見出し画像

雑記 「末っ子だから」は不思議だなあ、の話

 現在の勤め先に、三十歳を超えた一人の男性がいる。
 彼の口癖が「嫌です」で、よく上司からの指示を断わっている。
 まあ、あまり見ていて気持ちのいい光景ではない。

 そんなに大層な指示をされているわけでもなく、「使った紙コップを片づけなさい」とか、「そこのポスターがはがれかけているから直してください」とか、「雨が降りこむから窓を閉めましょう」とか、その程度の内容でも「嫌です」と言って、笑って歩き去ってしまう。

 仕事の成績はおおむね悪く、首になるほどではないものの、作成する書類の不備が多くて事務職が困っている。
 課の違う私にまで、苦悩の声が聞こえてくる。
 人から挨拶されてもそちらを向かないし、パソコンの画面を眺めたまま「ああっす」とうめくだけだという。

 周りの人間は、まあ彼の親でも上司でもないので基本的に放っておいているが、さすがに目に余るということで注意されると、彼はかんしゃくを起こしてしまう。
 具体的には、目をむいて「はあああ?(語尾を上げる)」と大声を出し、家に帰ってしまう。おかげで女性職員が怖がってしまっている。
 マスクで顔の下半分が隠れた状態でくわっと目をむかれると、確かになかなか怖い。
 そして彼は毎回のように「ボク、末っ子なんで」と言い残していくのである。

 この場合の「なんで」は「なので」の変形であり、本来なら「~なので~だ」という文になる。
 しかし彼は述語まで言わない。「末っ子なんで」とだけ言って、笑ってどこかへ行ってしまう。
 妥当に考えれば、「末っ子なので、紙コップは片づけられないし、挨拶もできないのです」という文になる。
 しかし、特に末っ子だと、清掃や挨拶の機能に問題が生じるという話は聞かない。
 彼にもできないはずはないと思う。ただ、機能的には可能でも、人格的には不可能なので、彼には「できない」ということになる。

 まあこんな調子だから、彼はあまり周囲からはよく思われておらず、たまに人から怒鳴られそうになるのだが、周りが「まあまあ」と怒るほうを止めに入る。
 で、この時、本人は「ボク末っ子なんで」と笑って言うのだが、ほかの人間が「彼は末っ子ですから」と言うと、これはこれでかんしゃくを起す。
 なかなか繊細なところだ。
 ただ、同時に、「末っ子だからできない」という条件は誤りらしいことが分かる。
 この条件が正しければ、彼が末っ子と言われてかんしゃくを起こすことはないだろうからだ。
 となると、彼のまずい部分と、「末っ子」は無関係らしい。
 しかし彼は「ボク、末っ子なんで」と免罪符のように言う。

 これが不思議だ。
 タイトル回収である。
 今回のタイトルから、こんな内容だとは思われなかったのではないでしょうか。どうもすみません。

 なお、こうなると、困りものの現象がひとつ起きる。
 やがて、末っ子というだけでなく、彼の持つ属性のひとつひとつが取りざたされ、
「いまだに親元だから」
「今三十過ぎってことは〇〇世代だから」
「〇〇市(〇〇校)の出身だから」

 と、これらがどんどん「できない人の特徴」として周囲に共有されていってしまうのだ。
 同じ属性の人はいい迷惑である。

 さすがにこの辺りで周りが冷静になり、「それは偏見だ」「同じ属性で立派な人はたくさんいるはずだ」と理性を取り戻す。
 しかしそんな周囲をよそに、彼本人が、「ボク末っ子なんで」と言って、訂正印の一つや二つでは済まない書類を事務に投げて帰っていく。
 彼の上司は困っているが、「取ってしまったんだから仕方ない」と腹を決めて、少しずつ丁寧に彼を指導している。

 さて、隣の県の若手に、彼とそっくりの属性の男性職員がいる。
 末っ子で、親元で、出身地こそ同じではないが、彼らは似たような経歴をたどっている。
 その男性職員の歳はうちの職場の彼より少し下で、二十代後半だが、まあ同世代と言えるだろう。

 この男性職員は、はっきりいって明日にでもうちの支店に来て欲しいくらい、働き者で、素直で、課題意識と改善精神があり、上の人間はこの男性職員に追い抜かれないように努力している。おかげで全体的にレベルが高い。
 私も仕事上でこの男性職員にはよく情報交換しており、たまに暇な時、大した用事もないのに電話をくれたりするので、わりと仲がいい。
 私と打ち解けるくらいだから、周りからも好かれているのだろう。
 
 周囲は、「あの男性職員のような人がいるので、末っ子はろくでもない人間ばかりだという偏見が食い止められている」とうなずき合っている。
 末っ子、長男(女)、次男(女)等々の「ろくでもない」「ろくでもなくない」の有効な統計を私は見たことがないので、実際に明確な傾向があるかどうかは知らないが、人の認識は体感が作り上げるものが大きいので、人生において「ろくでもない末っ子」に4~5人も会えば「末っ子はろくでもないやつが多い」と認識されてしまうのだろう。
 その認識に待ったをかけているのは、偉大な功績と言える。
 いろんな長男がいるように、いろんな末っ子もいるのだ(当たり前だ)。

 ところで、私は三人きょうだいの真ん中で、姉と妹がいる。
 どうも世間では、長男・長女がしっかり者で、末っ子が甘えん坊の世渡り上手というイメージが根強い気がする(気のせいか?)。
 しかし我が家の場合は、姉が放蕩もの、長男(私)が無気力、妹がしっかり者という性向だった。

 妹への敬意から、多くの場合、私が(不本意ながら)冒頭の彼が「これだから末っ子は」と人から言われる際、擁護に回ることが多い。
 周りからは「なんであんなやつの肩を持つの」と言われる。
 しかし私にすれば、持っているのは「そんなやつ」の肩ではなく、妹や、全国の末っ子の皆さんの肩のつもりでいる。

 ただし、彼本人が何と言おうと、私は「末っ子だから仕方ない」「末っ子ってああいものだ」とは言わない
 もちろん、彼がかんしゃくを起こすからではない。
 妹は、おそらく、そう言われることを嫌がるだろうなと思うからだ。
 理屈は通らないけど、そうなので仕方がないだろう。

 冒頭の彼は死ぬまで変わらないのかもしれないけれど、まあそれも一つの生き方だろう。
 彼は嫌われ者だけど、本人はきっと楽しく生き続ける。
 おそらく死ぬまで幸せだろう。

 自分を不幸だと思う人は、少し見習うといいかもしれない。
 もっと無責任に、人に苦労を任せて、自分は笑って生きていくのだ。
 彼は、自分がやるべき仕事をせずに指導されると、指導した側に「先輩は他責指向ですね」と言って相手を絶句させたことがある。
 このくらいの価値観で生きていれば、ストレスはたまらない。

 もしこのやり方を試して、怒られたり責められたりしたら、「末っ子だから」は特に意味がないと分かったのだから、同じように意味のない理由で言い逃れればいい。

「私、日本人だから」
「A型なので」
「牡羊座だから」
「〇歳なので」

 ……などなど。
 「末っ子だから」がまかりとおる場所でなら、これらも通るはずだ。

 この時、間違っても述語まで言ってはいけない。
 意味がないことがバレてしまうからだ。「ので」「から」で終わりにしよう。

 実際、こういう話法を使う人は、年代に関わらず最近多い。
 便利な話法で結構だが、GDPが他国に後れを取るわけだ、とは思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?