こんな時代でも、僕らは作品を通じて「人」と触れることが出来る

人と会うことがめっきり減った。いや正確にいうとオンラインというカメラを通じた「対面」で会うことが99%となった。


とても効率的に人と「会う」ことが増えた。何よりも移動時間が自転車での何分何十分掛かる移動から、指先でピュッと別のアプリを起動するだけどの数秒へと転換した。おかげで飲み会から飲み会への移動、ミーティングからミーティングへの移動も容易くなった。


だけど人と「会っている」という感覚は持てていない。どこか身体性の無いカメラを通じての「会う」という行為は、僕には物足りないようだ・・・。


だからだろうか。アートや音楽、noteを含む文章といった「作品」に触れる時間がとても増えている。スマートフォンの可読できていないタブのほとんがnote記事になっていて、正直びっくりした。10記事ほど溜まっている。ひょっとしたら今この記事を読んでいるあなたの記事もタブに収まっているかもしてない。ちなみに今は中嶋みゆきさんの「空と君のあいだに」を聴きながらこの記事を書いている。



突然だが、このフレーズをご存知だろうか。

「世界は誰かの仕事で出来ている」



みなさんご存知、缶コーヒーでお馴染みの「ジョージア」のCMで2014年より使われているブランドキャンペーンのメッセージである。


詳しくは友人である小谷さんの記事をご覧いただきたい↓


世界は仕事で出来ている、ということはその仕事を成し遂げた人が存在する。仕事を「作品」と捉えるのであれば、全ての作品は人によって作られている。

すなわち、作品を見る・読む・聞く=その作品を作った人と関わることである。漫画を読むこともそう、音楽を聞くこともそう、演劇を観ることもそうである。

「この作品を作ったのはいつなのか、どんなことがキッカケで製作に至ったのか、この言葉の意味はどういうことなんだろうか...etc」

作品を通じて作者とのコミュニケーションを持つこと。それは「想像力を働かせること」に尽きると思う。



直接面と向かって会うことが難しい現状の中でも、僕らは想像力を働かせることによって人に触れることが出来るだろう。作品に触れることが出来るだろう。琴線に触れて感動することも、激怒することも、悲しみにくれることも出来る。


逆にいうとこんな現状だからこそ、想像力を働かせないといけないのかもしれない。目の前にいない相手のことを思いやるのは、想像以上に難しい。カメラを通じた「会う」ということから、僕はそれを感じている。


だから世の中にある作品に触れよう。沢山本を読もう。これまで聞いていなかった音楽に触れてみよう。映画を観てみよう。演劇も観てみよう。


そして想像してみよう。その作品を作っている人を。その作品に携わっている人を。その作品を届けてくれた人を。

そうすれば僕と君の時間はもっと豊かで思いやりと愛に溢れる時間になるはずだ。

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