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「災難にあうときには災難にあうのがよい」良寛の言葉に学ぶ「人の生き方」③


「災難にあうときには災難にあうのがよい。 死ぬときには死ぬのがよい。これはこれで災難をのがれるいい方法だ」(筆者意訳)(良寛 江戸時代の曹洞宗の僧侶)

災難に遭う不安、死ぬ不安など、私たちは、現実にそうなってもいないのに、自分の心の中に、自分で「大きな不安」を育てる。

そして、「自分が育てた不安」に「自分」が振り回されて、不自由な、消極的な、自分でも不本意な生き方をしてしまう。

そのような、自分が心の中に勝手に作り上げた不安に振り回されず、日々を自由に生きていくには、「不安を育てること」をやめることだ。

「災難にあうときには災難にあうのがよい。 死ぬときには死ぬのがよい。これはこれで災難をのがれるいい方法だ」という良寛の言葉は、強烈な逆説(パラドクス)である。

そうなったときは、そうなったときで、自分に起こった現実に、できる対処をすることしかできない。

災難が現実になれば、それは、自分にとって、「具体的な現実」として目の前に現われる。だから、それに対して「具体的な対処」を考えることができる。また、具体的にできることしかできない。

災難にあうときには、逃れようがないのだから、あえばあったで諦めて、現実的に対処するしかない。

だから、災難にあってもいないのに、自分が作り上げた「心の中の不安」に振り回されたり、押しつぶされないほうがいい。

今の自分の手元にある「自分の自由」を満喫して、自分が生きたいように、よく生きることだ。


私は、良寛のこの言葉を、自分の人生を何ものにも振り回されることなく、楽観的に生き抜くため、とても大事な、力強い「ものの見方」であるというように捉えている。


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