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ビブリオバトル東京都大会で考えたこと(2019年10月6日)

 今日はビブリオバトル東京都大会でした。ビブリオバトルは皆さんご存じでしょうか。

 現在の職場での授業内での取り組みや新しい作りの図書室といった環境にも恵まれ、3年前から中学生を対象に取り組んできました。現在は、司書の方や国語科の先生方の協力も受けて、ほぼ月1回の小さな競技会、年2回の大会を開催できるまでになりました。そうした地道な努力が実り、勤務校で初の大会出場となる生徒を引率してきました。第一回戦から、勝ち抜いていった高校生たちのプレゼンテーションのレベルが高く、多くの刺激を受けました。

 しかし、考えさせられることもたくさんありました。その少しもやっとした気持ちを明確にしてくれたのが、大会の途中で行われた島田雅彦氏の講演でした。

 ビブリオバトルを初めて観戦したという島田氏は、ハードルの高い本を読ませる気にさせるべきだから、フィギュアスケートのようなポイント制のバトルにしたらどうだということを、講演冒頭で““水を差すようだけど””としながらも述べたのです。おそらく、古典や近代の名作、専門書、翻訳といった本を選んだ場合の基礎点みたいなものがあってもいいのではないかという提案と私はとらえました。

 確かに、私の後ろで観戦していた先生たちが、“漫画原作やドラマ化や映画化した、“それ知ってる”みたいなとっつきやすい作品の紹介が多くて、結局のところ本の内容よりショーみたいな感じにだんだんなっている”といったことを、大会中何度も口にしていました。島田氏が、“フィギュアスケートは、回転数の少ないジャンプをいくつも飛ぶのでは点数が入らず、難易度の高い技術に点が入るようになっている”と述べた内容に重なります。

 講演の中で島田氏は、読書について二つの魅力を述べました。
 一つは、読書は他人の脳を借りてコラボレーションするから営みであり、その際は、タイムトラベルをして古人と対話することすら可能であるということです。
 もう一つは、読書は現実の生活の制約を離れて、いつでも全く別の現実、世界に足を踏み入れる手段であるということです(紙の本を開く動作がどこでもドアの扉を開けるのに似ているというユーモアも交えて……)。
 星空を見つめ続けることで天文学が発達したように、私たち人間は、現実の社会生活とは違う世界に意識を飛ばすことで利口になってきたででしょうーーこれは、人類が他者と知恵を出し合うことで飛躍的な進歩を遂げてきたという、一つ目の読書の効用と同様に、人間を人間たらしめ、次の段階へと押し進めるものであるわけです。

 東京都のビブリオバトルは、英語スピーチコンテストとともに「高校生言葉の祭典」の一つと位置づけられています。

 ビブリオバトルは、知的な活動でありながら、競うという点でスポーツのような要素のあり、中高生の読書意欲を高めるのに有効であると私は思います。だから、時間をかけてでも、私も楽しみながら、学内での普及をはかりました。

 ショー化していると嘆いているばかりでなく、普段から授業や教科の取り組みにおいて、子供たちが言葉や表現を深めていけるような教材選びと教材研究、実践をすることができたらいいなという思いを新たにしています。

 ちなみに、今日の東京都大会のチャンプ本は『青の炎』、準チャンプ本は『星を継ぐもの』でした。特に、準チャンプ本を紹介した生徒は、読書が好きだということでしたが作品の壮大な世界観、そうでありながら全ての始まりである作品第一巻の冒頭部分にどれだけ魅せられているかについて、笑顔で熱く語っていたのが印象に残っています。


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