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キビるクリエイション「私がみたあなたの物語」に参加して、私が考えていたこと

はじめに

こちらのワークショップに参加したときに考えていたことを残しておきます。あくまで、レポートとしての客観的な言葉ではなく、私の主観や感情を書いていくつもりなので、そこだけご理解いただければうれしいです。あと、記憶を辿りながら書いているので、時系列がおかしかったり、内容がすこし異なっていたりするかもしれません(ニュアンスは取り違えていないと思いたい……)死ぬほど長いので、途中飛ばして最後のほうだけ読んでもいいと思います。

参加前、範宙遊泳と私

照れもあり、表立って「範宙遊泳が好き」と言ったことはあまりないのだけれど、ちゃんと言います。範宙遊泳、めちゃめちゃ好きだ。大学入りたてのころ、岸田國士すらよく知らなかった私は、たしかpintarestだったと思うけど、『うまれてないからまだしねない』のフライヤー画像に目にとまった。それはそれは心からときめいた。そのビジュアルもフレーズもいまの私に深く深く刺さっている。(範宙遊泳好きそうだね、と言われることに若干おびえているくらいには刺さっている。)そのフレーズへのときめきそのままに検索し、それが演劇であることを知った。そしてYouTubeで無料公開されていることを知った。それからずっと、ふとした瞬間に再生ボタンを押して何度も何度も見ている。もはや私にとっての範宙遊泳は動画であり、劇場に観に行くとなるとすこし怖い。(いつか絶対行くけど)生で対面したことがないこともあって、私にとって範宙遊泳は「憧れ」とか「カルチャー」とか「センス」とかそんなふわふわしたかけ離れた存在として見えていた。だからこそ、福岡に山本卓卓さん(以降すぐるさん)が来ると知ってびっくりしたし、さらには脚本が書きおろしだなんて! 運営であるAMCFの加茂さんとはもう7年くらいの付き合いだけど、これまでの7年間で1番彼に感謝したかもしれない。(いつもありがとうございます)
もちろん範宙遊泳が好きだからこそ今回のワークショップはとんでもなく貴重だったけれど、その分ワークショップ中の自分はあんまり冷静じゃなかったなーと思う。過剰に感動したり、過剰に評価をしているところもあるかもしれない。私がプラスの感情で取り乱すのはとてもめずらしいから、たまにはいいかな……。

面談

1月頭、ぽんプラザで面談があった。この面談をもとに脚本が書かれるってどういうことだろう、と、着ていく服を1時間くらい悩む程度には緊張していた。私はとても猫かぶりなたちなので、5000匹くらいのねこを背負ってすぐるさんと向き合う。1時間しかないし基本的に自分の話をする場なので、すぐるさん自身がどんな人なのかはあまりわからなかった。ただ、話したことへのリアクションや回答から、言葉を丁寧に選んでくれていることを感じて、クリエイションもきっと大丈夫だと安心することができた。面談自体は、5000匹のねこが4997匹になった程度で、あまり上手に話せた感覚はない。

  • これまで自分がやってきた演劇(市民ミュージカルから大学演劇部、そしてMr.daydreamer)

  • これからどんな役者になりたいか(こうなりたい、はほぼなくて、呼吸をするように演劇をしたい気持ちがある)

  • 演劇1本ではなく、ほかの仕事もやっている理由(演劇業界との距離感をどうとっていくか)

  • 家族のこととか食べものの好き嫌い(私の1番好きなものはがめ煮(筑前煮)で、苦手なのはマヨネーズ)

とかを話した。自分の話だけど、自分でも驚くような話が口から出てきたりもした。だからこそ、「いま話したことがそのまま脚本になったらどうしよう」と思った。考え中のことだったり、悩んでいることだったり、明日には変わっているかもしれない話が脚本になってしまったら、クリエイションの日には「違うんだけどなー」とモヤモヤするかもしれない。そんな小さじ1杯くらいの不安がよぎったとき、すぐるさんが「歌とか歌える?」「コテコテのTHE女優みたいな役どうかな」と言った。いまの面談からそういう役が出てくるんだ!?と衝撃を受けつつ、「なんかいいな」と素直に思った。やれそうな気がしたし、普段とはぜんぜん違う役柄だけど、そういう役がずっとしたかった気もした。「こういう理由でこの役だと思った」みたいな説明はなかったけれど、「この人は私をこう見てくれたんだな~」と無理なく受け入れることができた。

脚本が送られてくる

面談からクリエイションまでは特段なにもなかったけれど、範宙遊泳のdiscordで執筆の様子がほんの少し伺えて、ワクワクしていた。2日前くらいに参加者の人から衣装の質問があり、それにともなって脚本が共有された。脚本は公開されてるのでぜひ読んでみてください。すぐるさんがいままであまり書いたことがない感じと言っているように、たしかにいつもの範宙遊泳よりポップさやコメディっぽさが強く現れているけれど、「思ったのと違う!」とはまったく思わず、大好きな範宙遊泳を感じる言葉たちだな~と感じられて、さらにクリエイションが楽しみになった。脚本の構成でいうと、会話を少なめにして、「一人語り」と「合いの手」を用いているところも、はじめましてのメンバーと限られた時間でクリエイションするというシチュエーションにマッチしているように感じられ、「うまいな~ずるいな~」と思った。ただ、もちろん範宙遊泳の稽古場は知らないので、これを3日間でどう立ち上げるのかはまったく見当がつかなかった。そして問題の「歌」。「これ、自分で作曲とか、即興とかだったらどうしよう……」と一抹の不安を感じつつ、心の準備だけしておいた。(結局そうなることをこのときはまだ知らない)

初日

会場入り

初日の朝は早起きをして、セリフの暗記をした。(別にしなくてもよかったんだけど、個人的にしておきたかっただけ)なみきスクエアは家から遠く、めったに行くこともないので、かなり早めに家から出る。10時半受付開始で、11時スタートなのだから10時半に行けばいいのに、10時になみきスクエアに着く。会場は大練習室なのでとても広く、その中央に四角で机が並べられ、前方にはホワイトボードがあり、THE演劇の顔合わせ用の座席って感じでそれだけで緊張する。こういうシーン、「ドライブ・マイ・カー」で見た気がするぞ。正直会場入りしてからスタートするまでの30分間がその日で1番長く感じられた。参加者のうち、半分以上はすでに知っていて、そのうち数人は別現場でご一緒したもある方だった。あとから知るけど、県外から単身参加した方々もいて、絶対私よりすごく緊張しただろうな、と思う。

自己紹介

フォーマット自由で自己紹介をする。1番最初が私だったので、「私のフォーマットがみんなに影響を与えてしまうやつだ……」と無駄に緊張する。(でも結局そのあともみんな好きに自己紹介してたから安心した。)みんなの緊張が伝わってきたのもあって、普段の稽古での自分よりかなり声のトーンをあげたり、よく笑うように心がけたり、相づちをしたりすることを意識したけれど(3日間ずっと)、それはそれで空回りをしていた気もする。運営として加茂さんがいたし、翌日にはスタッフとしてめいちゃんも来てくれたし、その2人からすると私の振る舞いはものすごく面白く見えていたと思う。こういうところが猫かぶりである。

アイスブレイク

  • イメージボールでキャッチボールをする(最初は普通のゴムボール、それが大きくなったり小さくなったり、重くなったり軽くなったり、最後はどんどん空に飛んでいくボールを飛んでしまわないように受け渡した)

  • ゾンビゲーム(一人がゾンビになり、標的を一人決めて追いかける。標的にされた人は他の人の名前を呼ぶ、呼ばれた人が次のゾンビになる。演劇部でもやった記憶。)

白読み

初回の脚本読みは「感情や役を入れず、棒読みで言葉に向き合って読んでください」とのことだった。確かに脚本読みって無駄に役者の力量はかられる感じがあるし、緊張させてしまうところがあるので「棒読み」と指定してあげるのはいいかもしれない。ただ、棒読みって1番役者としての自意識が滲んでしまう気がして、心がもだもだする。

役のプランニング(昼休み中)

昼休み中に、自分の役をどのように演じるかプランニングするという宿題が出る。事前にぼんやり考えてはいたけれど、宿題になりかつみんなに共有するとなるとあらためてきちんと組み立てるようになる。

役のプランニング共有

昼休み中に考えたプランニングを1人ずつ共有し、自由にコメントをいれながら深めていく。服装や喋り方、動き、生活などなど……。「役者は自分の役のプランニングにおいてプロなので」というコメントに、気持ちが引き締まる思いがした。プロとしてプランニングができている役者って、どれだけいるんだろうな。

個人作業・集団作業・演出との作業

ホワイトボードを使いながら、すぐるさんから創作方法について説明を受ける。
ざっくり・・・
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演劇の創作活動は以下の3つに分けられる。
個人作業:脚本を読解し、解釈する。想像を広げる。セリフを覚える。など
集団作業:個人作業で行ったことを集団に対し開示し、すり合わせる。開示するためには「座組は敵ではなく、全員が味方である」という前提を大切にすることが重要。
演出との作業:演出とのすり合わせ。演出はお客さんにもっとも近い存在として、作品を外から見たときにどんな形になるべきかをジャッジする。
3つの作業はフローとしてではなく、常に行き来しながら行われる。また、3つの作業は同価値であり、どれかが偉いということはない。
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この形は自分が好きな稽古場に近くて、いいな〜と思った。演出が絶対的な権力者になったり、役者が思考しない現場、嫌だもんな。
あと、個人作業も家ではなく稽古場で行う形をとるのはいいな、と思った。脚本を覚える時間も、稽古場でとっているらしい。(セリフを録音してつぶやきながら体メインでやってみたり、トランプをしながらセリフを回したり、など)
そしてこの説明を受けたことで、その後のワークショップにおいて、いまやっている作業がこの3つの中のどこに位置づけられているのか、そして「座組は味方である」ということが強く意識付けられたように思う。

舞台が組まれる

どこかの隙間のタイミングで、すぐるさんが加茂さんと協力しながらテキパキと舞台を配置していった。そのときは本読みしかやっていない状況だったから、あらかじめ決めていたんだなーと思う。配置の調整はあったけれど、方向性はこのときから大きく変わらなかった。今回は時間が限られていたというのあるけれど、普段は舞台の配置とか美術とかどういう流れで決めていっているんだろう。

1回やってみる

組んでもらった舞台で、シーンの頭から順にやっていく。良い意味で、今回のワークショップではこういった「練習」自体の記憶は薄い。個人作業での思考や、集団作業でのコミュニケーション、すぐるさんの創作に対する考え方の共有のほうがメイントピックであり、それがあればシーン自体はあっという間に出来上がる。あと、脚本が描きおろしだったというのも大きいと思う。観客として見ていた加茂さんが「これ皆さん事前稽古とかしてないですよね?」と言うくらいには初回の時点で仕上がっていたみたいだった。(もちろん役者側はこの時点で自信はないけど)私も即興で歌って踊ってみた結果、「そのまま即興で」ということになった。(ひー)

初日終了後

衣装は持ち寄りで準備をすることになったので、みんなでその打ち合わせを少しする。解散後も参加者の方数名とおしゃべりができ、プライベートの姿も知って心の距離が近づく。「初日はあんまりシーンやってないし、2日目はガツガツ稽古つけるのかなあ」と話したりもする。

2日目

会場入り

昨晩は疲れのせいもあってか体が動かなかったので、朝に少しだけ家で自主練をする。ラ・ラ・ランドの歌唱パートを見て、それっぽい節回しでテキトーに作曲し、それにあわせて踊ってみる。クオリティはひどいだろうけど、役のプランニング通り「ミュージカルに憧れて家で1人で歌い踊っている」状況にすこしクスッとする。楽しい。1日目同様に家を早めに出て、会場に入ってアップをしていたら、「おはようございます~」とめいちゃんが入ってきた。まさかめいちゃんが来るとは思っていなかったのでとてもびっくりする。うれしい。めいちゃんと話しているときの体のリラックス度合いがワークショップ中とはぜんぜん違って、どれだけ自分が人見知りなのかをあらためて実感する。参加者の人たちが続々と集まってきて、持ってきた衣装の貸し借りをする。他の人の衣装として使えそうなものをたくさん準備してくれる人が多くて、優しいな、素敵だな、と思う。

アップ

  • もっともかんたんなワーク(例えば、体が不自由な方とのワークショップで実施できる)として紹介された、目をつぶってストップウォッチで10秒はかって1番近い人が勝ちというゲームをする。2回やって2回とも良い結果が出せて、自分でも意外だった。10秒数えるときに、ストップウォッチの「画面」をイメージしている自分がいることに気づいて、やっぱり自分は「視覚」が強いタイプなんだろうなあ、とふと思う。

  • 昨日に引き続きゾンビゲーム。「名前を呼ぶ」という行為ははじめましての関係性においてかなり重要だな、と思う。

脚本の深読み、誤読

脚本の中にどんな問いがあるか、どんな解釈ができるか、ということを深読みしていく。それはある意味作者が意図していなかった“誤読”かもしれないけれど、演劇は集団創作であるからそれも「誤り」ではない。個人活動としてじっくり自分で考えてみたあとに、数名のグループを作って話し合う。そしてグループごとに発表し、全体で共有する。これはMr.daydreamerの稽古場でもよくやってるな、と思う。(これだけで稽古1日使ったりもする)みんなからいろんな解釈が出てきて楽しい。この時間の価値は、出てきた解釈そのものにももちろんあるけど、考えたり話したりしたその時間そのものにもあると思う。

練習

自分でも驚愕してるけど、ほんとに作品自体の稽古の記憶が欠落している!でも、それぞれの参加者の人たちのお芝居が魅力的だな~と思いながら、(自分も舞台に立ってるくせに)けっこうまじまじと見ていたことだけは覚えている。脚本が圧倒的におもしろいし、その役者さんの体のためにこしらえられたセリフだから、まるで音色の違う楽器を奏でているような稽古。

2日目終了後

めいちゃんが照明の仕込み、けーもさん(加茂さんのこと)が小道具(人類滅亡ボタン)の作成のために会場に残っていて、私は2人としゃべりたくてダラダラと居残りをする。ひさびさにこの3人で時間を過ごした。普段はあんまり意識しないけど、九大演劇部での経験は、本当に自分の糧になっているし、自分にとってこの2人の存在は福岡で演劇を続けていくために心の支えになっているんだな、とあらためて実感する。

3日目

会場入り

けっこう疲れていて、しかも家を出たあとに忘れ物に気づいて買いに行ったりして、会場入りの時間がちょっと遅めになる。ショーイングの本番日でもあり、緊張もあるけれど、昨日すぐるさんが「もう仕上がってきてるから大丈夫」と言っていたこともあり安心感のほうが強い。はじめて出る作品・団体のときって、お客さんの顔をまだ見たことがないから、どうしても演出の顔を伺いがちになる。演出がどういう表情を見せるのかって大事だよなと、あらためて思う。

過去の現場で人間関係がうまくいかなかったこと

正しい言葉やそこにいたった流れの記憶はちょっと曖昧だけど、たしか「過去の現場で人間関係がうまくいかなかったこと」というテーマで参加者全員で話をする。それはすぐるさんが、「演劇の9割が人間関係」であり、「人が不幸になったりい辛い気持ちになる作品の価値はゼロ」というスタンスで創作を行っているからだ。演出の仕事は、座組をデザインし、良い現場をつくることも含まれていて、現場の良さと作品の良さはイコールで結ばれるべきだ、とも言っていた。活字で書くとけっこう強い言葉に見えるけど、すぐるさんの雰囲気がやわらかいから、字面の印象よりは優しく伝わってくる。この優しい語り口もきっと座組のデザインの仕事に含まれているだろう。そしてきっとすぐるさんは、自分が人を傷つけうる存在だということにとても自覚的な人なんだろうと思う。
何人かが「過去の現場で人間関係がうまくいかなかったこと」について話をしてくれて、その経験のしんどさがしんしんと心にしみる。私は話さなかった。しんどいことも多かったけど、うまくいかないことはそこまでなくて、無理矢理にでもうまくいかせてきた気がする。そしてその行いの中で、私はきっと他者を傷つけただろうな、と思ってしまった。あと、自分についている傷は、まだ言葉にできる状態ではなくて、生のまま横たわっているように思う。

褒め出し

参加者10名に対し、1人3つずつ褒めていく。個人活動としてみんなの褒めポイントをじっくり考え、1人に対し30分ずつくらい使いながらみんなで褒め出しをする。しいて言えばだけど、今回のワークショップの中で、1番腑に落ちなかった時間はここだったかもしれない。すぐるさんがこの時間のことを何度か「思い出」と呼んでいたけれど、それはこの場があくまで「ワークショップ」であると線引きをされているようで寂しかった。(いや、もちろんワークショップ以外の何物でもないんですが……)あと、私の性質はどちらかというとストイック寄りであり、かつ、人見知りがゆえにまだ心を開ききれていない時に褒められても、嬉しいというより申し訳ない気持ちになってしまうということもある。でも、役者という存在は常に“ダメ出し”に晒され、自信を失っている人も多いはずで、だからこそこの褒め出しは役者としての適切な自己評価・客観視につながる時間になるだろうなと思った。(ダメ出しはまじで滅ぼすべき言葉、あくまで“フィードバック”です)また、今回のワークショップの性質上、どうしても参加者はすぐるさんの視線に意識が向いてしまうだろうから、参加者同士のまなざしに気づく時間という意味でも意味はあったように思う。腑に落ちなかったこともあり、自分が褒められることにはあまり興味が出なかったものの、その代わりに、それぞれの人がどんな視点で相手を褒めているかということをじっくり聞くことで楽しんだ。
あと、自分が褒めてもらったときに「笑顔」や「笑い声」によく触れられていたことは印象深かった。私はついついツンとして近寄りがたい雰囲気を出してしまいがちだけど、その分ちゃんとたくさん笑わないとな、とあらためて思った。そして私の「褒め出し」はどうだったんだろう。ちゃんとその人に寄り添って褒めたつもりだけれど、まだまだ他者をわかっていないかもな……と自分を省みた。

直前練習

2回くらい通したかな?(これもまた記憶が曖昧)役としてよく絡んだのは、後段の平台にいた私含めて4人のグループなんだけれど、みんな真面目でストイック。ちょっと似ている人たちで組み合わせてあるのかな?と深読みしたりする。稽古を終え、楽屋に移動する前も、気合い入れみたいなことはせず、とてもナチュラルに進んでいく。そういう現場のほうが落ち着く。

ショーイング

本番直前の楽屋にすぐるさんがやってきて、投げキッスだけして去っていく。それだけでうれしくてニヤつく参加者たち。(おそらく私が一番ニヤついていただろう)つくづくすぐるさんの手のひらで転がされている。
ショーイング自体は、どうだったんだろうな……?アンケートも読んでないから実際のところはわからないけど、舞台に立っている側としては、舞台上の温度と客席の温度の違いにけっこうびっくりした。いつの間にか舞台上の参加者10人で別の文化圏が形成されていて、客席はそれをめずらしいものとしてまじまじと見つめている、ように感じた。もっと簡単にいうと、舞台上の人間たちはこれ以上ないくらい楽しんでるけど、客席はめっちゃひんやりとしてた。それは初日の私たち参加者みたいに、「あの範宙遊泳の作品って……?」とお客さんが身構えているからなのかなんなのか。でも、ふと、「シュール」ってこういうこと?とも思ったりした。舞台上は私たち以外は誰も知らない共通言語に満ちていて、お客さんは透明な壁からおそるおそる覗いている。その目は、私が範宙遊泳の作品を見つめいているときの瞳にも似ているのかもしれない。
あーーーー、このワークショップも楽しいけれど、叶うならば範宙遊泳の本公演の舞台に立ってみたいな、でもきっと客席からもすっごく観たくなっちゃうな、そんなことを考えながら歌って踊って言葉を発した。

ショーイング終了後

ショーイングも無事に終了し、和やかにワークショップも終了。(書いていいのかわからないけど)ワークショップが終わったあとのすぐるさんが、まるで別人のようでびっくりした。疲れているのかな?(そりゃ疲れるだろう)と思ったけど、「スイッチOFF」の状態とのことだった。いままで出会った演出家って、四六時中作品のこと考えて、怖いくらいに裏表がない人が多かったけど、ここまで「仕事」とか「役割」として演出をやるのもアリなのか!!と勝手に衝撃を受けた。私は自分が演出をやることにすごく怯えがあって、いつも逃げ腰でやってしまっていたけれど、これくらい役割として背負って、きちんと仕事の責任を果たすと思えば、自分でもがんばれるような気がした。

その後すぐるさんや皆さんとお話させてもらう時間があって、最終的に私は泣き始める。みんながいるときはまだ我慢していたけれど、みんなとバイバイしたあと地下鉄でぼろぼろ泣き、地下鉄を降りた帰り道で普通に号泣する。いや、怖いわ、感情が重すぎる。号泣したときに1番考えていたのは、「悔しい」だった気がする。この文章を書いている今はその悔しさをちゃんと前向きに処理できているけれど、そのときはなんだか死ぬほど悔しかった。いままで「別世界だから」と遠ざけてたものが、このワークショップのおかげで自分の体にぐっと近づいて、でもやっぱり引かれた線や遥かな距離はあって、いまの自分は確実にそこにはたどり着いていなくて、だからこそ悔しくて悔しくて仕方なかった。こんなにちゃんと悔しいと思ったのはひさしぶりかもしれない。

こうやって涙にいたったのは、たくさんの素敵な言葉をもらったからで、それらはメモにとって残してあるけれど、ひとつだけここに書いておく。
「結果って、幸せだったかどうかでしょ」
創作をしていると、ついつい不幸や苦しみを美徳にしてしまうことがあるけれど、「幸せ?」って自分にちゃんと訊いてあげなきゃな、と思う。それは別に楽をしたり逃げたりすることではなくて、盲目的になっている自分を解放してあげる営みであるはずだから。

1週間たってみて

この1週間、ふと「これすぐるさんだったらどうするかな」と考えるシーンがあってけっこうびっくりしている。というのも、いままでの私には「ロールモデル」なる存在が一切いなかったからだ。いろいろあった高校3年のときから、私は私に閉じ込められていて、どこにも行けない(行かない)気持ちがずっとあったし、その気持ちはコロナのころから悪化していたけど、ひさびさに「未来」とか「キャリア」とか「歳をとる」とか、そういう前向きの矢印が自分からぴょこっと生えてきた気がする。もちろん私とすぐるさんは別人だし、この限られた期間かつワークショップ講師と参加者という関係性でしかない以上、すぐるさんの何を知っているというわけでもないから、「これすぐるさんだったらどうするかな」という想像はきっと的はずれだろうし、さらには想像した行動と違う行動をとることも多い。だけど、その一つ一つの私の行動がただの行動ではなく「なりたい私」に向かう足取りに思えるようになった。
そう思えるようになったのは、きっと、別世界の存在だと思っていた範宙遊泳の稽古場が、所属しているMr.daydreamerの稽古場にすこし似ているように感じたからだと思う。(あくまで私の感覚です!おこがましいことを言っている自覚はある。そしてもちろん似ていると同時にぜんぜん違うところもある。)私はいろんなしがらみに揉まれながらいまのキャリアに流れ着いたように思っていたけれど、実はそうではなくて、私は私が好きなものに自分の力で辿り着いて、いまの場所にいるんだよ、と素敵なタネ明かしをされたような気がした。いまの場所と、憧れの存在は、もしかすると地続きなのかもしれない。でも、だからこそ、Mr.daydreamerが置かれている状況と、範宙遊泳やそのほかにも活躍している劇団との違いにものすごく悔しさを覚えるし、何が違うんだろう?私は何をしたらいいんだろう?と考えるようになった。すぐるさんが「演劇は人間関係が9割」と言っていたように、1人で空回るのではなく、縁やめぐり合わせを大切にしながら、残りの1割を私なりに磨いていかなきゃな、と思った。(そういえば、すぐるさんは残りの1割を何と思ってるんだろうな。)そして、縁やめぐり合わせを大切にするために、私は私を開いていく必要があるな、と思った。役者として私がどんな人間であるかを伝えるべきだし、作り手であるからには私は作品によって他者と出会いたい。だからこそ、その1歩としてこの文章を書いたし、私はもっと私を(私自身を/私の作品を)表出しなければいけない。そうして表出したものたちが、いつか誰かの助けになったり、幸せにつながったりしたらいいな、と思う。

本当に素敵なワークショップでした!

キビるフェス運営の方々と、山本卓卓さんに心からの感謝を。
そしてワークショップ参加者の皆さまとのご縁も大切にしていきたいです。


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