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ルフオノイアの人々 1/3

<あらすじ>


とある大陸にある一大芸能都市ルフオノイアでは、日々、悲喜こもごもが入り乱れている。
この街の中心である歌劇団は多くの少女たちの憧れだが、同時に腐敗と犯罪の温床でもあった。
本作はショートストーリーで、ルフオノイアで起きた革命と、街の崩壊前後における何人かの半生を切り取る。
・かつて「街」を代表する歌い子だった元歌手は革命団の志士に心惹かれ、革命の夜に死亡する。
・「街」にあって逞しく生きていた少年の人生と心を、街と革命は変えてしまった。
など。
一話のストーリーの中で、主人公が変わりながら話が続いていくイメージです。

1.雪に灯る声

 私が十九歳で合唱団最高格の歌姫を辞め、駆落ちした夜は、酷い雪だった。

 大陸の端にある一大芸能都市、ルフオノイアの冬。

 貴族院付きだった私の逃亡は、団の名に泥を塗ることになる。「脱走死罪」の団の私兵をやり過ごすために私達は雪に潜り、長い時間、道端に伏せた。

 追手が諦めて去る頃、私に覆い被さっていた恋人は凍死していた。私も寒さで病み、お腹に宿していた命が流れて散った。

 生きる情熱も死ぬ気力も消えた私は、一人ふらふらと街外れへ向かい、そこで暮らし始めた。生きるのに飽きれば、適当に死ぬつもりだった。


 次の冬。

 私は、小さな便箋屋で、虚ろに一人番頭をしていた。

 歌う為に生きて来た私が、歌も、それと引き換えにしようとした恋も失った。

 何も考えなくて良い、起伏無き日々。けれど空に雪が舞うと、辛い記憶が、おき火の様な死への誘惑を煽る。

 もう、いいかな。

 その時、十代後半と思しき若者が、雪を払いながら店先に立っているのに気付いた。

「投函です。街の外の母に」

 言いながら、彼はじっと私の目を見つめていた。が、見覚えは無い。

 便箋屋は、郵便局も兼ねている。若者から手紙を受け取り、差出人の名前と宛先を確認した。そして、

「カレルさんというの。革命兵なんですね」

 昔偶然に知ったことだけど、封筒の隅に付いた汚れにしか見えない記号は、この街の貴族院を転覆させようとする集団の隠し符丁だった。それは殺人すらタブーとしない程に、過激な。

 彼が息を飲んだ。

 余計な事に勘付いた私を、殺してくれるだろうか。

 しかし、彼にその気配は無い。

「私を殺さないんですか」

「僕が革命兵になったのは、大切な人がこの街に殺されたからです。貴女そっくりの目をした人でした。開いたままの傷の様な瞳、……殺せるものですか」

 うなだれ、そう呻く。

 私は、彼の髪を撫でた。雪に濡れ、ひどく冷たい。

「温めてあげましょうか」

「女の人に付け込む人間だとでも!」

 カレルは跳ねる様に店から出て行った。

 恥ずかしい真似をした。人肌が恋しいのは、自分か。萎れているようでいて、寂しいものは寂しいのか。情けない。

 けれど次の日、カレルは店に来た。昨日は大声を出してすみません、と言うので、こっちこそ、と言って、二人で少し笑った。


 また、次の冬が来た。

 カレルとは店先でしか会わなかったが、それが随分頻繁になった。

 彼といる時の私は、よく笑う。

 いつしか、一日の終わりに、明日が来るのが待ち遠しくなった。自分が彼を好意的に受け止めているのは確かだった。

 いつか、カレルを愛する日などが来るのだろうか。あの人と、そうだった様に。

 ある雪の日の夕暮、カレルが店に来た。男の顔をして、声をひそめ、

「今晩、街の北門で火事を起こす。家から出ないで」

「危ないことをしては」

「これから、全部始まる。そうしたら、あなたに言いたいことがある。だから、無事に帰るさ」

 そして、彼は雪の中に消えた。


 夜になり、店じまいをしていると、表通りに合唱団の私兵隊が群れていた。

「街中の隊は全て、北門へ集合だ。不穏らしい。不審者がいれば、射殺しろ」

 そう聞こえた。彼らの手にあるボウガンを見る。

 カレルの屈託のない笑顔が頭に浮かぶ。気付いた時には、声を出していた。

「あなた方。ミラ・ウルツバッハをご存知?」

 合唱団の面目を潰した、逃亡者の名前。隊長らしい男が私の顔と名を一致させ、顔色を変える。

 私は南門へ向かって駆け出した。

 男達が追って来る。

 もっとだ。できる限り、大勢を引きつけなくては。

 私は、走りながら歌った。駆落ちした日から、初めて放つ歌声。

 聞き咎めた街中の兵士達が、次々に大通りに現れた。

 ウルツバッハだ、と誰かが叫び、追手が膨れ上がる。所詮寄せ集めの私兵、緊急の統制など取れはしない。

 夜空に音声が踊る。目抜き通りの両側の家々の窓が開き、人々が顔を出す。

 響け。これが、かつて鍛えに鍛えた、私の歌。

 この街の最高峰、貴族院付きの歌姫の絶唱。麻の服に乱れた髪、けれど砲筒の喉、声の瀑布!

 訓練も調声もしていなかったのに、この夜の私の歌声は果てしなく空へ伸び、街を奔った。まるで奇跡の様に。

 空気の震えが街を覆い、雪が散る。しかしこの雪に吸われ、歌声は北門までは届くまい。それでいい。

 南門を目前にして、私の足を矢が射抜いた。続いて、背中。腕。

 カレルは、うまくいっただろうか。北の方を見ると、ちらりと火柱が夜空に揺れた。兵達は、誰も気付いていない。胸中で、快哉を叫んだ。あとはどうか、無事に逃げて。


 自分のせいで私が死んだなどとは、思わないで欲しい。

 私は死んだも同然だった抜け殻の人生を、終わらせようとした日に私はあなたに会って、それから今日までの一年程も、あなたは私を生かし続けたのだ。

 今夜の歌は、恩返しの奇跡。

 生き返らせてくれたお礼に、私もあなたの命を救いたい。

 矢が、私の首を射抜く。

 今日まで生きていてよかったな、と思った。

 降り来るのは、私の声を吸い込んだ、水よりも澄んだ雪。

 解けて流れ、いつかどこかで、歌になれたら、あなたに会いたい。


2.二度目の誕生日

 劇場の窓から眺める街は、霧雨に包まれ、水底のよう。

 大陸最大の芸能都市、ルフオノイアの合唱団の花形たる私でも、空模様は好きに出来ない。

 二十二歳。今日までに、同期は次々脱落して行った。一様に「アリア、あなたは才能があっていいわね」と言い残して。

 両親は昔、革命派を気取った強盗に殺された。私は道端で歌って物乞いをし、幸運にも合唱団に見出されて拾われた。

 歌い子としての価値が無くなれば、板塀と石畳の狭間に捨てられるだけ。歌以外の全てを投げ打ち、裂ける寸前まで我が喉を追い込み続けた。

 誰よりも上手く。上手く。

 好きだった歌は、とうに生きる為の手段として割り切った。

 私は恵まれているのだと、私以外の誰もが言った。


 団の寮施設には、私専用の練習室がある。

 男子禁制の女の園の一室。毎朝、馴染みの、老いた掃除婦が床を磨く。

 彼女のネッカチーフが曲に合わせて揺れるのが、入団当時から変わらない光景だったが、今の私の目にはそれすら入らなかった。

 翌週始まる新しい演目が、『嵐の王』という難曲だったからだ。タフな喉と抜群の音感が不可欠で、今までまともに歌えた者は何人もいない。

 十数年前、他を圧倒する歌声を持った天才が挑んだが、本番直前に喉を壊して演目に穴を開け、そのまま十代半ばにして団を去ったと聞く。

 私には、ここを出て、他に生きる道など無い。練習は連日、深夜まで行った。

 確かに難しい。でも、出来るはずだ。

 これまで、どれだけ積み重ねて来たと思っている。

 喉から血の匂いがし、酸欠になっても笑顔で歌う。

 けれど、遂に万全に歌いこなせないまま、公開の日がやって来た。


 ホールの舞台に立った合唱団の目前で、緞帳が上がる。歌い子達と楽団を従え、団の先頭にいるのは私だ。

 客席が徐々に露わになるのが、地獄の釜が開いて行くように見えた。満員の客は、落伍者を打つ獄卒の群。

 心臓がドレスの胸を突き破りそうに脈打つ。

 終盤の、声の張上げだけが課題だった。練習では一度も成功していない。

 ここで失敗したら、私も団を出るのだろうか。

 その後は、どうやって生きればいい。ドレスの中で足が震え、歯が鳴る。

 団長が『嵐の王』のタイトルコールをし、楽団が静かに序奏を始めた。

 抑えたコーラスに続いて、私も歌い出す。

 序盤と中盤は難なく終えた。

 いよいよ終盤だ。

 歌えないのに。

 恐怖で鼻の奥が痛み、視界が滲む。

 後五秒。

 歌を楽しむことを放棄してまで追い求めた道が、それなのに、もう途絶する。

 私は、何の為に歌って来たのだろう。物乞いに戻る為?

 三秒。

 音程は意地でも外さない。が、正気はもう失せかけている。

 一秒。

 どうとでもなれ。

 ふと、客席の上段に、眩暈の中であの掃除婦の姿が見えた。

 『次の音符を半音落とせ』――そう、歌唱の最中用の手話で示している。

 自失同然の私は、つい従った。

 喉を絞り、

 一拍置いて、

 最高音。


 声が 強く伸びた。


 反動を得た喉が躍動し、大きく開く。

 反響壁から跳ね返って来た声を、更に呑み込まんと私が大音声を被せる。

 相乗効果で、ホールは渦巻く音に包み込まれ、烈風が吹き荒れるようだった。

 音は天井へ巻き上げられ、地上に吹き降りて尚荒れ狂う。

 これが、『嵐の王』。その本領か。

 管弦を従え、コーラスを駆け上がり、歌は更なる高みへ上り詰めた。

 奇跡だ。

 奇跡が起きている。

 最後の長い一音を終えると、歌と演奏の代わりに観客の大喝采がホールを満たした。


 その晩訪れた掃除婦用の個室は、狭いがよく片付いていた。

「以前、あの曲を歌えなかった歌い子が復帰しなかった理由、分かったわ」

 変装を解いたその人は私より十以上は年上だが、蝋燭に照ら された顔は老いてはいない。

「声変わりのせい。声が他になく力強かったのは、男性だからなのね」

「そうだ」

 酷いしわがれ声。

「あなたがネッカチーフで喉仏を隠しているって、歌い子の間では噂なの。寮も団も男子禁制だから、皆半信半疑だけど」

「以前は男も入団出来た。今は性別を隠すことを条件に、何とか置いてもらってる。外でなんて生きられない。でも今の自分の声を聞く度に、死にたくなる」

 かすれた嗚咽。

「私を救ったのは、あなただわ」

「君がどれだけ積み重ねて来たかは知っている。奇跡の一つくらい、神様から分捕っていい」

 私は膝をついて、

「本名は、何と言うの」

 涙声が答える。

「ウォルヒ。その名前で、僕はここで、歌を、……歌っていたんだよ」

「歌を教えて、ウォルヒ。私、きっとあなたのように歌いたいの」

 そう言って、彼の手を取った。

「僕は、君に嫉妬している」


「それでも、出会いは、恐らく、奇跡の別名なんだわ」


3.カミツレとジギタリス

 辺境の女子孤児院を、リラの花弁が彩る季節が来た。

 十年前の革命暴動の際の孤児が多く居るこの施設で、私とフラヴォアは七歳の時に出会った。今年、お互いに十七歳になる。

 フラヴォアは貴族の血を引く端麗な容姿の持ち主で、その金髪碧眼は院内でも目立っていた。毅然とした立ち居振る舞いに憧れている子も多く、彼女と友達であるということは私の自慢でもあった。ただ、友情と言うよりは、憧れに近い感情ではあったが。


 しかし、時にフラヴォアは嘲笑の対象にもなった。

 安息日の度に、誰かを待つ様子で朝から孤児院の門に立つという奇癖のせいだった。

 その理由を彼女は言わない。

 しかし、本当は誰もが気付いていた。彼女は、自分を迎えに来てくれる貴族の馬車を待っているのだと。


 孤児院の裏庭の物陰で、私とフラヴォアはよくハーブを摘み、その場で火を起こしてお茶にして飲んだ。 この裏庭で彼女と過ごす時間は、私だけの特権だった。

 彼女の細い指が汚れるのが嫌で、専ら私が草を手折った。

 勉強では彼女に敵わなかったが、野草の中からハーブを選り分けることに関しては、私の方が優れていた。口にしていい葉と悪い葉の見分け方をフラヴォアにも教えたが、

「よく区別がつくわね」

と溜息をつかれた。

 この日はミント茶を淹れ、二人で飲んだ。彼女の気高さを造形した様な横顔はいつ見ても綺麗で、細い金色の髪が霧の様な湯気と共に陽光に輝くのを、私はぼうっと眺めた。

「私、ばかみたいね」

 唐突に、フラヴォアが言った。

「来もしない救済を待っていると、皆から思われてるんだわ」

「やっかんでるだけよ。あなたが、とても、」

 私は少し言い淀み、赤面を自覚しながら、

「……綺麗だから」

と続けた。

 しかし彼女は首を振り、

「分かってるの。いつか迎えが来るかもしれないなどと思っていたら、正気でなんていられない。決して来ないと分かっているから、ただ待つなんてことが出来るのよ」

 思いつめた表情のフラヴォアの、小さな肩を押えて、私はそのまま唇にキスをした。

 彼女は拒まなかった。でも、受け入れもしなかった。

「私があなたを連れ出せる、誰かだったらいいのに……私、……何もしてあげられないなんて」

「同情はよして、シオン。誇りを失うくらいなら、死んだ方がましよ」

「同情で、キスをしないわ。ただの友達にも」

 私の頬に涙が流れる。

「でも、私は、無力なの……」

 そう言った私に、今度はフラヴォアがキスをした。雫を拭う様に、頬に。

「私も、……あなたが大切よ。無二の親友だわ」


 その日は、突然に来た。

 フラヴォアに引取り手が現れ、今日も今日、孤児院を出て行くと言うのだ。

 私は院内の廊下で、院長が一人になった処を見計らって、訊いた。

「彼女の引取り手は、どんな人です?」

「なぜ訊く」

「友達なんです」

 元々無愛想な院長が、目を伏せながら、

「尚更知らない方がいい」

「街で、聞いたことがあります。孤児院の器量良しは、革命軍の兵士の為に『出荷』されるって」

 窓からの逆光で、シルエットになった院長が硬質な声で答える。

「美しいことは才能だが、幸せになれるとは限らない」

「……フラヴォアは、そのことを」

「知らせてやるな。どの道、逃げられやしない」


 その日の午後、馬車に乗ったフラヴォアは余所行きを着て、普段以上に輝いて見えた。

 引取り手のことは、遠縁の貴族とでも説明されたのだろうか。

 私は馬車のドア越しに、彼女に小さな布袋を渡した。

「干したハーブよ。飲みたくなった時、飲んで」

 フラヴォアは袋の紐を腕にかけ、

「ありがとう、シオン。収穫休みには、必ず戻るわ。……あなたも必ず、出て行ける」

 馬車が動き出し、柔らかな日差しの中、救済と祝福を信じて、フラヴォアは道向こうへ消えて行った。


 数日後、フラヴォアが引取り先で死んだという報せが届いた。

 死因は不明だったが、私にだけは判った。

 あの袋には、カミツレと共にジギタリスを一房入れてあった。裏庭で、後者は猛毒だと教えたことがある。それを飲むべき場面に陥ったので、飲んだのだろう。


 願わくば、あなたが尊厳を奪われる前に旅立てたことを。

 生きるよりも、私と再会するよりも、誇りに殉じたいと願うなら、私はそれに手を貸そう。

 あなたが、あなたの望むあなたでいようとすることを、私は否まない。

 それで例え、あなたを失うことになっても。

 最後にあなたを満たしたのは、私の、あなたへの肯定なのだから。


 それ以来、私は安息日に門に立つようになった。

 並の器量でフラヴォアの真似か、と笑う人もいた。

 違う。

 私は迎えを待っているのではない。見送っているのだ。何度も、何度も。

 もう二度と帰り来ぬ、美しく気高い友人を。


 名残のリラが舞う中、馬車の音と彼女の手を振る姿が路上に浮かぶ。

 来る日も来る日も鮮やかに、あの日のままの輝きで。


4.黒く溶けて静かに

 ルフオノイアは、大陸最大の芸能都市である。

 立身と凋落が頻繁に氾濫する街の治安は、年々悪化していた。

 街を統治する貴族院運営の歌劇団は私兵を構え、やがて公務を兼任する形で街を取り締まった。

 が、既に腐敗した街の兵士の質は悪い。

 彼らの市井での横暴への反発が、いつしか、革命兵と呼ばれる貴族院転覆を狙う反体制集団を生んだ。



 街の中を縦横に走る水路の中には、地下を巡りながら、いつしか枯れたものも多い。

 その中の一部を、革命兵のある分隊が拠点としていた。

 蝋燭の明かりの中、椅子代わりのバケツに座った少年が分隊長へ、

「フィッテが、貴族院と内通してるってんですか」

と言って睨んだ。

「密告があった。去年彼女を選考 したのはお前だな、ザギ」

「見所がありました」

「歌劇団兵に冤罪で殺された弟の恨みがある、という話だったな。弟の死体を見たか」

「埋葬後でしたよ」

「確認する。共同墓地だな、フィッテも立ち合わせろ」

 ザギは不満気な顔を隠さない。

「ザギ。貴族院が、辺境の孤児を間諜に雇ったとも聞く。未成年が一番怪しいんだ」

「じゃあ、俺も疑っていいですよ。まあ、辺境者は主食から肉で、俺らは小麦。他にも火葬と土葬、多婚と単婚、こう文化が違えば少し位怪しくて当前だ。スパイにはうってつけですね」

「リスクに備えるだけだ。では、今夜」


 革命兵加入の動機として最も通り易いのは、歌劇団兵に肉親を奪われた恨みだった。

 一年前、十六歳にして分隊の信任厚いザギが 、考査の為に夜の路地裏でフィッテと会った時、十五歳の少女は極端に憔悴していた。

 髪も肌も荒れ放題だが、眼光は鋭い。

「弟の仇を討たせて」

 歌劇団兵に鉄杖で頭を割られて死んだという弟の話を聞きながら、その凛とした声をザギはつい、綺麗だな、と思った。

「俺達は組織だ。個人の激情に捉われずに理性的に行動する人間だと、君を信じていいか」

「いえ。信じるって、思考を諦めることだわ。私を信じたりしないで」

 ノーと答えながらも、少女の目には確かな正気がある。

 ザギは、それを見込んだ。

 同時に、その激しい正気に惹かれていた。


 深夜の墓地に、分隊長、ザギ、フィッテが忍び込んだ。

 土葬にされた彼女の弟の遺体を、ザギが掘り出す。骨だけになった骸は、 頭蓋骨の半球部分が、半分近く欠損していた。

「頭、割れてます」

「そうか」

 憮然としたフィッテにそれだけ言って、分隊長は墓地を出て行った。

 ザギとフィッテは、遺体を元に戻した後、脇のベンチに並んで座った。

 今では随分気心も知れている。ザギは普段と同じ調子で話し出した。

「悪かったな」

「いいわよ、今更」

「貴族院は、何と言って君を雇った?」

 不意打ちに、フィッテが強張る。

 ザギが続けた。

「鉄杖じゃあんな砕け方はしない。あれは、脳が沸騰して内から弾けた跡だ。焼死か、火葬。明るければ焼いた形跡が分かるだろうが、昼間に墓暴きなんてことはないと踏んだんだろ」

 フィッテが目を伏せ、指を組む。震えを止めようとして。

「……そうよ。弟の遺体 は火葬にしたの。私は、辺境者だから。黙っててごめん。でも、だからって内通を疑……」

「弟が死んだのは街の外ってことだな。なら歌劇団兵も無関係だ。なぜ死因で嘘をついた。革命兵に入る強力な動機を作る為、以外の答はあるか」

 二人の唇が閉じ、数瞬、墓地から物音が消える。

 やがて、少女の口から声が漏れだした。

 いつもの気丈さからは程遠い、酷くか細い声。

「弟が流行り病で死んだ時、院の使者が来たの。言うことを聞けば、お前はいい声をしているから、いずれ歌劇団に入れてやるって」

「先行きの希望で、買収か」

「そう、私は貴族院の内通者よ。華やかな餌に釣られて、死んだ弟をいいように使ったの。汚いね。でもこの街は、……つっぱねるには眩し過ぎた。辺境者の、 私には」

 声にすすり泣きが混じる。

「私って、こんな奴よ」

 星を見て、ザギが言った。

「歌劇団には入れない」

「分かってたわ、あんな口約束。それでも……」

「違う。あと数年も、この街は続かない」

 涙目のフィッテが、怪訝な顔をした。

「自治は終わりだ」

 少女の目が見開かれ、

「あなた、何者なの。何を知ってるの」

「まだ言えない。君は院の間諜として働きながら、院の情報を俺にくれ」

「私を分隊長に、引き渡さないの」

「君が望む君になれなくて、苦しんでるからだってことくらいは分かるさ。そんな女を、怖い人達には渡せないよ」

 また、暫く無言。

 やがてフィッテが、微笑みを浮かべて、

「私も分かるわ。色々言って、つまりザギってお人よしなのね」

「……相手によるよ」

「え、何?」

「ほっとけ、と言ったんだよ。行くぞ」

「もう? ね、何か、飲んで帰ろうよ」

 確か、この時間までやっている屋台で、ココアも売っていた。
 たまには子供らしいものを飲むのもいいか、とザギは思った。

5.丘の上の名前

 月夜の石畳の上で、一匹の野犬を前に、私は微動だに出来ずにいた。

 十四歳の夏。大陸でも有名な水上都市、ルフオノイアの劇場の歌い子として稽古に明け暮れていた私は、密かに月光浴をするのが唯一の楽しみだった。

 けれど、路地裏になど立ち入るんじゃなかった。泣き出しかけたその時、私の後ろから人影が飛び出して、野犬に踊りかかった。

「逃げろ!」

 けれどそう言う人影は小柄で、すぐに野犬に圧倒されそうに見えた。私は夢中で、木靴を脱いで野犬に投げつけた。それが鼻先に命中し、野犬は弱々しく鳴いて走り去った。

「凄いね。僕、格好悪いな」

「そんなことない。有難う」

 月明かりが照らしたのは、痩せた少年だった。苦笑いするその表情が、なぜか月よりも 明るく見える。

 彼は、クフロといった。


 私と同い年のクフロは、家具工房『ベル・フーチ』の見習いだった。籠の鳥の私とは違い色々なことに詳しく、私の夜の息抜きは彼とのお喋りに変わった。彼も同世代の友達が他におらず、二人で毎晩の様に話した。

 ある休日の午後、クフロは街の裏山にある丘へ私を誘った。丘から街を見下ろして、私は

「綺麗ね……」

と呟いた。

 でも、白と煉瓦色の混じった街並は、見た目程には平和ではなかった。革命軍の兵士が潜んでいるという噂で、貴族警察もボウガンの常時携帯を許可されている。

「怖いことが起こるのかしら」

「君は守るさ。いつかここから、二人で平和になった街を見ようよ」

 丘に吹く風の中で、私達は寄り添った。

 お互いに たった一人の友達。いつまでも、彼の傍にいたいと思った。


 夏の終わり、街に騒ぎが起きた。ベル・フーチの棟梁が革命兵を手引きした罪で、警察に連行された。関係者は皆容疑者だとして、クフロにも手錠が掛けられた。

 目抜き通りを警察に引かれていくクフロに、私は駆け寄った。しかし、私まで巻き込むことを恐れたのか、彼が視線で私を制した。

 立ち竦む私に、傍にいた大人が気の毒そうに告げた。

「友達かね。記録も残さず、薬殺されるよ」

「いいえ。クフロは悪いことなんてしてない。すぐに戻るわ」

 自分に言い聞かせる声は、頼りなく震えた。


 それから、私は何度もあの丘へ行った。工房が閉じた今、クフロが帰った時に会える所はここしか思いつかなかった。

 でも、誰も いない丘は、何度訪れてもただの空き地でしかなかった。

抱く期待は僅かなのに、裏切られた時の傷は容易く私の胸を両断する。一年も経つと、私は耐え切れなくなって丘へ行くのをやめた。

 こんな思いをするなら、いっそ出会わなければよかったのだと、何度も泣いた。


 五年が過ぎた頃。

 劇場で私を見初めたという若い貿易商が結婚を申し込んで来た。

 彼の純粋な好意と優しさに、知らずささくれていた心が癒されていく感覚は心地よかった。半年程して、私は求婚を受け入れた。

 相変わらずの治安の街を離れ、私は彼の故郷で嫁ぐことになった。

「離れる前に、寄りたい所はあるかい」

 彼にそう言われたが、この街に格別好きな場所などない。

 ……でも、忘れられない風景が一つだけ ある。

 丘に着くと、以前よりも少し草が伸びていた。

 相変わらず、見た目だけは綺麗な街が見下ろせる。

「こんな所があるんだね」

 彼がそう言い、続けて、

「シンシア。あの椅子は、君が置いたの?」

 私は、身動きが出来なかった。

 二つの木製チェアが、街の方を向いて置かれている。

 彼が椅子に近付き、背もたれに彫られた文字を読む。

「”ベル・フーチ謹製 Kuflo”……こっちには、”Cynthia”。君の名だ」

 胸が痺れ、眩暈がした。

 生きている。

 この世界のどこかで、クフロは呼吸をしている。

 涙が溢れた。

 なぜ私はここへ来ようと思ったのか、その理由が今解った。

 私を守ると言ったクフロ。傍にいたいと思った私。

 友達だった。でもあれは、恋だった。幼すぎて気付かなかったけど、あれが恋だった。

 初恋のまま取り残された私の恋に、私は会いに来たのだ。

 静かに、彼が傍に立つ。私は涙声を絞った。

「ご免なさい、私、どうしていいか判らなくなってしまったの……」

 勿論、彼を断ってクフロを探すことなど出来ない。けれどただとにかく、私は自分の胸も意志も今この時、粉々になってしまったのを感じていた。

「なら、何でも出来るさ。会いたい人を探すだとか」

 驚いて、私は彼を見た。

「そんなこと……」

「僕だって、どうしたらいいのか判らないのだぜ。そんな君を見るのは初めてだから」

 そう言って苦笑する。


 この冷たい世界の中で、人の想いなど一体何程のものだろう。

 でも、一度 は呪った出逢いすら間違いではないと、気付かせてくれたのも人の想いだった。この名前のある椅子が、ここでそう唱え続けてくれていた。

 それは、眼下の虚ろな街よりも、遥かに確かだった。



歌と水の街2|澤ノ倉クナリ|note

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