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ルフオノイアの人々 3/3

0:楽園のシーツ・チルドレン

 大陸の端に、寂れた街があった。

 昔の塹壕と川が繋がって水路となっており、縦横に街中を走る為、農地化も難しい。

 廃墟同然の家々は公然の子捨て場所となっており、近隣からの孤児が多く住みついていた。

「俺ら、シーツ・チルドレンて言うんだってよ。金無くてシーツを服にしてるから」

 キイルリが言うと、シュロが笑った。

 共に十五歳。二人でこの街の孤児を束ねている。

「金が欲しいな。俺、ここを孤児の楽園にしてえんだよ」

「水路で、舟遊びでも商う?」

「俺達の唯一の娯楽は歌だ。舟と組み合わせて、商売出来ねえかな」

「歌と水の楽園か。いいね」


 客は水路を舟で下り、孤児達は岸に並んで歌う。そんな事業が始まった。

 歌う者はシュロの下 練習を重ね、舟遊びの順路はキイルリが徹底的に整備した。

 お披露目には孤児支援家を西の都から呼んた。

 陽光溢れる船上で聴く歌の評判は上々。たちまち、都からの客が増えた。

 小金が貯まると馬車を揃え、都への送迎を整えた。

 茶や酒、蝋燭を仕入れて設けた、夜の幻想的な賛美歌会も当たった。

 濡れると爆発する水火薬を仕入れ、水路の拡張も行った。

 街は、みるみる充実して行った。

 商売ごとになど慣れない子供達は、キイルリに叱られ、シュロに泣きつきながら、不器用ながらも必死に働き回って笑い合う。

 街は、彼らの無二の居場所となって行った。


 ある日街に、貴族院からの依頼状が届いた。

 護衛兵団の慰安の為に、一晩貸切で歌って欲しいという。

 指定の日は三日 後。

 生憎シュロは買付で都へ出ており、七日は帰らない。

 キイルリはその夜、孤児を集めた。

 その時にはもう、貴族院の本意を察して全員が覚悟を決めていた。


 当日の日暮れ、三十人程の兵士が分乗した舟が幾艘も漕ぎ出た。

 水位がやや、普段より低い。

 孤児らが歌い出して間もなく、同船していたキイルリに兵団長が言った。

「悪くない。設備も歌手も一新して、貴族院がここを管理する」

 船上の兵達が、携帯ボウガンを手に一斉に立ち上がった。

 キイルリは岸へ飛び移り、

「金の匂いがすりゃ、お前らってそうだよ。ここは死ぬまで俺達の街だ。故郷になっちまってるからな」

 そう言って口笛を高く鳴らす。

 それを合図に上流の水門が開き、大量の水が唸りを上げて水路に押 し寄せた。

 貴族院に目をつけられた時、この街の命運は決まった。

 つまらぬ孤児など、貴族院は当然に皆殺し。それが大陸の不文律だった。

 生きる為には逃げるしかない。

 なのに、殲滅を覚悟で戦う。

 何の為に。

 孤児達が、両岸から投網を放って船上の兵に被せた。

「そこら中で、死屍累々をやって来た報いを!」

 兵達は、次々と溺れた。

 岸に這い上がろうとする兵は子供達が棒で突き落とし、水路は悲鳴と怒号で地獄絵図と化す。

「手も足も出せないのは悔しいだろ、悲しいだろ、俺達だって!」

 そう叫んだキイルリの耳が、不可解な音を拾った。

 それは大勢の、大人の足音。

「我らの別動隊だ」

 声に振り向くと、水から這い上がった兵団長が、ずぶ濡れで立っていた。

 駆け付けた部隊が次々にボウガンを放つ。

 今度は、孤児達が一方的に討ち果たされて行く番だった。

 キイルリが駆け出す。

「首謀者だ、捕えろ!」

 あらかた子供を殺し終えた兵達が、キイルリへ殺到して行く。

 キイルリは裏街道の大倉庫へ逃げ込んだ。

 兵団長を先頭に、二十人近くが続いて飛び込む。

 暗い倉庫の中で、少年が叫んだ。

「俺達はきっとやれたぞ。お前らには、楽園が見えるか!」

 そう言うが早いか、夜目を利かせたキイルリは右手を兵団長の口に突っ込む。

 そして、握り込んでいた、水火薬のサンプルが入った薬包紙を指先で開いた。

 唾液に反応した水火薬が、兵団長の頭部とキイルリの腕を爆破する。

「この俺達の街で負けはしない! シュロ、俺達は負けない! 」

 既に口を開かせていた水火薬の大袋の中に二人の血がかかると、凄まじい音と熱が、倉庫を爆砕した。


 孤児の大半は兵団と入れ替わりに馬車で逃げており、彼らは西の都でシュロと合流して事の顛末を伝えた。

「キイルリは確か、以前二度程、貴族院による町ごとの掃討を受けた。残った他の子供達も似たようなものだ。無理矢理踏みにじられるのは、もう許せなかったんだろう」

 シュロがそう言っても、逃走組は皆泣きながら逃げた自分達を責めた。

「泣くなよ。キイルリ達と君達と、どっちかが間違いなんてことは、ないんだから……」

 彼らの頭を撫でながら、シュロもむせぶ。


 西の都では、景観維持の為にシーツを屋外に干すことは出来ない。

 だがその時偶然、傍の安宿の二階で 、女将がシーツをはたいているのが見えた。

 青空に翻る布が、跳ねっ返りの少年を思い出させる。


 また遠くなってしまったけど、それでも目指す未来は、楽園だろう。

 だからまだ、ずっと一緒さ、とシュロは思った。


8.舌が半分の少年

 舌が半分しかないその少年の名前を、私は今でも知らない。

 出会ったのは、私が十四歳の時。彼も同い年だった。

 一大革命を成しえた直後の首都の街道で、私達は邂逅した。

 革命団員だった彼は、得意そうに革命旗を振り回していた。

 どうして舌が欠けているのかと尋ねると、彼は独特の滑舌で、

「度胸試しに、自分で噛み切ったのさ。舌が丸まる前にスプーンで押さえれば、窒息死はしない」

と得意げに言った。そして、どうして私には右目がないのかと聞いて来た。

「子供の頃に、眼病でなくしたの」

「下層市民は、医者にもかかれなかったからな。でもこれからは違う。仲間もたくさんいる。何もかも良くなるのさ」

 私は彼に、言わなかった。舌を噛み切るなどという度胸試しはないし、舌を噛んだ直後の人間がスプーンで的確に舌を抑えるなど、できるはずがないことも。

 政府軍の兵隊が、面白半分に下層市民の子供を痛めつける光景は、珍しいものではなかった。彼の舌も、恐らくは兵士に押さえつけられて、無理矢理に切られたのだ。けれど、それを指摘しても意味はない。

 彼がもう少し私の眼窩をよく見れば、目の傷は新しい外傷だと気づいただろう。

 革命団と政府軍の小競り合いで、クロスボウの流れ矢が私の右目を貫いたのは今年のことだった。矢羽には政府軍ではなく、革命団の印がついていた。けれどそのことも、私は彼に言わなかった。

 彼は、優しい目で私を見ていた。その瞳の奥には、無限の空が広がっていた。それを、私のせいで曇らせたくはなかった。

 ただ、とにかく彼が眩しかった。


 旧政府の役人が追い払われた後の街には、政治の経験者も、その才覚がある人物も残っていなかった。

 革命団の中枢人物達は、あまりにも早い首都の荒廃を目にして、旧政府の高官に次ぐ早さで街から脱出していた。

 動乱の中で孤児になって後、街をさ迷っていた私は右目がないことで面白がられ、ある好事家の養女となった。

 彼と再会したのは、そんな頃だった。

 義父のお使いでパイプとアブサンを買いに出た私は、恐ろしく痩せこけた彼をベーカリの軒下で見つけた。

「やあ、君か、……よく覚えてるよ。違う、片目がないからじゃない、……」

 私は、小さく悲鳴を上げた。彼に、左腕がなかったからだ。

「舌が半分ないくらいじゃ、だめなんだ……誰も憐れんでくれない。見ろよ、腕がないと、こんなにお恵みがもらえるんだぜ」

 彼は、ひん曲がった銅貨ばかりが数枚入った布袋を見せると、よたよたと路地裏に消えて行った。


 街はなおも荒れて行き、危険だからと私は外出を禁じられ、翌月になってようやくあの路地の奥を見に行った。

 今会わなければ、取り返しのつかないことになるような気がした。

 けれどそこにはただ、いくつもの壊れた木靴が転がっているだけだった。

 木靴にはどれも、人の名前らしきものが彫ってあった。


 不摂生がたたり、義父はその後数年して他界した。いくばくかの遺産を渡されて、私は小さな花屋を開いた。

 街はようやく落ち着き、新しく貧富の差が構成され始めた。

 家のある者は路上生活者に施すことが美徳とされ、私の店も繁盛したので、よくパンや小銭を浮浪者に与えた。

 その日も私は、ソーダ水を施そうと浮浪者の群れの前に膝まづいた。

 最前にいるのは、ぼろぼろの毛布を体に巻いた、けれど両腕と片足がないことの明らかな男だった。ぼさぼさの髪から覗くその顔には、両目もない。これほどの状態の浮浪者は、初めて見た。

「ソーダ水です。どうぞ」

 そう声をかけると、浮浪者は少し体を震わせた。しかし瓶を咥えようとはしない。

 耳も悪いのだろうかと、私は浮浪者に耳打ちするような距離で告げた。

「私も片目がないんですよ。両目では大変でしょう。口を開けて下さい、飲ませてあげますから」

 けれど男は、口を開こうとしない。

 女から施されることに、屈辱を感じるタイプなのかも知れない。

 私は瓶を男の足元に置き、

「よかったら、誰かに飲ませてもらって下さい」

 ともう一度囁いて、その場を離れた。

 そして十数歩も進んだ時、ようやく、なぜ彼が口を開けなかったのか、ひとつの可能性に気づく。

 振り向いた瞬間、目の前の街道を馬車の群れが駆け抜けた。

 それが通り過ぎると、既にあの浮浪者の姿はなく、ソーダの瓶だけが土煙の中に佇んでいた。


 私達の時代は後世に、どれだけ愚かしさを嗤われるのだろう。

 愚かしいほどの懸命さは、どこまで伝わるものだろう。

 愚者の屈辱と誇りは、誰が汲んでくれるのだろう。

 馬車は走り去って行く。

 街道には、怒号交じりの喧騒が行き交う。

 家々の屋根を猫が渡って行く。

 その空を、鳥が舞う。

 更に見上げた先には、太陽。


 私の片目に映るのは、誰かが求めた、無限の空。

「ルフオノイアの人々」終

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