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さようなら、Facebook…(note書き下ろし)

 記事の題名にもあるとおり、Facebookアカウントを削除いたしました。それにともない、note内でリンクを貼っておいた自身のFacebook投稿記事について、利用解除措置をとっていた数日前より閲覧ができなくなっております。何卒ご了承ください。

 2019年から始めたFacebookを本日削除いたしました。完全削除までにはしばらく時間がかかるみたいですが、いずれにせよ、潮時だったと自分では納得しています。

 6月の中旬にアカウントの削除を決めたものの、いくつかの事情から8月末までは使用を考えていました。ところが、そのFacebookが数日前におかしな動きを見せました。
 ウィルスの侵入か乗っ取り(なりすまし)を思わせるPCのネット上での暴走を目の当たりにして(あまり詳しくはお話できませんが、自分にとってかなり不愉快な現象が起きました)、これはすぐに削除しろという何らかのお告げに違いないと観念しました。

 さらに今日はダメ押しで、noteにリンクを貼ったいくつかの内容をこちらに移行したいと思ったのですが、それらの投稿にたどりつけず、三度目で諦めました。夜にはYouTubeで以下の動画がフィードにあがってきたため、〝わかりました、すぐに消します〟と踏ん切りをつけた次第です…。

 Facebookにより、数知れない新しい出会いと切れていた縁との再会を経験しました。しかしながら、ここ最近は何かが少しずつずれてきているのも感じていました。

 今日はまた、一度も履くことのなかったブランド物の靴をリサイクルショップに出してしまいました。〝一度も履いていないです〟と言ったところ、お店の人は〝え?〟みたいな反応を示していましたが、自分にとってはFacebookを削除したのと同じような気持ちでそれを手放しました。
 その靴は、Facebookを使用するきっかけとなったセミナーで知り合った人つながりで購入した物でした。自分ではない自分に背伸びしてなろうとしていた証なのですね。
 デザインも色も気に入っていたため何年も履かずに持っていたのものの、どう考えても足の痛みや骨の歪みをもたらしかねないのが、靴で長く苦労してきた自分にはわかりました。

 やはり最近、食べる物と身に着ける物に関しては、まずは健康で安全な物、とはいえ自分にとっては嗜好品をゼロにはできないジャンルでもあり、そうであればせめてと、素材や作りがチープでなく丁寧に時間をかけている物を選ぶようにしています。

 本も同様で、基本となる本をじっくり読むようにしたいという考えに変わって来た今、一度本棚の棚が1、2列は空になるくらいの本を今年になって手放しています(衣類や靴、本は、まだまだ片付け中です)。

 人間関係にもきっと、そうした自分自身の価値観の変化が影響を及ぼしているのだと(失礼だは思いつつ…)感じています。しかしながら、FacebookなどのSNSを〝狩場〟として、おそらく金銭目的でウィルスや乗っ取り(なりすまし)を仕込んでいるような連中がいるのはまぎれもない事実です。

 Facebookがおかしな動きをとったその時期に、私のン十一回目の誕生日もありました。病気や怪我、事故無くここまで生きられたことは幸運であるという実感があります。しかし、この先もずっと幸運であるかはわかりません。
 自分がすべきことに集中して生きなければいけない時がやって来たのだと認識しています。その中で、続く縁は続き、切れたかに見えても再びつながる縁はつながるというのは、自らのこれまでの人生が(それこそ、子どもの頃にはなかった新しい発明であるFaceboookを使用したことで)証明してくれています。

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