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気楽に、正直に「今」やりたいことを、やりたいように。

私はブログを大学1年生くらいの頃から始めた。はてなブログで収益化を目標に、雑記ブログを書いていた。

その後、心理的なことや内面のことを書くのに、SEOの対策をして拡散をするよりも「ただ素直に書きたい」と思って、しばらく休んでいた。

ひさびさに覗いたら、そのブログのドメインはまだ有効だったけれど、なかなかに興味深かったんだよね。


その後、わたしはAmebaブログを幾つも作りなおしては転々としたり、またはてなブログを気ままに書いたりしていた。

1〜2年前、noteと出会った。

例のごとく、アカウントをちょいちょいと変えてしまうこともあったけれど、なんとなく消さずにのこしておいたものがあった。


それを今、あらためて書いている。

のこしておいて良かったなと思うし、これまでで一番、今がしっくりきてる。

はてなブログより、Amebaブログより、Seesaaブログよりも、なんだかんだ内面のことを存分にかいて、気楽に広まって見てくれる人たちがいる。

それは、とってもうれしい。


Youtubeも同じことで。

2年前くらいに、「Youtubeやりたい!」とそれだけでユーチューブを始めてみた。幸いにもサークルの広報で、動画の編集ソフトはちょっとだけいじったことがあった。

しかし、やってみるとつまづくことばかり。1個の動画を公開するだけで、おお騒ぎ。

だけども楽しかった。ただカメラの前で座ってしゃべる、それだけにとても心が高鳴って、満足していたように思える。


それでも、明確な発信の理由もなく、なんとなく始めた気もち悪さを感じていた。はっきりとした軸がない。内容が決まってない。

そんなあいまいさから、続ける理由もなくなって、半年ほどしてチャンネルを閉鎖してしまった。

これは消してしまったから、今から思えば「のこしとけばよかったな」と思う。


そいでも今、またYouTubeをはじめてる。

今度は「本の紹介」という軸があって、発信したいことがクリアになってる。やっぱり登録者を増やすことへのこだわりはいまいち感じられないけれど、

大切なものを「自分の心にしっくりくる形で」発信できていると感じる。


だんだん、整ってくる。

最初は、一見意味のないトライのように思えるけれど、あとから見たら、ちゃんとした意義と価値がある。


これまで書いてきたブログのおかげで、段々とよそよそしさが取れたり、「隠すこと」「つくろうこと」ばかりに意識が向かなくなった。

自然に、言葉を発せるようになった。

Youtubeもそう。あの時、いろいろと労力をかけたお陰で、今はずい分と(それでも大変だけど)編集する上では楽になった。

カメラの前で話すことも、多少なりとも慣れたし、「カメラの前で自然に話す」意外と最もむずかしいこれが、少しずつ形になってきたようでうれしい。


全てのことには意味があって、全てのことにはタイミングがある。

そのときには分からなくても、そのあとになって分かることがほとんどだ。


今、やりたければ、今やればいい。

もう、やりたくなければ、しばらくそっとしておけばいい。

また、やりたくなったら、やりたくなくなるまで、充分にたのしんだらいい。


そうしているうちに、気づけばどんどん楽になって、自分に合う形になって、何かができていくのかもしれないね。

気楽に、正直に、やっていこう。


おわり。

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