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ネビル・シュート『渚にて』と終末の美学

小説を書くのは体力も気力もどっちもいるもの。

5月に歯医者でとんでもない目にあって(某日記参照のこと)ただでさえヘロヘロだったところに、会社とバトルする羽目になったりもして、もう気力も体力もずっとレッドゲージなのです。

あまりにも生産的な行動ができないので、リハビリがわりに読書録をはじめたわけです。気分落ちまくりだから、日記の方は湿っぽくなりがちだし。

で、ツイッターでディキンソンさんディキンソンさん言ってたわけですが、多分本棚に入りきらず整理がおいついていない引越し荷物に眠っているらしく、詩集が出てこない。

ので、すぐに出てきて季節ネタっぽい本をご紹介します。

『渚にて』。原題は『On the Beach』ですので、ほとんど直訳ですね。

海辺の街を舞台にした大変にエモい小説となっています。


登場人物全員死ぬけどな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


いきなりネタバレするなよって言われそうですが、もう文庫本の表紙に堂々と副題として『人類最後の日』と書いてあるので私は悪くないと思います。

このお話は、ジャンル的には終末SFなのですが、作者のネビル・シュートはどちらかというと冒険小説家の扱いだそうで、ガチガチのSF作家さんではないのですね。書かれた時代も結構古く、1957年。そういうこともあって、SF的な科学考証についてははっきり言えば雑です。当時は判明していなかったことも多かったでしょうし、何せ文中に出てくるのがタイプライターとかの時代なので、これはもう仕方がないですね。

エリスンの『世界の中心で愛を叫んだけもの』ですら、原書1969年ですからねー。ちなみにハインラインの『夏への扉』が1956年の発表で、同年代のようです。

だけど、潜水艦に届く信号とか、その信号の発信源の真相とか、そのあたりはリアルです。ネビル・シュートは作家であると同時に航空技術者で、兵器開発にも関わっていたことがあるそうで、なるほど……となります。

ところで、この『渚にて』は「終末の美学を感じる作風ならこれは読んでおいた方がいい」と紹介されたものでした。

いやはや、これは本当に美学の産物なんですよ。

簡単にあらすじを申し上げます。

核戦争でオーストラリア以外全部滅亡して、オーストラリアも滅亡秒読みになりました。

という話です。

世界的な核戦争で、北半球がまず壊滅し、ゆっくりと汚染が南半球に広がっていく。逃げ場所のない、避けられない死を前にして、すでに人々は平静さを取り戻していて、淡々と終わりへの日々を過ごしていく。

わー、エモい!

そんな中、北半球から逃げ延びてきた米軍の潜水艦がやってくるわけです。

その潜水艦の人々と、街に住んでいる人々が過ごす終焉に向かう日々が、ゆっくりと、穏やかに、美しく書かれているのがこの小説。

話の中心になるのが、子供が生まれたばかりの若夫婦と、その夫婦の友人であるこの作品の正ヒロインであるモイラさん、潜水艦スコーピオン号の艦長であるドワイトさんである。

モイラさんは派手なファッションで改造した車を乗り回すような、いかにも遊んでいる風な女性なわけですが、とんでもないのである。

このモイラさん、実はめちゃくちゃ愛が深い、尽くす人なのである。まさにヒロイン。圧倒的ヒロイン。

ドワイト艦長は郷里であるアメリカのコネチカット州に、妻子がいる。

妻子がいると言っても、北半球は以下略なので99.99999999%くらいの確率でお亡くなりあそばれているわけだが、ドワイトさんもだいぶ愛の深い人で、子供が欲しがっていた玩具をおみやげに持って帰りたい、というのである。

どう考えてもお亡くなりあそばれているお子様のことであるし、もうこのオーストラリアの田舎町にも未来はない。そうなったら「故郷のことなんて忘れて私と最後の恋をしましょ!」とかなりそうであるが、このモイラさん、見た目のハデさに反してガチガチに純愛を貫くのである。

何がすごいって、モイラさん、絶対にドワイトさんの妻子を下げないんですよ。彼の子供のために玩具を手配してあげるし、私のことを奥さんに話してください、隠すようなことは何もありませんので、と伝えて「いつかコネチカットで」とまた会うみたいなことをいって別れるんですよ……。

しかも、一人になった後、彼がもしコネチカットにつれていってくれたら、自分があげた玩具で彼の子が遊ぶのを見られるかも、とか空想するんですよ。

本当、この二人の間には明らかなほどに溢れる想いがあるのに、モイラは最後まで「友人として貴方の家族に会いに行きたい」というスタンスを取るし、ドワイトは海軍の規約と故郷の妻子への想いを貫くんですよ……。

正直、モイラさんのキャラがあまりにも強すぎて、最初は主人公ぽく登場した夫妻は途中からほとんどモブでした……。(実際、この話の主人公が誰かと聞かれたら、多分ドワイトとモイラだと思う……)

この『渚にて』ですが、脇のキャラもなかなかいい味をだしていまして、人生の終わりを目の当たりにして『どうすれば後悔せずに死ぬことができるか』というのが一つのテーマとなっています。メインテーマは『核の恐怖と滅びの虚しさ』であると思うのですが、それで終わらせるにはあまりにも人間が生きすぎている。

人間は死ぬ時までは生きている。

通常、終末SFというと、戦争や災害などに抗おうともがく人々、戦う人々の描写がされるのが常だと思いますが、この『渚にて』という作品は『滅びの日常』なのです。

どうやって滅びを受け入れるか、という話なのです。

もう死ぬしかな状態なので、街では安楽死用のお薬を配布している。

それくらいの『滅びの日常』です。生きていく物語ではなく、死んでいく物語。それなのに、この作品の中では、自分で選び取る死の瞬間までは、人間は生きているわけです。

死の受け止め方はそれぞれで、放射能汚染の海で釣りをしたり、あるいは死ぬ前にハメを外してカーレースに参加してみたり、本当、死ぬ前の思い残すことのないやり方が人それぞれで面白い。

実はクレイジーレーサーだった科学者のオズボーンさんも、なかなかキャラが立っています。オズボーンさんかなりいいキャラですので、ぜひ読んで。

もうだいぶネタバレ気味に書いてしまいましたが、ドワイトとモイラのピュアすぎるラブに、アメリカから来る信号の謎に、オズボーンさんのカーレースに、色々もりだくさんなのでぜひ本の方を読んでいただければと。

ラストシーンのモイラさんの台詞を読んだ後、やるせなさと美しさに1時間くらい倒れ伏していた私からのお願いだ。


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