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自分の言葉で(2014年10月26日)

 生徒の作品等を外部に発信するとき、もちろん教員が指導をします。

 しかしこれが、どこまで教員の手を入れればいいのかいつも悩みます。前任校での学園祭で、私の持っていたクラスや部活動では展示の方法などに口出しはあまりせず、生徒たちの自主性と創意工夫に任せました。すると、見た目がやや雑な印象になります。
 一方で、教員が手を入れたクラスや部活動の展示類は見栄えが良く、外部の方を対象とした人気投票で上位に入るので、なんとなく腑に落ちないでいました。

 夏に、京都・堀川高校で校長をされていた荒瀬克己先生のお話を聞けることができました。その時、“理系の研究などはけっこう大学の先生の手が入っているので、堀川の探究の研究は自力でやっていても賞をとることはめったにない”とおっしゃっていたのが印象に残りました。

 今回も、外部への発信を一つの大きな目的として生徒の研究を指導しました。いくらでも“いいもの”は作れたのかもしれません。しかし、もし生徒が自分の考えではないことを書いたり言わされるようであれば、それは研究ではありません。
 生徒個々の能力や発想の枠でどれだけ頑張れたかということの結果が、最大の研究成果であると私は考えます。したがって、生徒たち自身が自分の言葉で考えて、質問にも答えられるということを絶対に外さないように指導しました。

 探究的な学習というのはあらゆる意味で難しいものであり、一方で、教員の楽しみや学びも大きいものだという思いを新たにした週でした。


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