もうとする。寺山修司は演劇の持つ必然性に対して内在的な批判を試みたわけだが、別の必然性を提示したにすぎない。即興は本能と直観の論理に基づいている。それは、彼の演劇がそうであるように、ストーリーから離れ、行為自体へと隣接する。

 寺山修司の演劇はパフォーマンスである。このパフォーマンスは観客との共同作業であり、騒々しく参加し、役者と即興の台詞と奇妙な演技でコミュニケーションする。パフォーマンスは馬鹿げたことの快楽である。そこでは現実的なものと荒唐無稽なものが同居する。惰性による破壊の反復は想像行為から訣別せざるを得ない。演劇は、映画と違い、同じシナリオを一定期間繰り返して演じるため、演技は反復に耐えるものにならざるを得ない。突然、ある公演に力を入れすぎると、次のときにはその負担が出て、うまくいかない。反復とはいかなるものなのかを演劇の演技は具現する。

 「演技経験のないふつうの人が映画に出ると、自分が見せる立場に立っているという自覚より、自分が見られているという羞恥心の方が強いでしょうから、技術としてハードルをどう越えて行くかという発想をもちません。それに代わって、ふだんは意識していないけれど、その人に備わっている生活感覚、自然観といった、根太いなにものかがそこで手探りされていくように思えます。しかしこの道は、一度や二度は通れるけれど、手探りしないで通れるようになってしまうと、うまくいかないことが多くなるようです」(小栗康平『映画を見る眼』)。寺山修司の演劇の演技はこの指摘を超えない。

 また、演劇は舞台という固定された場所で行われるため、映画と違い、出来事の連鎖によって進んでいくことができない、観客の想像力によって、その制約を補い、展開する。「過去と現在との出会いの偶然性を、想像力によって組織することを、ドラマツルギーとして認識する」としながらも、寺山修司が「私はしばしば、社会面にスキャンダルを提供し、追放の危機にさらされながら活動をつづけなければならなかった」と告げるとき、彼が新しい演劇を提示したのではなかったことが強調されよう。

 寺山修司は、「演劇実験室天井桟敷を拠点として、十年間活動してきた私の『演劇の方法』の集大成」として『迷路と死海─わが演劇─』を一九七六年に刊行している。寺山修司は「想像上の体験と現実の生活とのあいだの相互作用を、そのまま俳優と観客、劇場と市街などの関係に換喩しながら、この論文」を書いている。寺山修司は「劇はもはや因果律によって支配されるべきではない」のであって、天井桟敷の「主目的は、政治を通さない日常の現実原則の革命である」と主張している。

 けれども、因果律の批判は偶然性の優位によって可能になるのではない。ガラスの向こう側に見えるパチンコの玉の動きは予想できないが、それは偶然性が強いからではなく、初期値敏感性を持っているからである。ほんのわずかな違いが大きな差を結果としてもたらす。こういった現象は非線形の認識によって理解できる。寺山修司は「因果律」の束縛、すなわち必然性の解体を目標にして、実験演劇を試みたわけだが、これは背理である。

 確かに、ニューヨークの伝説的な演劇学校ネイバーフッド・プレイ・ハウスのスタンフォード・マイスナーは、一九五〇年代、意識していなかった新たな自己を発見でき、なおかつとにかく役者は他人の目にとまらなければならない理由で、即興の演技を重視している。マイスナーは、ロバート・デュヴァルやマイケル・ダグラス、ジェームズ・カーンといった現在でも活躍している多くの名優を育てているが、それは生き馬の目をぬくような当時のニューヨークの状況から生まれた発想である。

 実験は、通常、因果関係を明確化するために行われる。系を閉じて非日常を構築し、特定の変数に限定することによって、データの妥当性を高める。個別研究には向くものの、導き出された結論を一般化するのが困難な場合もある。非日常は閉じられた系であるため、線形的・平衡的であり、開かれた系の日常に見られるほとんどの現象は非線形・非平衡である。因果律から離れたいのなら、多くの変数を扱う相関的なアプローチ、すなわちシミュレーションをとるべきだろう。

 そもそも実験はある仮説の妥当性を実証するために試されるのであって、実験が成功し、因果関係が立証されたとしても、それが技術的に使えるわけではない。実験の成功と応用の可能性は同一ではない。寺山修司は、彼の「演劇実験室・天井桟敷の軌跡」について「呪術的な媒介作用を通して『社会転覆』をめざした」のであり、「私の演劇は社会自身の埋め合わせとの葛藤のくりかえしだったと言っていいだろう。演劇は社会科学を挑発し、日常の現実へ疑問をさしはさんだ」と述べている。しかし、非日常性への固執は、逆に、抑圧を生み出す。

 平田オリザの『演劇入門』によると、軍隊のように、抑圧の強い空間ほど、新参者は、それまで見につけてきたものを捨て去り、そこでのみ特有なルールの獲得を一方的に強要される。短期間のうちにその習得を可能にするため、特殊な言語が用いられる。逆に、友人関係のように、抑圧の少ない空間であればあるほど、構成する人たちは長い時間をかけ、対話などを通じて、お互いに慣れてきたものをすり合わせ、ルールを共有しようとする。現代社会はおそらく前者であり、プロパガンダとして作られた演劇はそういう性格が強い。こうなってしまうと、演劇は白々しくなる。非線形的な演劇は、今世界中を見回しても、十分に実現されているとは言いがたい。

 寺山修司の主張をそのまま受け取るのではなく、エッセンスを汲み取るべきである。それこそが「政治を通さない日常の現実原則の革命」につながる。「役者がいろんな役をやるのはうまく演技をするのが目的じゃない。その役の人間の性格や心理を深く研究するためだ。医者が患者の容態や病状を見てその病気を判断するのとまったく同じだ」(手塚治虫『七色いんこ』)。

 非線形現象に関する認識の不備は、演劇だけでなく、寺山修司に極めて残念な実践をもたらしている。彼は、『鉛筆のドラキュラ』の「ウォーホル論を複製する試み」において、「アンディ・ウォーホルについて語るには、アンディ・ウォーホルの方法が一番いいのだ、と私は思っていた。必要なことは、ウォーホルのための百科事典などではなく、ウォーホルを日常化し、コカコーラのように毎日飲む、ということなのだ」と言っている。これはウォーホルを論じるには、非常に的を得た姿勢である。

 しかし、「アンディ・ウォーホルについて書いた文章を二三の部分に区切る、一〇人の友人たちに読んで聞かせて『複製』したもの」という方法は先の意図を反映しているとは言えない。「聞き違い、同義反復、同音異義のものまでふくめて、アンディ・ウォーホル論はくりかえされながら、一つの文脈にたどりつく」というウォーホル論では、アンディ・ウォーホルの提起した問題を後退させている。アンディ・ウォーホルの作品はフラクタル性を体現しているのであって、必然性と偶然性の二項対立とは無縁である。寺山修司は、さまざまな場面で、必然性と偶然性を対立させ、偶然性の優位を示す試みを行っている。彼のそうした願いが的を得た理解をしながらも、ときとして、それを作品化する際の障害になってしまう。必然性と偶然性の二項対立からは把握できないカオスなど決定論的非周期性という性質を持つ現象に対する認識の欠落は、彼の一つの限界である。

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