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婆娑羅で何が悪い!?(2013年5月26日)

 「熱血!古典教育・国語教育」について、かつてはブログと並行してメルマガも発刊していました。メルマガは廃刊にしてしまいましたが、そのデータはUSBに残っていました。今後は、そのメルマガとブログとで連携させた記事、メルマガのみに掲載した記事も拾っていきたいと思います。

 第4号より、「おすすめの古典コーナー」として、発行人が好きな古典の内容などを紹介していていました。最初は『徒然草』です。

 発行人が、古文で二番目に好きなのが『徒然草』です(一番好きな作品はかなりマニアックなものであるため、ここではとりあげられるかわかりません(苦笑))。

 『徒然草』は有名すぎて拍子抜けかもしれません。歯切れの良い文体で、文法的にはそれほど苦労なく読めるかもしれませんが、実は内容的になかなか手ごわい作品です。なぜなら、兼好を筆頭に曲者がたくさん登場するからです。しかし、それがおもしろい…。特に、第百五十二段~第百五十四段に登場する日野資朝がヤバい!

 実はこの資朝のヤバさをかなり的確に表現しているのが、バロン吉元のマンガ日本の古典[17]『徒然草』(中央公論社/1996年8月、現在は中公文庫で購入可能)です。バロン氏は「あとがき」で、マンガを描くにあたって「『徒然草』のテーマが明確に絞られてこないし」、「吉田兼好のキャラクターもはっきり浮かんでこない」ので困ったとあります。しかしながら、初めて後醍醐天皇の存在を意識した時に、「『徒然草』はまさに後醍醐天皇とその治世に対する批判ではないか、それですべてが貫かれているのではないか、と思いあたった」そうです。バロン氏の『徒然草』は、揺らぐ時代の価値観と兼好の一貫した「保守的リベラリスト」の視点を見事に描き切った、秀逸な『徒然草』入門書かつ斬新な解釈を施した作品となっています。

 ちなみに資朝は、婆裟羅の帝王・後醍醐天皇の寵臣です。鎌倉末期の価値観の大きな転換の中で、これまでの人間としてあるべき〝型〟からは外れた、怪しいまでの個性の輝きを放った一人なのだと思います。

 この価値の転換ということについては、また次のメルマガで触れてみようかと思います。

 ――『徒然草』しばらく続きそうです。

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 「おすすめの古典コーナー」は前々回からスタートの新コーナーですが、「第百五十二段~第百五十四段に登場する日野資朝がヤバい!」をテーマに、『徒然草』成立当時の思想、兼好が百五十二段以下三段を連続させて資朝三部作(?)を構成している意味とは何か、について考察しています。

 さて、先にこのブログの中でも、私が「ばさら」に興味があることを紹介しました。

 日野資朝は、婆裟羅の帝王・後醍醐天皇の寵臣です。ちなみに私は、後醍醐天皇の恐ろしいまでの倒幕への執念が嫌いではありません。しかしながら、妄執はもちろん仏教では本来固く禁じられているものです。一方で、後醍醐天皇のように、仏教では常識とされているような従来の価値観を覆す人でなければ、倒幕などかなわないと考えられはしないでしょうか。従来の価値観を覆し、ある意味において神仏を恐れなかったというのは、平清盛や織田信長もそうですので、改革者に求められる資質ということでしょう。

 そして、婆娑羅の真骨頂、婆娑羅の代名詞と言うべき人は佐々木道誉です。肖像を見る限りは、本校にいる武道系体育教師みたいな〝おっさん〟なのですが…(確かに本校の〝おっさん〟もバサラです。科学的に実証済みといった健康器具・食品や便利グッツ類(笑)が大好きです。しかしながら、理にかなわないことをうだうだ言っている人間は一喝、一方で、細やかな心遣いのある、私にとってはバサラスピリッツの師です(笑))。

*甲良町にある文化財一覧より「絹本著色佐々木高氏像」(甲良町役場HP「ようこそ 甲良町の文化財へ」より)

 『太平記』の巻二十一には、その道誉の婆娑羅っぷりが記し残されています。

 道誉は、長男・秀綱とその家人たちが起こしたいさかいに自ら乗り込み、妙法院の御所に焼き打ちをかけて対抗します。それは山門(延暦寺)を巻き込んでの抗争となり、幕府は道誉を流刑に処し、上総の山辺郡(やまのべのこうり)に流したのです、…が。

 道誉近江の国分寺迄、若党(わかたう)三百(さんびやく)余騎(よき)、打送(うちおくり)の為にとて前後に相順ふ。其輩(そのともがら)悉(ことごとく)猿(さるの)皮(かは)をうつぼにかけ、猿(さるの)皮(かは)の腰当(こしあて)をして、手毎(てごと)に鴬篭(うぐひすこ)を持(もた)せ、道々に酒肴(さかな)を設(まうけ)て宿々に傾城(けいせい)を弄(もてあそ)ぶ。事の体(てい)尋常(よのつね)の流人(るにん)には替(かは)り、美々敷(びびしく)ぞ見へたりける。是(これ)も只公家(くげ)の成敗(せいばい)を軽忽(きやうこつ)し、山門の鬱陶(うつたう)を嘲弄(てうろう)したる翔(ふるまひ)也(なり)。
(「太平記・国民文庫本・全巻」http://www.j-texts.com/sheet/thkm.htmlより引用)

 道誉を見送りに出て来た若い衆・三百人は皆、猿の皮を靫(うつぼ=矢を盛って腰に背負う用具)に掛け、猿の皮の腰当(こしあて=座る時には尻の下に敷く物)というファッションでキメていたというのです。
 猿――それは、山門(比叡山)を守る日吉神社の神使(しんし)です。
 そして、道々の道楽三昧…。そうです、山門(比叡山)という権威を徹底してあざけったふるまいなのです。

 おっさんやりすぎだろ!?――と思いながらも、何だか痛快さを感じてしまうのは私だけでしょうか。
 たぶん、当時の(というかかなり以前からだと思いますが)山門(比叡山)は相当な権威と権力を持ち、やっかいで手ごわい存在であったと思います(先にあげた平清盛や織田信長も手を焼いた相手の一つですからね…)。

 聞(きか)ずや古より山門の訴訟を負(おひ)たる人は、十年(じふねん)を過(すぎ)ざるに皆其(その)身を滅(ほろぼ)すといひ習(ならは)せり。
(「太平記・国民文庫本・全巻」より引用)

 道誉はこの後、長男・秀綱をはじめとした一族の主要な人物を失うという憂き目に合っています。おそらく、悪魔的なまでに増幅した何らかの権威や権力に抱え込まれた人々による報復措置だったのでしょう。そういう意味では、私は道誉に同情するところがあります。

 明日は本校で野外の行事があります。日差しがきついだろうから帽子が必要というのであわてて先週購入したのですが、前々日になって「生徒にはキャップ帽(野球帽)しか許可してないので先生方もそれでお願いします」という通達。
 私が購入したのはハットなんだよ! いや、生徒だってなぜキャップ帽しかだめなのかよくわからん!!
 ――私は明日、温泉でもらったタオルを頭に巻いて過ごそうと思っています。タオルも必ず持ってくるようにという指示のあった物です。おそらく、苦々しい思いで私を見る方も少なくないでしょうが、そんなことは関係ありません。

 そう、「婆娑羅」は単なる暴れ者、非常識人間ではありません。形骸化した権威や法に対抗する実際的な手段であり、合理性と反骨精神に富んだ個性豊かな人間の呼称だと私は信じています。


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